第6話 ③ 赤
「で、終わったの? お二人さんは」
同期で同僚の平岡信之は、そう聞いてくると、醤油ラーメンを一口啜った。
「いや、その日のうちに『ごめん。仲直りしたい』って、LINE入ってきたよ」
答えて、僕はかき揚げうどんのかき揚げにかぶり付く。
ふーん、と独り言のように言うと、同僚の彼、ノブはチャーシューを口に放り込んで、
「で、どうするの?」
「もちろん仲直りするよ。こっちだって、今更、単なる友達としてなんて見れない」
箸を止めて力強く答える僕に、ノブは複雑な顔をした。
「まあ、じゃあ問題はないんじゃないかな……カズがそれを望んで、それでいいんなら、さ」
少し、胸が軽くなる。あの日の事、打ち明けてホッとした。
カズはそんな僕をちらりと見ると、両手でどんぶりを持って、スープを飲みだした。
〇
週末、月明かりがやけに冴えている夜。駅前の飲み屋街の明かりは、負けじと歩道を煌々と照らす。どの店も、大勢の客の喧騒に満ちていた。
僕と美樹は、そのなかの一つの店内にいた。なんて事のない、大手のチェーン店の居酒屋だ。
「この間はごめんなさい。私……」
そう言うと、美樹は口を噤む。
「こっちこそごめん。美樹の気持ちを考えてなかった。
言い訳するつもりじゃないけど、自分の気持ちが止められなかった」
アハハ……僕は力無く笑う。
しかし、カッコ悪いな。一人で突っ走って……カラ元気も出ない。今更ながら、ダメージ大きいわ。
「ううん、違う。私もそういう気持ちになっていた所あった。嬉しかった。
ただ、私……」
また、美樹は口を噤んだ。
これじゃ、美樹の事情は分からない。でも、言いたくないのなら、仕方がないだろう。
「とりあえず、このくらいにして、食べようか」
と言うと、美樹は小さく頷いた。
美樹は箸を取って、小皿に伸ばす。“トマトとチーズのイタリアンサラダ”。薄切りにされたトマトとモッツアレラチーズの、赤と白の彩りが洒落た雰囲気だ。
僕は、テーブルに水溜まりを作るくらい、水滴の汗をかいたジョッキを、ぐっと仰いだ。
ぬるくなってしまったビールが、僕の口の中に広がった。
--トマトは南米が原産で、十五世紀にアステカ帝国に上陸した白人たちによって、ヨーロッパに持ち替えられ、そこから世界に広がった--
というようなウンチク話は僕も美樹も好きなので、いつものように話は弾んだ。心なしか、美樹も少し元気になったように見える。
「赤い色って、私好きなの。トマトを太陽の恵みっていうけど、そういうイメージがあるのは、やっぱり原産地からかな。アステカ神話とか、太陽崇拝のイメージあるし」
「上陸した白人を、神話の神と勘違いして受け入れてしまって、そこから滅亡の道を歩んだんだよね。
でも、その白人がトマトの原種を持ち帰って、世界に広まったって、なんか皮肉だよね」
「そう考えると、悲しさもあるよね」
言って、美樹はトマトを咥えた。赤と赤。トマトと、それよりも深い、唇の赤。それは僕に血を連想させる。
そういえば、あるアステカの神の祭祀には、若い男の心臓を捧げるというのがあったな--
「カズくんは、トマト嫌い?」
ふと掛けられる美樹の声に、はっと意識が戻る。
「いや、嫌いでもないけど、好きでもないかな。サラダぐらいしか馴染が無いし、あまり食べないかな。男の身としては、イタリアンとか、あまりそそられないし」
「ふぅん。
中華風ならどう? トマトと卵の。簡単に作れるよ。
……今度、作りに行こっか?」
「へえ、それはいいね。うん、頼むよ」
「また……カズ君の部屋に行っていい、よね」
美樹は言葉を詰まらせながら、遠慮がちに言う。
「いいよ。いつでもおいで」
平静を装って応える僕だけど、ドキドキと胸が早鐘を打っていた。
きっと、僕の心はもう、美樹に取られてしまっているのだろう。そう思う。
〇
休みが明けて、また仕事が始まった。
僕は先週末の美樹との事を、早速ノブに報告する。
「そっか。仲直り出来てよかったじゃん」
「ああ」
満面の笑みを浮かべる僕を見て、ノブは声を落として言う。
「こういう事、言っていいのか分からないけど、カズさ、白金の事、本当に好きなのか?」
「そりゃ、気が合うし……僕にはもったいないくらい位の美人だし。
この会社にいた時だって、評判だったろ」
ノブの言わんとする事が分からない。何でそんな事を聞くんだろうか。
「美人だって言われてたけど、人気は無かったぜ。そこはお前の勘違いだよ。
どこか違うんだよな……嫌悪しているって訳じゃないんだけど、忌避感っていうか。実際、あいつと仲のいい奴、居なかっただろ」
「とっつきにくそうってイメージはあったけど……」
ノブの言う事が本当に分からない。意外と気さくな人だって言うのは、ノブに伝えてあるのに。
ノブははっとした顔をして、
「ごめんな、変な事を言って。
別に白金を貶めている訳じゃないんだ。悪い奴じゃない。むしろ、良い奴だってのは、カズから聞いて知っている。
実際、カズは幸せなんだろうし、余計なお世話だよな。本当、ごめん」
バツが悪くなったのか、言うやノブは僕に背を向けた。
僕は、すたすたと去っていくノブの後姿を、茫然と見送っていた。
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