83話 邪霊を屠る、人間を導く剣となれ!


「そうですか。リヴィアタンがかしずく相手は聖霊の愛子あやし。なるほど、それなら合点がいくというものだわ」


 ミケの報告を聞きながら、ネキアは自由都市エーベを中心とした索敵魔術陣を起動させている。巨大な天球儀を模したそれには、黒く霧のような靄を映し出していた。その黒霧は、果たして黒母が率いる黒針の大群であった。天異界の一層を飲み込まんとする黒きカーテンが天異界一層の狭間から徐々に広がりを見せていた。


「ここまでの黒針の活性化と規模から察するに、『災呪の穢れ』が率いているのに相違ないでしょうね。だけど、このような事態を六律系譜が看過するはずがないわ。そうであれば、黒針を率いる黒魔術師に何か秘策があるということなのか、それとも‥‥‥」


 ネキアの眼鏡の奥に考察の光がともるのを、ミケは静かに見上げていた。ミケの支配者であるネキアはこの世界の理の外から訪れた『来訪者』である。来訪者はこの世界に自らの原典系譜を作ることはできない。しかし、ネキアは、はるか昔に黒魔術師に囚われてその半身を聖霊の贄との融合実験の材料とされ者。その実験の結果として、疑似的な原典系譜を魔術によって形成することが可能となり、その疑似系譜によって自らの配下との繋がりを確保しているのだとミケは聞かされている。

 黒魔術師の手から逃れたネキアは、自らの疑似系譜を土台として天異界の3層にその身を置く存在までに自らの実存強度を高めた者となっていた。

 ネキアは別名『研究者』として知られており、その異名の通り、研究を高めるために所領の浮島に出入りの制約を取り払い、多くの資源と情報を招き入れている。そして幾多の聖霊たちも、その資源と情報を求めて集ってきているのだった。それらの聖霊のなかにミケもいて、紆余曲折の末にネキアの配下となった。ただ来訪者の配下となる聖霊は変わり種と呼ばれているが。


「ネキア様。やはり黒魔術師は、このエーベに向かってくるのでしょうか?」

「間違いないわ。この宙域にある浮島の中でもエーベの浮島が格段に大きく、その浮島の中心結晶核は彼らにとってまたとないエサでしょうね。それにこの都市には聖霊の愛子がいる。愛子、いわゆる原始聖霊は黒魔術師の存在を、さらなる次元に押し上げるのに必須の材料‥‥‥存在です。見逃すはずがないわね」

「戦力は十分なのですか?」

「それはミケ。貴方が約束を取りついだリヴィアタン様を頼るのが一番ってことよ。この都市エーベは私たちの重要戦略拠点。絶対に落とすわけにはいかないのだから」

「ランドウも早く来ればいいのに‥‥‥」

「彼には実存強度を上げてもらうことが、今後のことを考えたうえでの戦力の増強になるのよ。それまではミケ、貴方に頑張ってもらいましょう。頼りにしているわよ」

「ま、まあねっ! あたしがいれば黒魔術師の2~3人なんて屁でもない」


 ネキアは、不安を吹き飛ばすように胸を張っているミケの側まで進み、「さあ、聖霊の愛子と六律系譜の王者を出迎えるとしましょうか」ミケと共に浮島の中心結晶核の広場に向かって歩いて行くのだった。





 天異界の狭間近くの浮島にファディが立っている。そのファディの眼前には8万余名にも及ぶ黒魔術師たちが整然と立ち並んでいた。彼らは静寂に包まれ、ただファディの言葉を待っているのだ。

 無音を切り裂く一声が落ちる。


「私たちの手にあるは『堕ちし纏われの崇忌すいき』。その封印は今や完全に解かれ、再び人間と共に在る事を受け入れました。久しく邪霊から掠奪され続けていた修久利しとめが、今まさに人間のその手に戻すことが叶ったのです」


 ファディの背後には巨大な繭に包まれた竜―――弥覇竜ジダがいた。その頭蓋から尾にかけて幾多の杭が打ち込まれ、胸には一際ひときわ禍々しい巨大な杭が体をえぐり貫いている。その杭こそが聖女の遺物―――黒糸杭くろしえであった。

 黒魔術師の本拠である宗国から派遣されてきた主力部隊が、ファディが言葉を紡ぐ先に視線を合わせる。全ては人類が自らの脚で立つために我らは道具となり、礎となるモノである。戦端は開かれた。8万と有余の黒魔術師の軍団はその闘志をさらに過熱させいく。天異界に巣食う邪霊どもを一掃せんとする精鋭達。彼らの一人一人が天異界3層・『骸の冠』に属する者達と同等の力を持つ存在なのだ。


「聖女の連樹子・黒糸杭くろしえによって、我が身とこれは不可分となりました。そして私たちが向かう先は都市エーベ。彼の地には六律系譜を体現するリヴィアタンがいます。さあ、弥覇竜ジダを用いて人類の鎖を今こそ砕き散らすとき。まさに人類が自らの意思で歩き出す一歩となろう」


 ファディは弥覇竜の前に進み、その黒糸杭に両の手のひらを掲げて奇跡を行う。


「聖女の炎よ、我らの元に来たれ。邪霊の僕と化したこの者の魂を、遍く我ら子らの元で再び目覚めさせ、聖女の力でその魂を満たし給え。慈悲深き聖女よ、我らの命を受け取り給え。この者―――弥覇竜を貴方の腕の中に包み込み、この者に安らかな息吹を与え給え。御身の力の顕現―――黒糸杭くろしえによりて再び我ら人類に聖女の恩寵を与え給え」


 恭しく頭を下げてファディは、黒魔術師の聖女の恩寵を受ける。

 弥覇竜の体中に突き刺さっている杭が、その肉と骨を捻じ砕くように深部に潜り込み、血の様にほとばしるエーテルが黒魔術師たちに雨のように降り注いでいた。

 ファディが祈りの所作を終えたとき、最後の杭―――黒糸杭が弥覇竜の体内の深部に到達した。唸るような竜の咆哮が響き渡り、体表下を黒き棘がうねり浸食しているのが見てとれた。


「彼の目が開かれ準備は整いました。私たちの新しい夜明けを、邪霊どもの生命で紅く染め上げましょう」


 ファディが他の黒魔術師に聖女の秘術が完了したことを知らせる。その言葉通りに弥覇竜の目が開かれ、紅い瞳が天異界のすべてを滅ぼすように冷たく輝いていた。

 黒魔術師の部隊はファディを筆頭にして隊列が組み直され、その彼らの周囲の空間が闇に飲まれていく。その闇は黒母が織りなす黒針の巨群が創り出したもの。その数多の黒針によって天異界の光は覆い尽くされていくかのようだ。もはや漆黒の波となった黒針は、黒魔術師に誘われるようにして都市エーベを目指してなだれていくのだった。



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