祈りについて

遠原八海

祈りについて

 この世の終わりのような暴雨をこらえ、夕方、ようやく嵐が過ぎさると、西のはるか上空に竜の姿を見ることができる。


 正確にはそれは地球をぐるりと何周も取り囲む巨大な竜の腹の一部である。雲間から地上に向けてひらかれているのは浮き沈みする蛇腹めいた厳かな円筒だ。対流に乗るようにしてその巨体がうろうろと流れていく。西日がかれの後ろからそっと射し込んで、土中における雲母の印象でその輪郭を金色に際立たせる。そのような情景だから、すでに激しかった嵐のことはもう誰の記憶からも消えている。


 誰もがかれのようになりたいと思う。でも、どうしてそうなれると思うだろう?


 竜は、地上五〇〇〇メートルから一万メートルの高さで常に飛行している。風の吹き抜ける、果てのない天然の空中回廊がかれの棲み家だ。進む速さは特に定まってはいないがそう速くもない。鳴き声を発することもあるが、多くは風鳴りと同一視されている。


 条件がそろえば、大陸のあらゆる場所、海原のあらゆる観測点でも、空のどこかに竜の姿を見ることができる。ただしそれらはいずれ一様に竜の腹である。かれの頭と尾を見たものは不思議とおらず、だから時折、竜のかたちに始点と終点はなく、胴体だけが円環のように連なっているのだ、という説が出るものの、広く浸透はしない。


 何年かに一度、その均衡をくずして竜の胴体が地面に降りてくることもある。たとえばそこは山間の、閑静な、しかしていねいに手入れのされた牧草地であってもいい。竜の接地はごく緩慢におこなわれるので、誰にも気づかれないままに万事が休することも珍しくないが、しかし、ここでは運良く牧場主がかれの接近に気づき、その賢明さの結果である。


 竜の腹の、もっとも下のところがはじめに、音もなく接地する。そのひどく牧歌的にすら思える第一印象のあと、不意に力比べが始まり、そしてまたたく間に勝者が決定される。蹂躙的な破壊が数時間から数日にわたっておこなわれ、ついには満足したようすで、竜はふたたび空に還っていく。水はけのよい土地ならば、そこには新しく川ができる。


 このエピソードからも示唆されるように、竜の性質はその絶対性である。これは、ある種の再帰的な曖昧ささえも従えた絶対性である。すなわち、竜は依拠される存在であるが、それは同時にその依拠を内包することによって成立している。この性質はふとした時間にある種の紀律となって充ちわたる。どうしようもない暴雨のおわりに、ひとびとは空にたなびく巨影をさがす。きっとその所作は祈りにも似ている。


 無念なことに、生物学的観点から、それは竜ではない。実際にかれが司っているのはなおさら単調なシステムであるかもしれない。だが、それが竜でと、そう許しを与えてやることには誰からも咎められない。みなみなにおいて、だからつまり、竜とは、無限の心象風景である。

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