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 櫻井の捜索の手は県境を三つ超えるほどまでに広げられたが、依然として進展は無いようだった。今さら思い出したように取材に来た小さな地方紙にインタビューを受けたものの、櫻井について何も明確ではない俺は、もう何度目かもわからないぼやけた受け答えを繰り返すしかなかった。教室ではもはや櫻井という男がいたことさえ忘れ去られつつあった。教師としての仕事量は来たる文化祭に向けて苛烈さを増し、反対に生徒たちはといえば常に上の空で、俺たちと彼らはまったく別の世界の住人だった。ここでは彼らこそが主人公であり、俺たちは舞台装置に過ぎないことは明白だった。もはや介入の余地が無いことを知り、せめて彼らの正解への道のりを邪魔しないよう、俺は舞台装置に徹することに意識を注いだ。夏は誰に頓着することなく勢いを増していき、残春を食い尽くしていった。そうして一週間が過ぎた。



 体育館の壇上では校長が訓示を垂れている。一定の抑揚で紡ぎ出されるそれを真面目に聞いていると眠くなってくるので、極力耳に入れないようにしている。教師側の立場になってもそういう部分は学生と変わらないのだと気付いてすこし可笑しくなる。あるいはこういった話を真面目な顔で聞けるようになる日が、教師として完成されるときかもしれないとも思う。

 文化祭といえど大学のそれと違ってひとつの校内行事なので、生徒たちは教室で出席を取られたあと、体育館に集められて開会式に出席する義務があった。この後には吹奏楽部や合唱部などのステージ発表の一斉見学があり、午後からがようやく彼らの時間になる。体育館はそわそわと逸る熱狂の予兆を孕み、決壊寸前の爆弾のようだった。

 あくびを噛み殺しきれずに先輩教員に小突かれ、外で目を覚ましてくることにした。人目に触れないよう、遮光カーテンに紛れて非常口から屋外に出る。入り口の水道で水を飲み、濡らした手で顔を洗った。もうすっかり季節は夏だった。すべての夏のともがらが、声高く存在を主張していた。目を焼く日差し。うだるような暑さ。まだ躊躇いがちな蝉の編成合奏。蒸れた土の匂い。夏の歓声、銀色。涼しげな風のざわめき。悪い予感がした。雲ひとつない晴天。炎天下。校庭。

 

 もしそうなら、俺ならどうするだろうかと考えた。舞台裏や二階には教員がいるから避けるはずだ。床下や屋根裏といった空間も選びたくない。いざという時に脱出しにくいし、なによりその場を目視できる必要があると思った。思いついたのは覗き窓のある体育倉庫だ。このタイミングなら誰も立ち入らないだろう。

 俺は音を殺して体育館の裏に回り込んだ。体育倉庫にはグラウンド側からも道具の出し入れができるように裏口がついている。

 黒い泥濘の中を靴がくぐり抜けていく。何かに近づいているように思う。教員用のマスターキーを差し込もうとして、もう既に開錠されていることに気がついた。手がじっとりと汗ばむのが分かる。ドアノブを静かに回して、扉を開ける。

 薄暗い体育倉庫の中で、はっとして振り返る人影があった。櫻井だった。

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