第7話 これからも、よろしく頼む

 応接室に入ると秀介しゅうすけけいは向かい合わせでソファに座る。

 夜もすっかり更けており、塾にはこの二人しか残っていない。


「ここに座るのも久しいんじゃないのか。何時いつぶりだ?」

「アハハ、1ヶ月くらいですかね」


 何となく秀介も呼ばれた理由を察しているようだった。


「……まあ、オマエも分かっているだろうが、試用期間が終わる。それで、アタシの方も結論を出した結果──」


 京の言葉に対し、固唾を飲んで身構える。


「…………ま、続きは外で話そうか!」

「はえ?」


 予想外の言葉に素っ頓狂な声が出てしまった。


「こんな向かい合って堅苦しい会話すんの疲れるんだよ。オマエ、いつも休憩時間に裏口でタバコ吸ってたよな。あそこに行こう」


 じゃあ何で応接室に呼んだんだ、という言葉を喉の奥にしまい、言われるがまま裏口の方へと向かった。




 外に出るとひんやりとした冷気が体温を奪う。春と言えども、夜はまだ寒い。

 肌寒さで体を震わしていると京が来た。


「ほれ、差し入れ」


 京の手には缶コーヒーが二本あり、その内の一本を秀介へと差し出した。受け取るとじんわりと熱を感じ、冷えた指先を温めた。


「すみません。わざわざホットなんか用意してもらって」

「別にいいよ。その代わりオマエがいつも吸ってるタバコ、一本くれ」

「え!?塾長、タバコ吸うんですか?」


 そう言ってタバコとライターを差し出すと、京はケラケラと笑いながらタバコを咥え、シュボッと火を灯した。


 お互い外壁に背を預けてしばらく無言でいると、モクモクと煙を吐き出した京がぽつりと呟いた。


「タバコさ、吸ってたの大分昔なんだ。子どもが生まれてからはやめたんだ」

「お子さん、いらしたんですね」


 秀介が目をまんまるにさせて驚いていると、「意外か?」なんて言いながら京は笑顔でタバコを吸う。


「娘が一人な。22の時に生んで、今は中学2年だ」


 京は続ける。


「男の少ないこんな世の中だ。基本的に女性は、少子化対策で男性が政府へと提供した精子バンクを元に、人工授精して妊娠するんだ。大抵のシングルマザーはそう認識していいだろう」


 京は缶コーヒーを口にし、喉を潤す。


「塾長も、そうだったんですか?」


 秀介の問いに、京は首を横に振った。


「大学に通ってた男でたまたまアタシのことを気に入ったやつがいてな。そんで、付き合ってる内にさ……デキちゃったんだよ。その時のアタシは漠然と、あぁ彼と結婚するんだなー、て内心かなり喜んでた。でも……」


 京の表情に陰りが見られた。


「……彼は妊娠それを拒絶した。そして『俺と付き合い続けたいんだったら堕ろせ』とか言われてさ。……もう幻滅だよ。この人はアタシと一緒になるつもりがないんだな、なんて考えると腹が立ってね。そんで一発殴って別れた」


 秀介は、只々黙って彼女の話を聞き続けた。


「それからは一人で育てた。塾の講師やってるのも、娘に勉強を教えるためなんだ。アタシは妊婦になったことで途中から大学行けなくなってな。単位取れず留年したから、いっそのこと辞めちゃえってな。だから、娘にはきちんと勉強してほしいんだ」


 娘の話をする京はとても優しい表情を浮かべていた。


「大切なんですね、娘さんのこと」

「そりゃ手塩にかけて育てた娘だからな」


 ニカッと笑う京に釣られて、思わず秀介も笑顔になる。


「僕も、元々勉強苦手で塾に通ってたんです。そこの担当の先生がとても面白くて、また教えるのが上手んですよ。いつしか、僕もあの先生のようになりたいなと憧れを抱くようになって、塾の講師を目指したんです」

「へぇ〜、そうだったのか。じゃあ秀介は、その人から塾の楽しさを教わったんだな」


 そう言われて、秀介は少し照れ臭くなる。

 照れ臭さを紛らわせようと、話を振る。


「でも、塾長も自分の塾を持つだなんて凄いことですよね」

「初めは娘のために始めた塾講師も、段々やりがいを感じてな。そしたら自分で塾を持ちたくなってこうなった。でもなー……」


 京が一呼吸置く。


「昔殴って別れた男がさ、当時のことを根に持ってて腹いせでウチの塾にちょっかいかけてきてよ。そいつの女が来たり、孕ませ目的のビッチだー、とか言われたり。まあ酷かったよ」


 秀介は京の悲惨な過去に何も言えなかった。


「今はもうとっくに被害はないよ。多分飽きたのかねぇ。……だから、秀介が初めウチの塾をうろついてた時は、またあの男の差し金か、なんて疑ったもんだ。……あの時はスマンかったな」


 京が申し訳なさそうに頭を下げる。


「い、いえいえ!僕は全然気にしてないです!……僕が塾長の立場でも、同じこと考えてたと思います」


 秀介のフォローに、京は胸が温かくなった。


「ホント、秀介は優しいな」


 京はそういうと、いつの間にか短くなっていたタバコを缶コーヒーの中へと突っ込み、裏口の扉へと歩いていく。


「そういえば、しずく桃杏もももオマエのことを認めていたぞ。ちなみに、ここだけの話な。だから……」


 そういうと京は歩みを止め、秀介の前へと向き合い手を差し出す。そして、ハニカミながらこう言った。


「……これからも、よろしく頼む」

「……ッ!はい!よろしくお願いします!」


 秀介は大きく返事をし、京の手を取った。

 

 嬉しい……!

 塾長を始め、水瀬さんや氷崎さんが俺のことを認めてくれたことに。

 安井塾ここで働けて、みんなと出会えて、本当に良かった。特に、塾長には感謝してもしきれない。こんな俺を受け入れてくれた塾長のためにも、精一杯恩返ししていこう。嫌な過去を経験した塾長には、是非とも幸せになってほしい。俺が塾長のために出来ることがあれば、全力で支えたい。


 秀介は京の手を握ったまま感極まった。そして、今にも溢れだしそうな感謝の想いを述べた。


 「塾長!俺、一生塾長のために頑張ります。頑張って働いて、雇ってくれた恩返しして、そして──」


 秀介は京を見つめてこう言った。


「塾長を、幸せにします」


 静寂──。

 月夜が照らす中、秀介は満面の笑みで京に微笑んだ。

 先ほどの秀介の言葉に、京は顔を伏せぶっきらぼうに答える。


「……そ、そうか。今後もきっちり働いてくれよ」


 そういうと、京は一足先に裏口の扉を開き、中へと入った。

 そして入るや否や、バタンと閉まった扉を背にズルズルと床へと腰を落とす。


「……そ、そんなのズルすぎるだろォ」


 秀介の言葉、増してや男性からの女性を労ったストレートな想いに耐え切れなかった京は、恥ずかしさのあまり悶えていた。


「……どうせなら最後、名前で言って欲しかったな」


 京の呟きは、誰の耳にも入らず静寂の中へと消えていった。




「お疲れ様です、水瀬さん」

「あ、高山クンお疲れ様」


 あれから俺は、正規への書類手続きをし、晴れて安井塾の正社員となった。


「あれ?高山さん何でここにいるんですか?クビなのでは?」

「クビじゃねーよ!試用期間終わって正社員になったの、氷崎さんも知ってるだろ!」


 知らない世界に迷い込んだときはどうなるかと思ったが、良い縁にも恵まれた。


「秀介ー、給料上がったんだからちゃんと仕事しないと減給な〜」

「塾長!冗談キツいですよォ!」


 家族や友人に会えないのは寂しいけど、こっちでも大切な仕事仲間が出来た。

 元気にやっている。

 だから、俺のことは心配しなくても大丈夫だ!


 ……え?

 塾講師してたお前が、何の仕事に就いたかだって?


 それは──。



「男が少ない世界に転移しましたが、前の世界と変わらず塾講師をしています」



fin.

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