ライラ

遠原八海

Lailah

 黒々と熟れた葉は、しかし決して自然には落ちない。そうあれかし、と告げられて漸く、不可視の力に引かれて身を落とす。そうした権能を〈秋の巨神〉から与えられているのが、〈落葉らくようの精〉であった。

 〈秋の国〉のどこにでも……例えばカルカロスの村のはずれ、白い花弁を揺らすマグノリアの群生地にも……〈落葉の精〉たちの姿はある。彼女らの生態は穏やかなものとして知られ、日ごと決まった数の落ち葉を散らすほかは退屈そうに居眠りを繰り返しているのだった。落葉は〈秋の国〉全体で計画的に管理され、国の造園師たる彼女ら〈落葉の精〉たちによって常に疎密の安定が保たれていた。

 〈秋の国〉という呼称は特定の領土を指さない。〈秋の巨神〉による統治の及ぶ場所すべてが〈秋の国〉であり、いうなればそれはひとつの時代である。前任の神によって騒がしく繁茂した枝葉は〈秋の国〉に迎え入れられるにあたり、まさしくその本懐たる豊穣の悦びと、やがて待ち受ける逃れ得ぬ衰弱を知るのだった。

 常に落ち続ける落葉は、この国が〈秋の国〉である証となる。落葉の尽きた時〈秋の国〉は滅亡を迎える。したがって〈秋の国〉が続く限り、落葉の尽きることなし——そう祖母に教えられてはいたものの、自らが落とし続ける葉が尽きぬことは、彼女にとってはどこか愉快で、けれどどこか不愉快でもあった。幹から枝、枝から葉にまたがる生命の絡路を随意に断つことで、葉は枝元を離れて容易く落ちる。どうした都合か〈落葉の精〉にとり、その操作は甘美な幸福をもたらした。ひとつ、ふたつ、みっつ……数え唄でもするように落葉の権能を振るう、その年端もいかぬ彼女にとって、定められた枚数で落葉の仕事を止めなければならぬことには我慢ならない歯痒さすら感じていたのだった。……


 その日、川べりに茂る赤葡萄の葉を祖母とともに落としていると、不意に川の水面が激しく泡立った。あっけにとられる彼女を祖母が素早く抱き寄せた。自らを包む祖母の温かな背中越しに、憐憫を誘うほどに貧相な手足を持つ、硝子のように透き通った多面体が川から現れるのを彼女は見た。川から這い上がったそれは二、三度身を震わせると、すぐに寒々しい煌めきを放つ細かな結晶へと瓦解したのだった。

 あの日目にしたものは〈冬の騎士〉だと、そう祖母は言った。〈冬の騎士〉の持つ権能は〈秋の巨神〉の殺害であり、〈秋の国〉に終焉を齎す使徒として伝承されている……〈秋の巨神〉を死に至らしむほど強大な存在には見えなかった、と彼女は言った。もはや何千年と続くこの〈秋の国〉の長い彌榮いやさかを思えば——祖母も同調した。遍く地を照らす〈秋の巨神〉の威光によって、〈冬の騎士〉の力はひどく弱まっているはずである——ただこのような内地にまで〈冬の騎士〉が現れるようになったとは不吉なことだ……お前、見つけても絶対に近寄ってはいけないよ。

 彼女は頷きつつも、拾っていた結晶を懐深くに隠したのだった。……


 来たる祝祭の日。カルカロスの村の近辺に住まう〈落葉の精〉たちが我先にと着飾って都に向かう中、彼女は留守として一人残されることになった。いつもなら駄々を捏ねる孫娘の粛々とした見送りにも疑問を抱かなかったのは、それもやはり祝祭の高揚感によるもので……草木も寝静まる夜更け、棲家をはやり飛び出した彼女はその予感に違わず、あの日と同じ場所で蠢く〈冬の騎士〉の訪れを迎えた。

 夜の闇が水晶めく多面体に取り込まれ、その表面は深海のごとく揺らめく彼の姿だ。目も口もない無機物めいた彼の姿だ。彼女は恭しく膝を折り曲げ、この世ならざるものとの接触を昂揚のうちに噛み締めた。

 ——我らは〈冬の皇〉に連なるものなり。

 すべやかなる〈冬の騎士〉の表面から鳴り響くように、歪んだ声がそう告げた。その調子にこそ威厳はあれど、ぶるぶると頼りなく自動する胎児の如く貧弱な手足は、よもや騎士らしからぬ姿で……漠然とした興味がざわざわと黒い洪水のように膨れ、やがては彼の正体を問いただす詰問として溢れた。

 ——我らは騎士にあらず、我らはただ斥候なり。まだ見ぬ騎士を訪ね歩き、その目覚めを待つものなり。……

 ……



 そして飛翔する彼女が嗤う。


 ——さあ! 落ちよ落ちよ! 我こそが黄昏、我こそが嵐なれば!

 ——その権能振りかざし、天も地も覆え、災いなす落葉、天壌無窮の大洪水!

 ——何が豊穣、何が秩序! これこそは歪むほどの快楽、魂の腐り果てるほどの悦楽と知れ!

 ——さあさあ祝え祝え、終焉を祝え、祝宴とともに終わる秋を祝え!

 ——世界を貪るこの愉悦、誰にも譲るものか! 誰にも! 誰にも! ……


 こうして〈冬の騎士〉となり果てた彼女は、放蕩の果てに〈秋の巨神〉の断末魔を聴いた。

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