第5話 物静かなアルバイト

「こ、高山こうやま先生!今日もありがとうございました!とても分かり易かったです!」

「うん。気をつけて帰ってね」

「ハイ!失礼します!」


 秀介しゅうすけ柚乃ゆのの担当となって、数日が経った。

 初めは緊張のあまり上手くコミュニケーションを図れなかった柚乃だったが、秀介の受け身で優しい対応のおかげで、大分緊張せず喋れるようになってきた。むしろ、たった数日程度で柚乃の方からグイグイと話しかけに来ている。初日は常に秀介の顔色を伺いながら喋っていたのに比べれば、飛躍的な進歩だ。


「いや〜、ああも勉強熱心な姿を見てると、講師冥利に尽きるってもんですね、塾長!」

「むしろアタシには熱烈なラブコールにしか見えないんだがな」


 けいは柚乃の秀介に対する視線が、それはもう恋する乙女全開であるのが遠目からもヒシヒシと伝わってきていた。

 分からないところを教えてくれている秀介の顔をまじまじと見つめていたり、「ここを教えてください!」と言いながら前のめりになって秀介の体に密着しようとしたり、秀介に「良く出来たね」と褒められると頬を染めながら口をもにょもにょして照れたりと、それはもうあからさまだった。


 にも関わらず、この男は「可愛げのある生徒ですよね」なんてほざいてやがる。オメーの脳味噌どういう作りしてんだボケ。


 ハァ、と溜息をついてると雫が京のところへとやってきた。


「京さん、そういえば桃杏ももちゃんって明日からでしたよね?」


 雫の言葉に京は「おお、そういえば」と呟く。


「桃杏ちゃんって誰ですか?」


 秀介の疑問に京が答える。


「あぁ、言ってなかったな。ウチのアルバイトだよ。氷崎桃杏ひざきもも、この春で大学2年だったかな。春休みから新学期にかけてはウチも生徒数が少ないから休ませてたんだ」


 そうそう、と前置きをした後、雫は秀介へと忠告をする。


「桃杏ちゃんて、少し人見知りなところあるから、失礼なことがあってもあまり気にしないであげてね」


 雫が優しい表情を浮かべ言う。

 秀介はその表情から、何となく桃杏がシャイな子なのかなと理解した。




 ──次の日。


 いつも通り、オフィスには京と雫、秀介の3人の姿があった。

 そして、時刻は17時半を過ぎた頃──。


「お疲れ様です」


 物静かで、淡白な声が響いた。

 その声に京と雫が反応する。


「お疲れさん」

「あ!久しぶりだね、桃杏ちゃん」


 雫はフリフリと手を振り、それに対し桃杏はぺこりとお辞儀をする。

 秀介も桃杏の方を見る。


 綺麗な黒髪のショートボブ。青いフレームのメガネをかけており、知的な雰囲気を演出していた。だがそれに反して身長がかなり低いので、折角の知的な雰囲気が良い意味で台無しだ。

 つまり、小動物のようで可愛いのだ。


 桃杏がオフィスの方へと向かう際、秀介と目が合う。たちまち秀介は立ち上がり、桃杏に挨拶をする。


「初めまして、高山秀介と言います。よろしくね、氷崎さん」


 すると、桃杏の表情があからさまに不機嫌になる。


「……ハァ。塾長から聞いてたけど本当にいるんだ、男の人」


 ぼそりと呟く桃杏の言葉を、秀介は聞き取ることができなかった。すると、桃杏が一言。


「……氷崎桃杏です。別に、私はよろしくするつもりはないので」


 キッと秀介を睨みつけそう言うと、桃杏は自分の席へと向かった。


 ……え〜〜ッ、何であんな愛想ないのォ!

 俺、何もしてないんだけど?


 唸りながら悩んでいると、隣から雫の声が聞こえた。


 「ご、ごめんね高山クン。桃杏ちゃん、結構男の人が苦手なんだ」


 水瀬さん、最初からそれ言ってくださいよ。

 俺てっきりシャイな子なんだろうなー、とか勝手に想像しちゃってたよ。


 それから数日経ち、ちょくちょく氷崎さんとやり取りして分かったことがある。

 彼女は基本、事務会話以外はほとんど喋らない。たまに水瀬さんが彼女に世間話を振る程度で、またそれに対しても口数少なく返答している。だが、水瀬さんと話をしている時は、心なしか薄らと笑顔が見える。

 わー、水瀬さん良いなー。俺なんか話しかける度に毒舌で返されるんだけどー。

 この前なんか交流を図ろうと「趣味とかあるの?」て聞いたら「は?あなたに関係なくないですか?」て言われた。解せぬ。


 そんなある日、いつものように出勤してきた桃杏の手には書店の袋がぶら下がっていた。

 それに気がついた雫が問いかける。


「あら?桃杏ちゃん何か本でも買ったの?」

「は、はい……。ここに来る途中、参考書を」


 「勉強熱心ね!」と雫が言うと、その会話に秀介が参加した。秀介は、嫌悪されてる桃杏とは職場の同僚である以上、どうにかして親睦を深めたかった。


「へー、参考書か〜!どんなの買ったんだ?」

「え、何で高山さんに教えないといけないんですか?」


 相変わらずの毒の吐きっぷりに秀介はがっくしと肩を落とす。

 秀介の様子を見かねた雫がフォローに入る。


「まぁまぁ。私も桃杏ちゃんが何を買ったか気になるな〜」


 雫がそういうと、桃杏の肩が少しだけ跳ねた。

 そして、おずおずと口を開く。


「……い、いやぁ。その、実は資格本でして……」

「そうなの?何を受けるの?」

「……合格するまで内緒です」


 この桃杏のやり取りを見て、秀介は何か怪しいと感じた。やけに袋の中身を教えたがらない様子に、どこか既視感を覚えていた。

 ……そうだ!


 あれは前の塾でのこと──。

 自分の担当していた男の子で、講習中によくふざける子がいた。勉強をしたくないという理由から、お喋りばかりするお調子者だ。

 ある日、その子のカバンの中に本屋の袋が入っていたことから「何を買ったの?」と聞くと、「参考書だよー」と言った。

 普段勉強しないやつが参考書を買う、というのに違和感を覚えた俺は、その子のカバンに入っている袋を取り上げ中身を見ると、なんと漫画が入っていた。

 ちゃんと勉強するまで没収だ、と言うとその子はしぶしぶ勉強に取り掛かったのだ。


 つまり、氷崎さんの持っている袋の中はズバリ漫画なのではないだろうか。

 普段、真面目な彼女からは想像が出来ないが故に、ちょっと可笑しくも思えてきた。


 ニヤニヤとしながら桃杏の方を見ていると「何ですか?気持ち悪いです」と言われた。


 氷崎さん。その言葉、無表情で言われると結構キツイです。

 


 そんなこんなで夜も更けていき、


「では、お先に失礼します」


 桃杏はそう言うと席を立ち、エントランスの方へと歩いて行った。

 秀介は「お疲れ様」と声をかけたのと同時に、桃杏の机の棚に書店の袋が差しっぱなしであるのに気がついた。


「あ、氷崎さん。忘れも……」


 瞬間、ハッと秀介は思いとどまった。

 桃杏が後ろめたそうにしていた、書店の袋の中身がやけに気になったのだ。


 ……よし、こっそり見てやろう。

 そもそも、きちんと答えない氷崎さんが悪いんだ。真面目なクールに見えて、実は漫画好きでした、とかなら今後漫画の話題とか振りやすいしな。

 少年漫画とか好きそうだな。いや、案外少女漫画とかかなぁ?


 そんなことを考えながら、秀介は桃杏の机の棚に手をかける。

 そして、ゆっくりと袋から本を抜き出し、表紙をみると──。


 『お姉様、そこはダメ!~心身乱れるペニバンセ◯クス~【女性誌 R-18】』


 スッと本を袋の中に戻す。



 ………………へ?

 何これ?

 少年、少女すっ飛ばして成人まで行ってんだけど。

 てか、何?

 普段あんなに澄ました顔しといてこんなもの読んでんの!?

 でも、まあ人の趣味嗜好はそれぞれだからなぁ……ていうか!


 秀介は成人誌がオフィスに放置されている現状に焦り、すぐさま物を持ってエントランスに向かい走り出した。


「ひ、氷崎さん!!」


 桃杏は突然の大きな声にビックリしながら振り返る。


「……な、何ですか?」

「こ、これ!忘れ物!」


 そう言われ、桃杏は秀介の手元に視線を向ける。

 その瞬間、桃杏の顔が一気に赤くなった。

 すぐさま秀介の手から袋を奪い取る。


「………………あ、あの」


 桃杏が呟き、束の間の静寂が訪れる。 

 秀介は桃杏が何を言おうとしてるのか、手に取るようにわかる。何せ、桃杏の顔、まして耳まで真っ赤にされれば嫌でもわかる。動揺からか、恥ずかしさからか、目には薄らと涙が浮かんでいる。


「……中身、見ました?」


 ……どうしよう。

 正直に答えるべきか、嘘をつくべきか。

 いや、でもここで何か進展を起こさねば、氷崎さんとは仲良くなれない気がする。

 ならば、俺の答えはただ一つ。

 彼女の尊厳を傷つけず、適切なフォローを──。


「お、女の子同士でも愛があれば大丈夫だッ!」

「高山さんのバカーーーッッ!!!」


 桃杏は顔を真っ赤にし、泣きながら帰っていった。

 秀介は「あれ!?ダメだった!?」とエントランスで一人、右往左往しながら困惑していた。



 後日、めちゃくちゃ謝った。

 

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