第5話 ②-② メドゥーサ
僕が小皿に唐揚げを乗せ、レモンに手を伸ばそうとする。と、美樹が先に取って、僕のためにレモンをキュッと絞ってくれる。
美樹は指に付いたレモンの汁をぺろりと舐めて、
「カズ君、レモンを掛けて食べるのが好きなんだね」
「うん。揚げたてなら、絶対こうする。
出来合いのものなら別にこだわらないけどね。べちゃべちゃして脂ぎっていて、どうでもいい感じ」
「ふふ、分かる。
……カズ君の好み、覚えておくね」
少し照れて言う美樹に、何となく、心が温かくなる。嬉しくなる。こういうの、いいな。
ふと、美樹は小鉢に箸を伸ばした。短冊に切られた胡瓜と、透明なものを摘まんで、つるりと口の中に滑らせる。
あれは、僕が買ってきた、『中華くらげと胡瓜の酢の物』だったか。
「くらげは消化を助けるの。だから、中華料理では前菜に出るんだって」
「へえ。って、そのくらげって、あの海月?」
「そう。あのくらげ。エチゼンクラゲとか大型のものを塩蔵したもの。
日本でも昔から食用にされていて、くらげは夏の味覚なの。この辺じゃあまり見ないけどね」
美樹は再び箸を伸ばす。くらげが唇を滑る。
「カロリーめっちゃ少なくて、コラーゲン豊富なのよ」
ふふ、と笑う美樹を見て、僕はふと思った。
美樹は変わったもの……極端な話、ゲテモノ好きなのでは? で、それが男の趣味にも表れている、とか……
いやいや。と、自分で自分の考えを否定する。
僕はそこまで醜男じゃないぞ。変な趣味嗜好も持ってないし。ただ、自慢できるような突き抜けたものも無いけど……
はっと、僕は考えるのを止める。また思考が後ろ向きになっている。今はそんな事考えちゃいけない。
「そういえば、水族館でくらげがライトアップされているのを見たことあるよ。
青い光で映されていたのが、幻想的で綺麗だった」
「うん。
でもね、くらげの成体の事を『メドゥーサ』って言うんだって。
何でそんな怖い呼び名、付けたのかな?」
「さあ……触手が何本もあったり、毒を持っていたりするからかな」
「そうなのかな。おばあちゃんには、海に行くときに、気をつけろってよく言われたけど」
「おばあちゃんって、沖縄の?」
「うん。あそこには、強い毒を持った種がいるから」
美樹のおばあちゃんの夫は米兵だそうだ。だから、美樹はクオーターになる。
美人な訳だ。
僕もくらげの酢の物を口に入れた。コリコリした触感が、酸味と合って美味い。
何となく、僕はムキになって咀嚼して、勢いよくビールで流し込んだ。
〇
食事を終え、僕たちはテレビを観ていた。
テレビから、楽しそうな芸能人の笑い声が聞こえてくるが、そんなもの、僕の耳には碌に入ってきていない。
僕の意識のほとんど全部、並んで座る隣の美樹に行っていた。
肩の触れそうな距離から、美樹の体温が伝わってくる。ただそれだけの事が、僕を冷静でいさせなくしてしまう。
ふと、美樹が身体を小さく揺すったかと思うと、僕に身体を密着させてきた。
半袖から露出している腕に、美樹の腕が触れる。滑らかな女性の肌が擦れる事、それはもう官能の域だった。
横目で美樹を見ると、顔を真っ赤にしていた。
それはそうだろう。いくら異性を美化したとして、女性だってパートナーを求める本能は確実にあるのだから。
胸が痛いくらい高鳴る。顔が熱い。本能が、彼女を欲している。
僕は美樹の方に身体を向けると、俯いている美樹の頬に手を伸ばした。美樹は小さく身体を震わせた。
僕はもう片方の腕を伸ばし、美樹を抱きしめようとする--
「駄目っ!」
刹那、叫び声が聞こえたかと思うと、僕は激しく突き飛ばされていた。
突然、夢から叩き起こされたような。僕はただ絶句して、美樹を見つめていた。
「ごめん……なさい」
ふらふらと力なく立ち上がる美樹に、僕はやっとの事で声を絞り出す。
「こっちこそ、ごめん。驚かせたみたいだね……」
「……カズ君は悪くない。謝らないで」
「でも--」
僕の言葉を、美樹は遮って、
「今日は、帰るね。ごめんなさい」
パタン。ドアの閉まる音。後は、静寂。
やがて、シトシトと降る雨の音が、やけに鮮明に聞こえてきて、耳に張り付いて取れなかった。
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