原風景の正体

遠原八海

原風景の正体

 日本酒の匂いは好きだ。お祭りの空気を思い出すから。


 人が集まれば文化が形成されるように、また風土によって文化が醸成されるように、例によって私の地元にもそういった独特のお祭りごとがあった。といっても奇祭というほどのものでもなく、半日かけて町内の神社を参拝しながら御神物のある山を目指すというだけの代物で、全国を探せば似たような風習は幾らでも見つかるような程度のものだ。祭りの日は学校が午前授業で終わるので嬉しかったのを覚えている。


 私はその当時から運動が嫌いで、小学校低学年の頃に一度参加して足をパンパンにして以来、その祭りにはでも参加しようとはしなかった。祭社群は町を取り囲むようなかたちで四方の辺境に点在しているので、参加者はどれだけ少なく見積もっても十キロメートルは歩かねばならない。幼い私にはそれが一大事だった。子供の歩幅は狭く、目に映る世界はいま思うよりずっと広い。


 そうかといって祭事の最中に部屋でゴロゴロしていたかというとそうでもなく、母の手伝いをして玄関先で餅や豆腐を配ったりしていた。いわゆる白物だ。白は清浄の色とされ、この祭事のあいだは白色あるいは無色のものだけを口にすることが許された。加えて、うちのように通りに面した家では祭りの参加者に白物を振る舞う慣習があった。例えは悪いがハロウィンみたいなものだ。


 そうやって母が振舞っている物品の中に日本酒はあった。こじんまりとした木升に適度に注がれた無色透明の液体。醸された米と麹の独特の香気がぷんと匂い立ち、まわりの空気に染み込むように広がっていく。


 嗅ぎ慣れぬ匂いに戸惑う私を面白がって、少しだけ舐めてみてもいいよと母は言ったが、結局、私の頑なな遵法精神を突き崩すことはかなわなかった。それが手伝いを始めた年のことだ。年を重ねるにつれて、その匂いは私にとって未知のものではなくなっていった。


 当時の私にとって、日本酒の香りは嫌いとも好きとも言えない匂いだったが、それは紛れもなくひとつの記号であり、すなわち祭りの匂いだった。日常とは厳格に区別されたハレの匂いだ。だから、今でも日本酒の匂いはハレの記憶に続いている。



「お母さぁん」と私を呼ぶ声がした。「おそなえのお饅頭、食べちゃってもいい?」

「いいけど、一つにしときなさいよ。夜はおばあちゃんによばれに行くんだからね」

 はぁい、と息子は答え、居間に戻っていって、私はまた台所で一人になる。元旦に親類が集う新年の挨拶が終わり、その準備でせわしなかったこの場所には、まだ日本酒の匂いが色濃く残っている。


 記憶とは経験の蓄積だ。だから時折、ひとつの場面シーンに映り込んだ断片的な要素が栞のように昔の記憶を立ちのぼらせる。それは擬似的な共感覚だ。徹夜明けに日の出を見ながら聴いていた音楽。一年ぶりに通電した炬燵の少し焦げくさい匂い。台風が近い日の鈍重な雲の色。そういうものたちが寄ってたかって私の出自を暴こうとする。


 とりわけて強力なのが匂いである。あ、これはあの匂いだな、と意識するよりも先に、昔日の感傷が浮かび上がってくる。どうにも思考を経由しない速さという感じがする。この日本酒の匂いなどはいちいち例に挙げるまでもないだろう。しかもその想起を防ぐのはなかなかに困難なことだ。まさか鼻をつまんで生活するわけにもいかない。


 今の夫と結婚してこの家に住み始めたのが九年前なので、私の暮らしはすでに十分この場所に溶け込んでいる。そのこと自体は疑いようのない事実に思える。私はこの家の匂いを知っている。だけれど、この匂いが既知であるのはいま現在の私にとってにすぎず、あの日子供だった私にとっては未知のものだ。だからそうしたにとっていまここにある日本酒の匂いは、しらない土地のしらない匂いの中にあって、ただひとつ灯火ともしびのように生彩を放っている。


 私の中にいまの私と子供の私がいる。このところそれは顕著になってきている。日本酒の匂いの中、道ゆく人に軒先で白餅を配っている私の横で、その匂いが米と麹とアルコールから成ることを知っている私が冷ややかに見下ろしている。


 知ることは獲得だと思う。科学技術の発展に照らし合わせても、先人たちは何かしらの原理を解明することで、既存の物事を説明してきた。例えば蜃気楼がそうだ。空中に出現と消滅を繰り返す建造物の影は人々を恐れさせたが、その正体は空気の寒暖差によって屈折した光が結んだ像に過ぎなかった。そうして獲得された知見は正しさを帯び、その正義の威光でそれまで蔓延っていた妖々たる俗説を討滅していく。そのようすはいっそ清々しいものだ。


 ただほとんどの場合、そうした討滅は不可逆なものとなる。先住民であった彼らは住処を追われ、もう二度と帰ってはこない。あとには潔癖で画一的な無菌室と、そこに記念碑のように打ち立てられた偉偉えらえらしいことわりだけが残される。砂漠の蜃気楼が描いた楽園都市を追い求めた探検家は、いつの日かそうした無機質な光景と対峙する。


 私の内部でも同じことが起こっている。幼い私が世界に対して抱いた無邪気なアレゴリーを、ひとつひとつ丁寧に踏みつぶしながら私は歩いてきた。


 デンシンバシラという言葉の響きが好きだった。漢字表記や成り立ちの意味を理解したいまではひどく無骨に聞こえる。家族旅行で遊び疲れて帰りの車で寝るのが当たり前だった。いまではいつ事故が起きるか分からない公道の上で眠るなんて狂気の沙汰だ。大晦日の晩は年が変わる特別感とお年玉への期待で興奮が抑えられなかった。いまでは年末の慌ただしさが終わることにほっとして気がつけば年が変わっている。


 そういうことに気がつくたびに私は私が殺してしまった私を悼んでいる。特別さが庇護されていた幸福な時代は終わりを告げ、いまはただ高度にシステマイズされた社会の中で損得計算による行動を繰り返すだけだ。そんな感傷ですら時代の変化、環境の変化のせいだと説明づけてしまっている自分に気がついてしまう。がんじがらめにされた私の体はすでに硬直が進み、もはや自分の意思で動かせそうにない。制御の効かない自己の内側で、いまの私が意地悪な継母のように子供の私をいびりあざけっている。


 だから、私は日本酒の匂いが好きだ。私の知性がとどめるより一瞬だけ早く、匂いは在りし日の記憶を呼び覚ます。私が私を見つけて冷ややかに見下ろすまでのわずかな間だけ、私はお祭りの中で白餅を配ることができる。そのとき私は自由を思い出すのだ。



「ええ、それでは六時ごろそちらに着きます。大輝も楽しみにしていますよ。ええ、では後ほど」

 義母との通話を終え、私は受話器を置いた。元日の夜は県をまたいだ夫の実家に挨拶に向かうのが慣習となっていた。息子が生まれてから欠かしたことがない恒例行事なので、きっと息子にとっては正月の夜イコールおばあちゃんという直通回路が存在して、そこに何の疑いも無いんだろうな、ということをぼんやりと考える。そうやって私は自分の息子に嫉妬している。私があそこに置き去りにしてきたものたちが、素知らぬ顔したあの子の周りに溢れている。それらがぞんざいに扱われるのを、私は見ていることしかできない。


 寝室に戻ると子供の私が寝息をたてていた。その髪を撫でようとして伸ばしかけた手をすぐに引き戻す。私は彼女の願いを知っているが、その叶え方はまだ知らない。

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