第四条

 監禁生活、四日目、朝のサイクルを終え、今日も朝からハチ大先生が教鞭を取る。俺はいい加減に時間を潰すのにも飽きたので、脱出計画を考え始める。ここで飼い殺しにすることが目的なのかもしれないと思いつくと、居ても立っても居られなくなる。一つ、人質を取る。誰を?ミュウは、無理だ、物理的に。ハチは、その価値があるのか怪しい。一つ、ハチに協力してもらう、もとい脅す。どうやって?人を殺す事が『できない』俺が、泣き出されたら参ってるくせに?…却下。一つ、あの首謀者と交渉する。交渉の材料がない。ちゃんと話を聞かない俺が悪いというのは置いといて、そもそもあの男の事は信用できないと直感している。俺の思いついた事が正義なのである。という事で、具体的な案としては、今日ハチが部屋を出ようとしたらそれに乗じて飛び出す、に決まった。後の事はまた考える、まずは行動だ。

 俺が決行に向けて、英気を養っていると、ハチが近づいてきた。が、もじもじとして話を切り出さない。

「なんなんだよ。」

「……教えて…欲しい、です。」

「今更俺が教える事なんてねーんだよ。免許皆伝だよ、お前は。」

「教え方、分からない、です。」

 そんなこと知るかと言ってやりたいが、提案したのは俺だという事、あとおそらくだが、ハチにとって、教師の手本が俺しかいない事に気づくと無下にもできない。ミュウは「あー」とか「うー」とか言いながら、頭を抱えている。仕方がないので、退屈しのぎに重い腰をあげる。

 結果的に、俺もミュウに教える羽目になる。俺はゲームには詳しくないが、ミュウの思考パターンはすでに大体理解している。まず、どんなゲームでも序盤は勢いよく進める。だから必ず先攻を選ぶ。それは構わない。しかし、少し反撃されると、歩一つ、ポーン一つ、黒石一つ、守るために簡単に戦型を崩す。どうも『とられる』のが嫌らしい。だったら、大人しくしていればいいのに、戦略のちぐはぐさから、勝手に自滅するのがいつもの負け方である。

「だから、こいつは捨て石にして、こっちに打った方がいいんだよ。」

「だって可哀想でしょうが。」

 という具合で、根本的な、取り合い、というゲームの要素を理解させるのは、ハチには少し荷が重いのかもしれない。「可哀想」というミュウに合わせて話をする。

「こいつは、お前の勝利のために喜んで死んでるんだ。だから、遺志を汲んでやらねーとそっちの方が可哀想なんだよ。」

「それ、ちっとも嬉しくないんだけど。」

「じゃあ、こいつはお前の事が嫌いでむしろせいせいしてるよ。そんな奴に可哀想も何もねーだろ。」

「それだと私、とんでもない嫌われ者じゃない?」

「じゃあ、こいつはこれが戦争だと割り切ってるよ。恨むべきは時代で、哀れみは必要ないと思ってるよ。」

「随分と渋いヤツ。」

「お前も割り切れよ。」

「嫌。」

「…じゃあ、こいつは捕虜にされただけで、お前が勝ったら取り戻せるよ。むしろ相手の待遇もよくて、案外暢気に過ごしてる。可哀想じゃないだろ。」

「そんなこと言って、酷い事するつもりでしょう。」

「しねーよ。じゃあ俺はともかく、ハチがそんな事をすると思うか?」

「思わない。」

「だから、とられても大丈夫なんだよ。それより勝つために、こっちに打った方がいいんだ。分かったか?」

「それもそうね。」

 後はハチに任せる。俺も後ろで見ておくが、一応様になっているようには思う。気のせいかもしれないが、ハチが笑っているように見えた。

 そうして、脱出計画決行の時が来る。ハチが帰ろうとするのを呼び止める。

「ハチ、隣の部屋で話がある。」

「…伝言、ですか?」

「まあ、そんなとこだ。」

 あっさりと隣の部屋までついていく。当然だが、別に話など無い。

「なん、でしょうか?」

「ええっと、そうだな、あいつとはこれからも仲良くやっていけそうか?」

「え?」

「言いたい事とか、はっきり伝えられそうかって。」

「う…分からない、です。」

 俺がいなくなっても、せいぜい頑張れよ。

「でも、今、楽しい、です。あの、私だけ、楽しい、…の、良くない、ですか?」

「あ?…よく分からんが、あのボードゲーム中毒者はそれなりに楽しんでると思うぞ。俺は確実に楽しくねーけどな。けど、変な気の使い方をするなよ。気持ち悪いだろ。」

「気持ち悪い、ですか?」

「俺がそんな事も許せない心の狭いヤツみたいだからやめろって。」

 ハチが考え込む。心の中で何か整理しているらしい。小声でブツブツと言ってる。

「……あの…名前…なんて、呼べば?」

「俺の事か?」

「はい。」

「なんか、今更だな。あー、何がいいかな。そういや、そういうのはあいつが決めるんじゃないのか。」

「ミュウちゃんは、その、」

「いらないって言ってるんだよな。今、ちょうどいいのが思いつかねーし、それで困ってるんなら、好きに呼べよ。」

「…えっと?」

「あんまり酷いのじゃないなら、お前が決めていい。」

 ハチの顔が何故かみるみる紅くなっていく。

「で、で、できないです。」

「あっそう。じゃあ、」

「し、失礼します。」

 ハチは思いの外素早く部屋から出て行った。逆に意表を突かれた俺は追いかける事もできず取り残された。

 作戦は失敗した。憂鬱になりながら、ミュウの部屋に戻ってくる。憂鬱なのは、ここにいるとミュウがゲームに付き合わせるからだ。ミュウの負けて不機嫌になる様がすでに目に浮かぶ。そして、なんとなく壁にあいている穴を見つめる。

「何、してたの?」

 いつの間にか、ミュウが背後に立っている。

「別に、大したことじゃねーよ。」

「ハチに何かあったような気がするんだけど。」

「なんにもねーよ。」

「なんか、こう、直感みたいなのが、こう、」

「お前にそんなものが働くなら、誰も苦労はしてねーんだよ。」

「あれ、ここ、壁に穴あいてない?」

「…さあな、最初からあいてたんじゃあねーかな。」

「そうだったけ?」

 ミュウは不思議そうに、壁にあいた穴を見つめている。…もしかして、本当に忘れてるのか、こいつ。

「気の毒というか、都合のいい頭してるよな、お前。」

「急に褒めないでよ。気色悪い。」

「…思い出したら、その穴がなんだったのか、教えてくれ。」

 放って置きたいが、しばらくすると、今度はじろじろとこちらを見つめてくるようになる。目が、教えてもらった事を試したいと訴えかけてくる。

「やりゃいいんだろ。」

 無言の重圧に負けて、やはり対局することになり、俺が快勝する。どうも俺にはまだとられたくないらしい。あと気が付いたことが二つ。一つは特訓の甲斐あってか多少は強くなっている、多分。それに付き合わされる俺も然り。もう一つ、いつからだろうか、ミュウの左手の小指にテーピングが増えていた。


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