42話 承継。真慧に至らんと欲するか?

「大悟を目指しても無道乖離に行く必要はないべ。俺自身も『六道真慧りくどうしんえ』を目指してるわけじゃねえからな」

「ええ。でも、ペルンさん。その気になったらいつでも言って下さいね」


 そう言ってからユリは寂しそうに微笑む。武の道を歩くものは誰しもが『六道真慧りくどうしんえ』を目指すもの。それはユリとて例外ではない。彼女がいつも寂しそうにするのは父親を思い出しているときだった。そんなユリの頭をペルンは無作法に撫でる。ユリはその心地に、いつかの父親の姿を重ねてしまうのだ。


「分かっています。ですが、気を付けてください。『天に奉納する者、真慧なるものあり。天に背き自らの欲に沈むもの、ことごとく纏われる』ということを。真慧の技は決して我欲で放ってはいけません」

「ああ、分かってるべ」


 ユリには感謝している。農具を持つことしかできなかったペルンに剣術という守る力を教えてくれたのは他ならぬ彼女だ。ココと一緒に追いすがる敵の目をかいくぐりながらこの地に辿り着いたのは果たしていつの頃だったろうか―――。


「ペルンさんの手に持っているそれ。ノインさんに贈るのでしょう?……もしかしてとは思いますが、正式な弟子入りを認めるのが恥ずかしいってわけじゃないですよね?」


 彼女の声に我に帰る。ユリに指摘された特殊鋼の棒がペルンの手に握られていた。彼が数日の間にユリの指導を受けながらココと共に精製した合金で、ノインの連樹子に少しでも耐えられるようにと願って鍛えたものだった。


「いんや、農具にでも使おうかと思ってよ。こう……握ってだな」


 そう言ってペルンは押し黙る。さすがに言い訳が苦しいのか、彼は頭を掻いて話始める。


「すぐにでも根を上げると思ってたけんどもな。毎日欠かさず、良くやるもんだべよ。俺が百年かかった道をわずか数カ月で駆け上っていくっつーのには、たまげてるけどもな。まー、さすがココが千年をかけて作り上げた魔動人形ノインってことか」


 ペルンは樹に預けていた背中を離して「だが、まだまだ未熟ではあるけどもな」と、鋼棒を握りそれを肩にのせた。彼をじっと見つめているユリに少しだけ笑ってみせる。  


「じゃあ、ちょっくら行って、剣術ってやつを教えてくるべよ」

「はい」


 ユリの返事を片耳に入れながら、ペルンはノインの練習の場に歩き出す。樹の枝下から抜け出すと、本降りの雨が容赦なく彼の体を叩きだす。「こんな雨の日に、本当に真面目な奴だべよ」とノインのいる場所を目を細めて見ていると、自然と口元に笑みが寄せてしまう事に気付いて無理矢理にへの字に曲げた。


 

 ノインは思う。雨の日の素振りは、晴れや風吹く日とも違い木刀に当たる雨粒が木刀それ自身に纏わりつく。もちろん、晴れの日は日差しが視界を遮ることもあるし、風の日はその風圧が体の重心軸を揺らす。現在、彼が剣術の練習をする広場は、長雨のせいで地面がぬかるみ足が泥に吸いつく状態だ。力任せに体を動かそうとすれば、踏ん張りがきかずに泥がぬめって足元が地面を泳いでしまう。だから、雨の日は本当にやっかいだと思う。


「よお、たこ踊りでもしてんのか?」


 気配は感じていた。だから声が聞こえた瞬間に木刀の切っ先をペルンに突きつける。


 ―――と、


 そこにペルンの姿はなく、木刀が虚しく空を切っていく。ノインの木刀を握る手にペルンの腕が絡みつき、横方向からの重い衝撃が放たれた。ノインは態勢を保とうと踏ん張るが、重心を乗せた軸足が泥の上を滑っていき尻もちをついてしまった。


「いい木刀だべ。作物の支柱にはもってこいの長さだな」


 いつの間にかノインの木刀がペルンの手に握られている。彼は片手に持つ木刀を振りながら、ノインが起き上がるのを待っていた。


「やっぱり、ペルン師匠のようにはいかないみたいです。でも、以前よりも体の動きは良くなったと思うのだけど、どうでしょうか?」


 泥で汚れた服を気にすることなく、ノインはペルンに並ぶ。ペルンはそんな彼の表情を受けて、ノインの前に鋼棒を地面に突き立てた。


「これば、使えや」

「え?」

「一度だ。一度しかやらねえから、良く見どくんだべよ」


 そう言って、ペルンはノインと対峙する。ノインは瞬間、何のことか呑み込めず鋼棒とペルンを交互に見てようやく合点に至った。ノインの瞳がきらりと輝き、鋼棒を強く握りしめる。


「ペルン師匠、お願いします!」

「―――修久利しとめ

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