ナナシ 神様の規約本 その11

「増えてる。」

 ミュウの隣りの席にうつむき加減な小さな女の子が座っている。妙な胸騒ぎを感じ、早足で近づいて確かめてみる。相席している少女、かなり幼い見た目をしているから幼女だろうか、は目に涙をたたえてふさぎ込んでいる。

「おい。」

「どこに行くか決まったの?」

「決まったが、それよりその子供はどうしたんだ?」

「向こうの路地裏で泣いていたから、連れて来たんだけど。」

「動くな、って言っただろうが。」

 俺が少し声を荒げると、幼女が不安げに割って入る。

「ミュウ、やっぱり迷惑、私?」

「マリア、こんなやつの事は構わなくていいから。」

「マリア?」

「この子の名前。」

「それは、懲りずにお前が勝手に付けた名前だよな。」

「この子も名乗ったけど、呼びづらいから。」

 胸騒ぎが、嫌な予感に変わる。確かめなければならない。

「お前の名前はなんていうんだ。」

「初めまして、十二月二十五日といいます、私。」

 背中に冷や汗が流れる。心拍数が上がる。まさかとは思ったが、なんてやつを拾って来やがる。

「戻して来い。」

「ちょっと、それは可哀想なんじゃないの?」

 こういう時こそ、まず落ち着いて様々な考えを巡らせなければならない。少し遅れてついてきたハチにだけ相談する。

「あの、どうか、しましたか。」

「ハチ、頼みがある。」

 俺はハチにビデオカメラを手渡す。

「こいつでだな、ミュウの隣りの女の子を、可能な限り、撮影しておいて欲しいんだ。使い方は分かるか?」

「…大丈夫、です。了解、しました。」

 次の行動は、問答無用で記憶の消去をできなくする、だろうか。しかし、それは場合によっては、マリア、と敵対する事を決定づける行為かもしれないと考えられる。そもそもネネコをズタズタにして、俺達の記憶を消した犯人なら、のこのこと今、俺の目の前に現れるのはおかしい。ひとまず冷静になって、マリアに話を聞いてみる事にした。

「初めまして、と言ったが、俺と前に会った事は無いか。」

「ごめんなさい。何も覚えてないのです。」

 はっきりと答えてはくれたが、肩を震わせて嗚咽の声をあげだした。最近知った情報なのだが、年齢にかかわらず、どうも俺は女の涙には弱い。

「大丈夫?こんなやつ、覚えてなくて当然なんだから、なんにも悔しい事なんか無いよ。」

 おそらくずれているミュウの慰めを無視する。さて、何も覚えていない、の真偽はどうだろうか。同じ能力者としては、充分あり得る制約だとは思う。しかしながら、泣き声を聞いていては、焦って正常な判断ができない。とにかく泣き止ませるために、もとい、ぼろを出すかもしれないから、話を合わせてみる事にする。

「記憶喪失ってやつか。安心しろ。そんな泣くような事じゃねーぞ。隣のやつを見てみろ。健忘症だけど、能天気な面してるだろうが。」

「ねえ、健忘症って、何?」

「前にも教えただろ。」

「そうだったけ?」

 マリアがミュウを見る。身体に巻かれている包帯に一つ一つ目を向けると、しばらくして泣き止んだ。お前の目の前にいるやつの状態の方が深刻だ、というのが伝わったらしい。気を取り直して、俺の方に話しかけてくる。

「あなたといつか会いましたか、私?」

「いや、会ったというか、どこかで見かけたような気がしたんだ。」

「本当?教えて欲しい、私、どこにいた?」

「それが俺もよく思い出せねーんだよな。何か覚えてる事は無いのか。ヒントになるかもしれない。」

「覚えてる事、私の?」

 マリアは少し黙って考えると、たどたどしい口調で喋り出した。

「何も思い出せない。気が付いたらここにいて、ううん、独りぼっちで寂しいのは覚えてる。誰もいなくて、どうしたらいいのか分からなくて、そうしたら、涙が出てきて、そうしたら、ミュウが話しかけてくれた、私に。」

「ノーヒントだな。」

 マリアは申し訳なさそうにうなだれる。俺の直観としては、演技ではないように感じる。だからといって、危険人物ではない、とは限らないが。ミュウがマリアをかばう。

「もしかして、あんた、マリアの事が嫌い?」

「好き嫌いは関係ねーだろ。」

「こんな小さな子に何をそんなに警戒してる訳?」

「…別に。俺は小さな子供とか、苦手なだけだよ。」

「別にいいでしょう。もう少し落ち着くまで一緒にいてあげても。そのうち何か思い出すかもしれないし。」

「あのなぁ、こういう時は普通、」

 交番にでも連れて行くんだ、と言いかけて訂正する。怖気づいて、信念を曲げるつもりか。

「足取りとか、持ち物とか、手掛かりを集めていくんだよ。ずっとここでただ待っているつもりかよ。」

 ミュウは納得、を通り越して、感心した表情だ。

「そっか、少しでも早く思い出せた方がいいって事ね、マリアのために。」

「まあ、そうだよ。そいつの為でもある。」

「ねえ、マリア、あなた何か持ってないの?」

 ミュウが尋ねると、ぎくりとマリアが身を縮こませ、お腹のあたりをおさえる。分かりやすいやつだ。服の下に何か隠している。

「何か隠してないか。見せてみろよ。」

「…気が付いたら、持ってたの、これだけ。」

 おそるおそるマリアが取り出したのは、小さな折り畳みナイフだった。案の定と言うべきか。しかし、よくよく見てみれば、刃渡りは十センチもなく、大した厚みも無い果物ナイフで、太刀傷をつけられるような代物ではない。古ぼけていて、刃の切れ味がほとんど無くなっている。ついでに言えば、血液も付いていなかった。

「何、それ?」

「ペティナイフだな。野菜とか果物とかの皮を剥く道具だ。」

「へー。じゃあ、『ペティ』にしましょう。」

「安直だな。どうでもいいけど。」

「あれ?ハチは?」

 ハチは五、六歩後ずさりしてしまっている。ぶるぶると震えながら、健気にも撮影を続けている。

「やっぱり、隠しといてくれるか。」

「あの人は、誰?何をしてる?」

「ハチって言って、すぐに物を忘れるやつのために、色々と記録してもらってるんだよ。」

「それ、すごくいい考え。どうしてやらなかったんだろう、私。」

 マリアがナイフをポケットにしまう。瞬間、不審に思う。ポケットに入れる事ができるのなら、最初からそうするのではないか、という疑問である。注意して見ていなかったけれど、そもそもこれを服の下から取り出しただろうか。まだ別の物を隠しているのではないか。

「本当にそれだけしか持ってなかったのか?」

「はい。」

「じゃあ、服の下に隠してるやつはなんだ。」

 マリアは再びぎくりとしてうつむくと、裾を強く握っている。答えなかった事と、守りを固めた事を鑑みて、何かあるというのは明らかだろう。しかし、まさか服を引き剥がす訳にもいかないだろうし、どううまく聞き出せばいいだろうか。考えていると、ミュウがマリアにそっと手を重ねる。

「こういう時、どうすればいいのか、私には分からないんだ。でも、悔しいけど、こいつならきっといい考えを出してくれるよ。だから、見せてみて。」

「頭でも打ったのか、お前。」

「マリアのために言ったんだけど。」

「嘘って事か。」

「嘘なんか言ってないでしょう。」

 ミュウがさらっと言う。どうやら、俺に期待をかけている、ように聞こえる事さえ、自分で分かっていない。何故か俺だけが恥ずかしくなる。

「分かったよ。いい考え、出せばいいんだろ。」

 ちょっとした気恥ずかしさから、安請け合いしてしまった。マリアが俺達二人の顔を見る。見合わせたのだろうか、意を決し、服の裾を捲った。物を隠していた訳では無いらしい。見えていた服の下には、シャツを着ていた。子供服らしく、本来ならば、可愛らしいと思える擬人化したウサギがプリントしてある。異様な不気味さを感じるのは、絵の具を撒き散らした様に、それが大量の返り血を浴びているからだ。そして、それが俺の頭の中で、懸念していた事、と結びつくのに、それ程時間は掛からなかった。

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