旧版(第一部 悪霊 Evil spirit)

世界の始まり

1話 夢幻。永久に刹那に。


 夜闇を舞う花びらが春の終わりを知らせているのだろう。

 星々の瞬くいろを花びらにのせて春の淡さが舞っていた。その花びらの下で少女が夢に微睡んでいる。


 声が聞こえる。いつもの夢。それは男の問いかけから始まるのだ。



「世界は連綿と続く輪廻。力の循環そのものであり、それが幸福である。力へ進むことこそが祝福なのだ。しかし、君の力の祈りは断絶を謳う。全ての終わりを望むのか?」

「輪廻からの消滅、それがどうしたというのです。輪廻を無限に繰り返そうとも正しき道を行くことができねば悲しみしかありません。虚無を前にしても揺るがず、己が命で善きことを為す。それこそが歓喜というものです」

 少年の透き通った声が男の問いに答えを返す。


 少女は微睡む意識の中で彼らが誰なのかを必至に見ようと目を凝らすが、夢幻のなかでは視覚することも声を出すことも出来ず、ただ全てが陽炎に霞むだけ。


 男が再び少年に問いかける。


「輪廻こそが来世への歓喜であり、力こそが輪廻を望む渇望を呼び寄せる。汝に問おう。汝が喜びは誰が祝福する?」



 はっと少女が我に返った。一瞬ものあいだに何かを観ていた。それは、木々に咲き誇る花々の香りが少女に夢幻を見せたのだろうか。しかし、その疑問の答えは出るはずもなく、少女が垣間見た夢幻は目覚めたときには残滓も残さずに記憶から消えてしまうのだった。


 木々から零れ落ちる花びらが少女の顔に覆いかぶさり、少女はくしゃみをして寝ぼけまなこをこすった。彼女がいる場所は、重厚な金属色の輝きのする飛空艇の装甲板。最後の点検をしている最中に眠ってしまったみたいだ。その少女は両手で頬を叩き気合を入れる。


「よしっ!飛空艇、発進だよ!」



 大きな物音が響いてきている。それは荷造りをしている音。


 5彩色さいしょくの髪をした女性が星屑のざわめく夜空から目を離し、その物音に向けて問いかけた。


「本当に大丈夫なのですか?」


 女性の不安な声音が響く。彼女の5彩色の髪が肩の上で揺らめき、その整われた艶やかさが彼女の不安よそに凛とした美しさを奏でている。その女性の問いかけを、背中越しに受け止めた大柄な魔動人形は荷造りを止めて振り返った。


「がははっー!心配しなくても大丈夫だべ。準備も万全だからな」

「そう言われても、私は心配です」


 昂然こうぜんと笑う黄土色の魔動人形が、その機械然とした体躯の関節音を響かせながら女性―――年のころは17才だろうか―――の不安をよそに、納屋から最後の荷物を取り出し道具の点検をし始めた。



 ここは天異界に浮かぶ無数の浮島の一つ。そこに少女と魔動人形がいた。魔動人形は納屋から持ち出した魔動器を手慣れた手つきで整備し終わると、道具箱に詰め替えて蓋を閉じる。女性は彼の陽気な調子を壊さないように言葉を探したが見つからず、口から出た言葉には、そのままの気持ちをが乗せられていた。


「でも、ペルンさん。ペルンさんは農作業用人形です。これから行かれる場所は『狭間』でしょう?私は……とても心配なのです」

「んははっー、まったくユリは心配症だなあ~。まあ、なんだ。確かに危険な場所でもあんだけども、危険を冒してこその新種の種だべ!その種を畑に植えてどかっと収穫する。それを売りまくれば―――」


 すでに一攫千金を手にしたかのようにペルンと呼ばれた魔動人形は、両手で収穫高を表わす。そんな彼の仕草にユリは、その大きな黒い瞳に不安な気持ちを押し留める。危険な場所には行ってほしくなどない。だけど、彼の楽し気な気持ちも笑顔も否定したくはない。彼女は困惑を笑顔に乗せて頷くほかなかった。


「ペルンさんの畑は天異界で一番です。とても素晴らしい作物の種を手に入れられると思います」

「んだ!それで最強の畑さなるんだべ」


 ノリよく答えたペルンは、ユリに力強く拳を掲げてみせる。そして、納屋の前に準備した木箱を満足そうに眺めながら護身用の打刀を腰に提げた。ユリは小さな袋を彼に気持ちを込めて手渡す。「ペルンさん。これは、お守りです。絶対に無事に帰ってきて下さい」じっと見つめるユリの瞳を見返して、ペルンは頷く。そして、多少の気恥ずかしさを感じたのか、不意に視線を反らして話始めた。


「予定では10日程度の旅になるな。あ~、なんつったけか?『白亜の浜辺』ってのがあるんだとよ。そこさ行けば、宝物が取り放題ってわけなんだべ!」


 刀の柄頭をちょんと叩きながら、ペルンは得意げに話をしている。その話を聴きながらユリは思うのだ。狭間は天異界の各地に所在する世界の切れ目――不帰の黒霧と呼ばれてさえいる。一度足を踏み入れたが最後、もう二度と元の世界に帰ってこられる場所ではない。だから、最初は冗談だろうと思っていた。ただの与太話を信じることはないと思っていたのだけれど……。


「ペル――――ンッ!!」


 遠くから透き通るような明るい声が聞こえてきた。その弾むような声色は間違いなくペルンの主人であるココ・ニ―ベルのものだ。ユリはふぅと、大きく息を吐き気持ちを落ち着かせる。


 ―――そう、ココは不帰の黒霧である「狭間」からの帰還方法を手に入れてしまっていたのだ。


「ペルン!私は準備ができたのだぞ~」


 ココの開発した浮遊型魔動器―――船ちゃん3号に乗ってココが木々の上から現れてきた。淡白く発光する飛行艇は小さな家くらいの大きさで、主に貨物運搬用として稼働されているものだ。



 天異界には大陸というものがなく、宙に浮いている無数の大小の島により成り立っている。そのため各地の浮島の往来には自ら飛んで行くか、飛空艇といった魔動器や別の何かに頼るほかない。そして、ココ自身には自力で飛べるほどの魔力は備わっていなかった。だが、唯一誇れるものがある。それは魔動器製作能力であり、自身の魔力の不才を補って余りあるほどだった。


 そのココが新たに設計した動力炉―――不帰の黒霧を渡航する魔動器を完備した飛空艇が、そこにはあった。


「ココさんは、本当にすごいです」

 思わず口にしたユリの言葉を、ペルンは横目で聞き入りながら誰ともなしに呟く。

「まさか、本当に作り上げるとは思わんかったべ……」と。



「あ!ユリちゃんだあー」


 ココは船ちゃん3号から飛び降りるとユリに向かって駆けてくる。年のころは10才前後に見える少女――ココはその陽光を閉じ込めたようなブロンドの髪が、彼女の背中から腰までを覆っている。その毛先がカールしているくせ毛をはためかせて、ユリの胸に飛び込んできた。ユリはココを優しく抱きしめると、その長い髪を柔らかく撫でる。


「ユリちゃんは、今日もお花の匂いがする~!」


 そう言って、顔をユリの胸にうずめた。ココは既に出航の用意は済ませていて、動きやすい軽装の服を着こみ、厚めのタイツとキュロットで準備は万全の様子だ。

 時折吹き抜ける風にユリの調った5彩色の髪が大きく乱れ、それを片手で押さえながらココに言う。


「ココさん、本当に気をつけて下さい。狭間は世界の終焉と呼ばれている場所でもあります。危険を感じたら迷わずに帰って来て下さいね」

「うん!分かったー!」


 ココの笑顔を受けてユリはその彼女が作り上げた飛空艇を見やる。その重厚な船は目の前の小さな女の子とは不釣り合いな金属色の輝きを冷たく放っていた。



 ココたちの交易先である守護都市エーベで入手した情報―――狭間にあるという宝物庫の噂。そして、見つけてしまった航路図―――古文書を漁って見つけたという狭間に所在する「白亜の浜辺」に至る道のり。それが、ココのやる気を大いに燃え上がらせて、今日の出港の日を迎えたのだった。


「ユリちゃんも一緒に行くー?」

「私は大樹の守り目ですから……」

「そっかあ。ちょっと寂しけど、すぐ帰ってくるからさ!」


 ココの長いブロンドが陽光を吸い込み美しく輝いていている。そのココのクセっ気のないストレートのブロンドは、さらさらと風を包み込んで、これからの旅を期待するかのように煌めき出している。

 不意に、ココの大きな紅い瞳が彼女を見上げてきた。


「ユリちゃん、心配しなくてもだいじょぶだよー!私の設計は完璧だもん。必ずペルンと一緒に帰ってくるから!」

「ココ~~、荷物は積み込みは終わったべ。んでよ、さっそく新種探しの旅さ出発すんべ~」

「はーい!了解なのでーす!」


 ココはユリの手を離れ、彼女に大きく手を振って飛空艇に乗り込んでいく。

 ユリは浮島から離れることはできないと言う。彼女はこの浮島に聳え立っている大樹の守り目で、この大樹のある浮島から離れることは許されないと。だから、こうやって船に乗り込む姿を見つめるだけしかできないのだ。

 だから、ユリは精一杯の声を出して彼らを見送る。


「ココさん、ペルンさん!たくさんのお土産話を待っていますからね!」


 ペルンは船の舳先に仁王立ちして恰好をつけていた。確かに未開を切り拓く冒険は誰もが期待に胸を膨らませるもの。


「じゃあ、行ってきまーーーす!!」


 ペルンとココを乗せた船は、ユリを浮島に残して高く高く上昇していく。木々の高さを越え、山々の頂きをも越えて上昇していく飛空艇は、その動力炉の回転を大きく唸らせて旅立ちの合図を響き渡らせた。ユリは小さくなっていく船影に祈りを捧げる。


「主たる女神よ。あなたの限りない慈悲により、ペルン。そしてココの航海をお守り下さい」


 星空の中に白い軌跡を残しながら、ココたちの船は揚々と出港していった。


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