第11話 元気回復
台所は薄暗く、何かが腐ったような臭いがツンと鼻をついた。
床にはいくつかの玉葱が転がっていて、流し台の前に敷かれたマットの上に、何か人の体のようなものが横たわっている。
ようなもの、ではなくそれは可奈子の体だった。
「おかあさん…っ!」
さくらはそばに駆け寄ると可奈子の体をゆさゆさと揺すった。
「おかあさん、どうしたの?だいじょうぶ?!」
―さくら、揺さぶるのは良くないわ!まず外傷の確認よ。ママさんしっかりして!
すると可奈子の目がぱちくりと開いた。
「あ、元気だよ。ごめんね~心配させて」
可奈子はけろっとしていて、むくりと起き上がると、今にも泣きだしそうな顔をしたさくらを抱き締めて「びっくりさせちゃったね」と謝った。
「だめだよ、おかあさん、こんなところでねちゃ」
「そうだねー。間違えちゃった。ごめんね」
―焦った~。良かった~。もう、ママさんたら。
さくらが可奈子の膝の上に座ると、そばに置かれた白いレジ袋が目についた。
円錐形の茶色いものが中からひょこりと飛び出している。
「わぁ、これなぁに?ふわふわ~。かわいいねぇ。」
「ハハハ。可愛い?筍だよ~。いっぱいもらっちゃって…。」
―へぇ。これが竹になるのね。竹藪は少しほったらかしただけでどんどん広がって大変だって、課長から聞いたことあるわ。
―そっか。課長、昔日本に住んでたことあるって言ってましたっけ。
レイは竹の子の尖端を興味深げに捲って「ふーん」と頷き、さくらは茶色くふさふさの毛が生えた皮をまるで小動物を可愛がるように撫でた。
「茹でなきゃいけないんだけどね…新鮮なうちに…。でも鍋に入りきらないし…時間がかかるし…。って悩んでひっくり返ってたらウトウトしちゃってたの」
可奈子は膝の上のさくらと一緒になって振り子のようにゆらゆらと揺れながら言った。
「おまけに昨日買った玉葱は全部ハズレだったしさぁ~。やる気が削がれるわ」
「これ、たまねぎのにおいかぁ」
赤いネットから転がり出ている玉葱はすべて見慣れたものより皮に艶がなく凹凸があり、ところどころにあざのような黒い部分がある。
手に取ると、先の方がじゅくっと嫌な柔らかさだ。
まな板の上に分解されたものは、半分以上が茶色く変色していてほとんど食べられそうにない。
「う~ん。」と唸って、可奈子はまたその場に横になってしまった。
手伝ってあげる!と、さくらは言いかけてやめた。
つい先日、疲れが見える可奈子の為にと、ソファの上に積みっぱなしになっていた洗濯物を畳んだ。
しかしどうやら何かやり方が違っていたようで、可奈子は「お手伝いありがとうね」と言ってくれたものの、ますます疲労の色が濃くなってしまったようだった。
結局レイに頼んで可奈子の力を回復させてもらったのだ。
膝から下りて、可奈子の頭をよしよしと撫でながら、何か出来ることがあればなぁと願った。
(あ、そうだ)
―レイさん、お母さんに力を分けてもらえます?
レイはオッケー!と頷き、薄く膨張した姿になったが、「そういえば」と言ってしゅるんと元の大きさに戻った。
―練習すれば人間の姿でも分けられるわよ。さくらにもそろそろ出来るんじゃないかしら?
―本当に?どうやるんですか?
さくらは玉葱を転がして遊ぶふりをしながらレイに教えを仰いだ。
―やり方はまぁ人それぞれなんだけどね。イメージするのが大事よ。まず霊力を一ヶ所に集めるつもりで意識して。
さくらは目を閉じ、右手に霊力を集めるように念じた。するとだんだん手がじわりと温かくなり、光を帯びてきた。
―上手上手!目標は相手のお腹の中の中心よ。根本みたいなところを透視するみたいな気持ちで。
―ん~~?透視?
さくらは可奈子のお腹を貫通するぐらいにじっと見た。
丸く白い綿のようなものが入った透明の瓶、底に細かい透明のビーズが溜まっている。
どうも自分の想像上のものを見ているだけの気がする。
これはたぶんドライフラワーの瓶の影響を多大に受けている。
―…よくわかんないです…。なんとなく思い浮かべてるけど…。
―それで大丈夫よ。さくらは力があるから、思い浮かべるだけで十分なのよ。じゃ、次ね。この凝縮した力を、天界の靄の要領でイメージで形を変えるのよ。
レイが「ちょっと借りるわね」と言ってさくらの右手の光を取り分けた。
―私の場合はね、でっかい注射器の中に光を充填させて
―…注射…っ!
さくらは身震いした。レイがマシンガンのように注射器を構えている。
―それを相手の内臓にブスッと打ち込むかんじで
「ひいっ!」
「んっ?どうしたの?」
「あ、た、たまねぎがね、むにゅむにゅで、こわかったの!」
―注射器はちょっと…。
手元に想像してみたが、ぎらりと光る鋭い針が嫌でも強調されてしまうので、どうしても怖くて手を振り払った。
―まぁ力を分けるイメージができるならなんでもいいわよ。
レイは注射器を湿布に変え、包帯に変え、点滴に変え、再び注射器に変えて「やっぱり私はこれがしっくりくるわ」とバトンのようにくるくる回すと、また元の光の塊に戻してさくらに返した。
さくらは如雨露を思い浮かべた。
誕生日に買ってもらった、シャワーの部分が花の形になっている小さな可愛らしい如雨露だ。
右手の光の塊に念じると、一応それらしい形に纏まり、少し傾けると、光の粒がキラキラと溢れ落ちた。
―できた…!
早くこの新しい力を試したい。
さくらは左手で再び可奈子の頭をよしよしと撫で、右手を可奈子に向けてそっと傾けた。
「ありがとうね~。さぁちゃんは優しいね」
―少しずつね。やりすぎは逆効果よ。急に元気になると、自分の力量を見誤って、張り切って働きすぎたりしちゃうから。少~しね。
―はい!
(ちょっとずつ、ちょっとずつ。お母さん、元気になあれ)
さくらは可奈子のお腹をじっと透視した。
キラキラと可奈子に降り注ぐ光の粒は、体の中の瓶に当たると見えなくなった。
それは染み込んでいるのか、消えてしまっているのか。
何も変化がないように思える。
でも、なんとなく底のビーズが膨らんだような。
なんとなく中の綿に艶が出たような。
なんとなく瓶が輝いているような。
(…少なすぎるかな?)
さくらは傾きを少しだけ大きくした。
―さくら、ストップストップ!
レイの制止の声と同時に、可奈子が「んー!」と大きく伸びをして起き上がった。
「さぁちゃんのお陰で元気になった!今なら頑張れそう!よっしゃぁ!やったろー!」
可奈子は「ありがとねーっ!」とさくらを強く抱き締めた。
「よーし。さぁちゃん、晩御飯食べたいものある?今日はリクエスト何でも聞いちゃう!」
「えっと、じゃあね、たまごやき…」
「玉子焼きね!他には?何でもいいよ。あ、そうだ。デザートにプリン作ってあげようか久々に」
「…きょうはいいや。またこんど」
筍茹でてる間に大掃除しちゃおっかな!と言って可奈子は髪を結い直した。
―…やり過ぎね。反動で疲れがどっと出るかもしれないわ。
「あの、おかあさん、むりしないで…。おねがい…。」
―練習が必要ね。少ぉ~しずつを小分けでやったほうがいいかもね。
―はい…。気を付けます…。
疲労感と眠気がぼんやりと降りかかった。
いつもレイに頼んで人に力を分けてもらった後と同じだ。
可奈子が鼻歌を歌いながら鍋を用意している。
確かに力を分け与えられたという実感に、さくらは高揚した。
自分は周りの人たちの役に立てるかもしれない。
自分の力で、たくさんの人を元気にしたい。
朝の幼稚園の玄関。
新入園児だろう。
母親によじ登る勢いでしがみついて「いやだ」「ママがいい」とわんわん泣きじゃくっている。
先生が「お友達待ってるよ。教室で一緒にブロックやらない?」などと声をかけるが、強力な磁石のように母親にくっついて離れない。
さくらは上靴に履き替えながら、二人にさらさらと光を振り掛けた。
少しすると園児が落ち着いて、ふぅ、と息をついた。
「頑張れる?」
「…うん。」
「よし、えらい!先生のお話しっかり聞いてね!お友だちと仲良くね!」
「うん。」
「すみません、それじゃよろしくお願いします」
「はぁい!じゃあ先生と一緒に教室行こっか」
「うん。」
さくらは教室に向かいながら、母子の会話に聞き耳を立て、にんまりと笑った。
教室で子どもを宥めたり教えたりと忙しい先生は、さくらたちバス組の登園に気づくと、不自然なほど頬や口角の筋肉をニッと上げて一人一人の名前を呼んで挨拶した。
さくらはにこりと笑って「おはよう!」と返し、さらりと光を掛けた。
先生のお腹の中には積木のようなものが積まれている。
さくらが掛けた光の粒が、積木のバランスを両サイドからきゅっと整えた。
(これくらいかな?あとでもう一回かけとこうかな…)
レイがさくらの右手に残る光に気付いた。
―さくら…。力を分けたわね?その調子だとばてて降園まで持たないわよ。もうやめておきなさいね。
―大丈夫、ちゃんと加減します。ちょっとだけ。
お漏らしをしてしまってしょぼくれていた子に。
ママが恋しくなってしまった子に。
初めての給食のメニューになかなか手を付けられない子に。
手際が悪くて注意された新人先生に。
忙しさでつい厳しく注意してしまった先輩先生に。
少しずつ少しずつ力を分けたさくらは、帰りの挨拶の時にはもうウトウトしはじめていて、下駄箱の前で、靴を履こうとしゃがみこんだままこっくりこっくりと寝てしまった。
「さくらちゃん、起きて~!バスまでもうちょい頑張れ!」
―ほら、言わんこっちゃない。さくら、起きて!
―え、何なに。力を分けたの?
博晃が優しく肩を叩き、
「さぁちゃん、バスにのるよ。」
と言ってさくらの両腕を掴んで立たせると、手を引いてバスに向かった。
先生が「あら、ひろくん。いいお兄ちゃんだねぇ~。」と博晃を褒めると、
―へっへ。形勢逆転しましたね!
となぜかサカが勝ち誇ったように言った。
バスの揺れはどうしてこうも心地よいのか。
ブレーキをかけるたびにキーッと高く長い音が響く。
(油をさしたほうがいいですよ。)
さくらは自分の霊力をスポイトに溜めてバスを直す夢を見た。
「はい、ひろあきくん、さくらちゃん、着いたよ~。さくらちゃん起きようね」
「さぁちゃん、ついたよ」
博晃の起こす声を聞いて、手を引かれバスから降りる。
そんなふうにして幼稚園生活を何日か過ごした。
よたよたとバスに乗っても、博晃と手を繋いでバスから降りると、不思議なことにさくらはすっかり回復しているのだ。
―もしかして、ひろくんが力を送ってくれてるんでしょうか?
―それはないよ~。霊力のコントロールは完全に閉じてるし。バスでよく寝た分回復してるんだと思うよ。それか、家に帰って嬉しいからじゃないかな。お母さんの顔見ると安心するでしょ?
(そうか。力が回復するって、そういうことか。)
つまりは、博晃が力を分けてくれていることにも、間違いはないのだ。
だって、博晃の「さぁちゃん」と優しく呼ぶ声が嬉しい。
手を繋いでくれるのが嬉しい。
両親同様、博晃のそばは居心地がいいし安心する。
当然だ。博晃はコウなのだから。
テンにとって、コウのそばは不思議と居心地が良かった。
コウは天界の人々から人気があったが、きっと一緒にいるときの空気が柔らかいからなのだろうな、とテンは思っていた。
バスの窓から差す陽の光が瞼越しに眩しく、じんわりと温かい。
聴覚がやけにはっきりと機能している。
園児たちがきゃっきゃとはしゃぐ会話のひとつひとつがよく聞こえる。
先生が「さくらちゃんもう寝たか~」と小声で笑った。
さくらは「まだちょっとだけ、起きてます」と頭の中で答えた。
「うん。ついたらね、ぼくがおこしてあげるの」
帽子越しに伝わる博晃の優しい手の重みが、頭皮をくすぐった。
(この感じ、懐かしいな。なんだっけ…。)
前にもこんな心地よさを感じたことがある。
それがいつだったのか思い出せず、発車したバスの揺れがだんだんと眠りを深くしていった。
さくらが思い出そうとしたのは天界での記憶だ。
人気のない静かな閲覧室。
壁や床のそこかしこに、靄や光の粒が湧いて出るところがある。
テンは頬杖をついて座り、光が浮かび上がるのを眺めていた。
普段は気付かない、光と靄のせせらぎがサワサワと聞こえる。
「テン?…」
自分を呼ぶコウの声に、テンは夢と現実が入り交じった頭の中で「はい」と返事をした。
(コウさん、今ね、日本の職業一覧を見てたんですよ。一緒に転生するの、楽しみです!)
しかしそれは決して声に出ることはなく、いつのまにか机に伏せていた頭も上がることはなかった。
「寝たのか」と小さく呟く声がすぐそばから聞こえた。
(あれ、私寝てる…?いつの間に…。でも、もう起きます…。)
ふわりとした感覚が、頭頂部から耳の後ろ、そして項へとゆっくり滑っていく。
(気持ちいい…)
コウは我に返った。
無意識とは恐ろしいものだ。
今、自分はテンの頭に触れ、慈しみ深く撫で下ろした。
その一連の動作が終わるまで自分で気付かないとは。
資料をテンから少し離れた席に置きなおすと書架に戻り、日本の法律に関する本を探した。
寝ている間に勝手に頭に触れたことは罪に問われるかどうか、を調べなければならなかった。
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