第12話 ドキドキで寿命が縮みそうですよ
さくらが幼稚園に入ってわかったこと。
博晃以上に馬が合う友達はいないということ。
子どもというのは自分勝手に怒ったり泣いたり理不尽なルールを押し付けたりするものだ。
争いになるのではないかと心配し、何事もなかったかのように笑っていて戸惑わされる。
自分はもしかしたら人と関わるのがあまり得意ではないのかもしれないと、ぼんやり思うこともしばしばあった。
しかしさくらは積極的に人々と関わっていった。
他人の元気を回復させることに、自分が人間として生きる価値を見出だしていたからだ。
ただし闇雲に霊力を分け与えないようにとレイから注意を受けた。
手すりのように、さりげなく手を貸してやるぐらいが良い。
それが自力で立ち上がろうとする力を強くもしていくのだと。
子どもたち相手なら、霊力を使わなくとも、例えば手を繋いであげたり声をかけたり話を聞いたりすることで、立ち直るのを手伝うことができた。
時には一人にさせてあげたほうがいい場合もあることも学んだ。
それでも集中してお腹の底のぶれ具合を見極めるので、霊力を分けるのと同じぐらいの疲労があった。
博晃と二人で遊べる時間はさくらにとって癒しの時間だ。
一番楽しいし落ち着ける。疲労が回復する実感もあった。
博晃も同じで、園にいる時よりも登園前や降園後のほうが楽しそうにはしゃぐ。
というよりは、幼稚園に居るときにさくらが他の子どもたちにかまうのが面白くないのかもしれない。
バスに乗るときや降りるときに特に元気なのは、他の園児や先生に対して「僕ら同じところに住んでるんだぞ」というとりたてて優劣もない優越感を勝手に抱いているからだ。
しかし年中になって暫く経ったこの日は様子が違った。
いつものようにバスを待っていると、後からやってきた博晃は重い足取りだった。
「ひろくん、おはよう!」
「…ん…。」
愛が「ほら、ひろ。おはようでしょ?」と博晃の肩を叩いた。
首にかけられた水筒が、いつもよりずっしりと強い重力で博晃を地面に引っ張っているように見える。
「ひろくんどうしたの?寝起き?」
可奈子の問いに愛は困ったように首を横に振った。
「この世界の真相を知ってしまって」
「世界の真相?なになに?」
愛はちらりと博晃の様子を気にしてから「後で話すわ」と渋い顔で笑った。
キィーという高いブレーキ音。
さくらたちの幼稚園バスが来た合図だ。
さくらは博晃の手を取った。
「バスきたねぇ」
「うん…。」
(どうしたのかな。聞いてもいいのかな…?後でお腹の中透視してみて、それから…)
―何ひろのやつ元気ないわね。大好きなさくらが手繋いでくれてんのに。またさくらが気疲れしちゃうじゃない。
―そういう日もあるでしょ。ていうかさくらは勝手に回りに気遣いすぎて疲れてんじゃないですか~。もっと気楽に生きればいいのに。先が思いやられるなぁ。
幼稚園に着いても博晃は相変わらずで、教室の隅に座り込んでおもちゃの車のタイヤをくるくると回し続けているだけだった。
さくらには、博晃のお腹の中には歯車のように連動して回る複数の輪が見える。
その輪それぞれが縮んでしまって、回転もしているかどうかわからないぐらいゆっくりになっている。
「ひろくん、みて!おりがみでしゅりけんつくったの。みかちゃんがおしえてくれたんだよ」
さくらは博晃に駆け寄ると、手に持った二つの手裏剣を見比べて、「これひろくんの!」と緑と紫で組み合わされた手裏剣を手渡した。
―なにこれ、すごい。どうなってんの?
折り紙の手裏剣を不思議そうにまじまじと見るサカのために、さくらが自分の白とピンクの組み合わせのものを分解して見せた。
「ここをね、こうやってさしこんであるんだよ」
―ですよ。
―へぇ~面白いね。4歳でこんな作品作れるんだ~。
とサカが感心した。
「ひろくん、どうしたの?だいじょうぶ?」
「うん…。」
―どうしたんでしょう?サカさん知ってます?そっとしといた方がいいのかな?力を分けてみていいですか?
―そうだね。じゃあ力を分けて、話してくれると思うから聞いてあげて。でもたぶんどうにもならないよ。
サカは困ったように笑ってロッカーの上に座ると、自分のメモ帳を折り紙のように折り始めた。
レイも「私も折ってみよー」と言って同じように腰掛けた。
博晃に霊力を送ったことがなかったから、さくらは嬉しくなった。
(いつも支えてもらってばっかりだもん。ひろくん、元気になぁれ。私の力で元気になぁれ)
さらさらと流れていく光で、お腹の中の小さな輪が、ゆっくり回り出した。
博晃は手に持った手裏剣を指で擦りあわせながら、ぽつりと「さぁちゃん、しってる?」と言った。
(ひろくん喋った!)
そして重たそうに、「ひとはみんな、いつかしんじゃうんだって」と続けた。
「びょうきにならなくても、じこにあわなくてもね、おおきくなってね、100さいぐらいになったら、ぜったいしんじゃうんだって」
―ああ、今朝愛さんが言ってた世界の真相ってそういうことね。
―そうなんですよ。50億年後には太陽が爆発するって話から派生して派生して…。
(そっか。ひろくん、いつか必ず死ぬってこと知らなかったんだ…。)
これから先何十年と生きていくことへの期待の裏側にぴったりと貼り付いている、漠然とした不安。
さくらにとってその不安を拭ってくれるのが、還るべき場所へ時間とともに確実に近づけるということ。
つまりは「いつか必ず死ぬ」ということだ。
テンの記憶がなければ、自分もこんなふうにショックを受けていたのだろうか。
「だからね、おとうさんもね、おかあ、さんもね、ひいば、あちゃん、ん、に、なったら、ね…」
ひばあちゃんは博晃の「すごく年寄り」の総称らしい。
唇を震わせて泣く寸前の顔の博晃にさくらは慌てて言う。
「あのね、おそらに、てんごくがあってね。しんじゃっても、みんなそこにいくから、きっとまたあえるんだよ。それでね、しばらくしたら、またもどってきてうまれてくるから、だいじょうぶだよ」
―ですよね?レイさん!
―ん?ん~まあそんなかんじかしらね?
―お父さんお母さんが待ってるか生まれ変わってるかは上の魂管理部の判断次第だよ。本人たちの希望もあるし。それからひろくんとさくらは裏門だから会うには申請が必要だよ。
―まあ細かいことはいいのよ。
「でも、てんごくってあるかなぁ?だってくもは、ちいさいみずのつぶがあつまってるだけだし、そらは、たいきけんぬけたらくうきがないから…」
―こいつ無駄に知識つけて論破してきやがる。さくらが慰めてんのに困らせるんじゃないわよ。
―ひろくんは地球とか宇宙とか大好きなんでそこらへんの知識はすごいんですよ。
とサカは少し得意気に言った。
「えっとねぇ、めにはみえないんだよ…たぶん。おば…じゃない、えっとねぇ、ふわぁーってね、すりぬけちゃうけど、あるんだよ、きっと、…えっとねぇ」
「すりぬける…そりゅうしみたいに?」
「ソリューシ…?…ごめんね、わかんないや」
「そっか…」
少し輝きを取り戻していた博晃の目がしゅんと伏せた。
唇をぎゅっと結んで、顎には梅干しのようにシワがよっている。
―レイさん、サカさん、ソリューシってなんですか!
―わからん!サカ、何ソリューシって!solution !?
―確か一番小さい粒です!ひろくんが読んでた本に書いてあった!
―天界ってソリューシですか?!
―ごめん、わかんない!
さくらは博晃の手を両手でぎゅっと掴んだ。
二人の持っていた手裏剣がぽとりと床に落ちた。
「わたしね、ずーっとずーっと、ひろくんといっしょにいるよ!しんでからもね、ずーっと、ひろくんはさぁちゃんといっしょ!」
レイは「プロポーズ?プロポーズ?」とドキドキしながら口元を押さえ、サカは紙飛行機の形に折ったメモ帳を急いで元の状態に戻すと「4歳2ヶ月、テンがコウさんにプロポーズ」と言いながら書きこんだ。
一方さくらは、必死に言いながら、こんな言葉は博晃にとって意味がない、と思った。
博晃は一人になるのが寂しいわけではない。
大切な人たちがいつかいなくなってしまうということが、悲しくて怖いのだろう。
しかしさくらには掛けるべき言葉が見つからなかった。
だって、どうしようもない。
死とはどうしようもないことだ。
自分も死ぬ。
大切な人も死ぬ。
それは避けることのできない現実だ。
「うぅっ…なかないでひろくん~」
博晃はまだ泣いてはいなかったのだが、そう言いながらしくしくと泣き始めたさくらを見て、博晃もついにせきがきれてしまった。
―ありゃー、泣いちゃった…
二人してヒイヒイと泣いているのに気付いた先生が慌てて来た。
二人を引き離そうとしたが、お互いがぎゅっと手を繋ぎ合っているので、一体どういう状況なのかと首を傾げた。
―あ、先生お気になさらず。愛を誓い合ってるところですから。
「ひろくん、さくらちゃん?どうしたの?」
「ぼくねぇ、さぁちゃんがだいすきなのぉぉ」
「うぅ~!わたしもひろくんだいすきぃ!うぇ~ん」
先生は「あらあら」と困惑しつつも微笑み、「じゃあ大丈夫なのかな?」と二人の背中を擦った。
「せんせぇー!あきちゃん、はなぢでたぁ~!」
先生はまた慌ただしく移動し、野次馬に来ていた園児もその後に付いていった。
「さぁちゃん。かなしくさせちゃって、ごめんね」
博晃は涙を拭うと、さくらの手裏剣を拾って手渡した。
「さぁちゃん、ぼくとケッコンしてくれる?」
「ケッコン…?」
「ケッコンってね、おとうさんとおかあさんみたいに、ずっといっしょにいるってやくそくするの」
「うん!いっしょにいるよ!ケッコンする!」
プロポーズきた!とレイは興奮ぎみにピョコピョコと跳ね、サカはさっとメモ帳を取り出した。
―4歳2ヶ月、コウさんテンにプロポーズ!
―サカはさっきから何してんの?
―二人の進展…成長記録を
―コウとテンになってるわよ?
―ひろくんとさくらより萌えるので
―わかるけど。ギャッ?!
―ドゥフッ?!
急に缶詰に閉じ込められたレイとサカが、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。
教室の子どもたちもそれぞれ思い思いに騒いでいる。
その全ての音が、さくらから遠くなった。
教室の隅で、しゃがみこんだ二人。
一瞬だけ温かい唇が優しく触れた頬を、さくらは手のひらで押さえて、目を丸くして博晃を見た。
「やくそくだよ!」
博晃ははにかんで笑うと、僕も手裏剣作る!と言って折り紙を取りに行った。
少し離れたところまで飛んで缶から解かれたサカが、レイに向かって叫んだ。
―レイさ~ん、大丈夫ですかぁ?教室のドア側のほうまで飛んでみてくださぁい!
―え~ん!方向がわかんないー!どっち~!!引っ張って!
―今そっち行ったら僕も缶になっちゃいますもん。さくらー!レイさんの缶こっちに飛ばして~!
さくらには何もかも耳に入らなかった。
ただいつまでも頬に残る博晃の体温と感触に、今までに感じたことのない幸せな息苦しさと胸の高鳴りを覚え、これはなんだろうと立ち尽くすばかりだった。
(どうしよう。還って、コウさん覚えてたら…。)
どうか、いつか天界に還った時、コウがこのことを覚えていませんように。
もし覚えていたら、渋い顔をして、低く項垂れた声で、「忘れてくれ」と言われそうだ、とさくらは思った。
確かに大好きだという気持ちを伝えてくれた。
頬に優しい口づけをしてくれた。
それをなかったことにされるのは嫌だった。
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