第三条
朝、である。ミュウはオセロ盤とにらめっこしている。昨日は我ながら、色々と自分らしくない事をして疲れたので、今朝は呆としている。しばらくすると、ハチが部屋に入ってきて、食事の時間を知らせる。食事が終わって部屋に戻れば、ミュウとハチが遊んでいる。これが朝のサイクルらしい。昨日との違いといえば、ハチが泣き顔とも違う、随分と気まずそうな表情をしている事だ。今日は将棋をしているらしい。盤面を覗いてみれば、ハチの圧勝である。別に驚かない。そりゃ、そうなる。さぞ悔しいだろうなとミュウの方を見ると、茫然自失としている。あんまり悔しいとこうなるのだろうか。ハチはといえば、主人の大事な物を壊してしまった召使いのような顔をしている。
「別に気にすることねーぞ。こういうのは勝ったり負けたりするのが普通なんだから。一回勝ったくらいでビビんなよ。」
「一回、じゃないんだけど。」
ミュウが気の抜けた声で言う。俺が目を離している間に、何回やったのかは知らないが、ハチが連勝中らしい。今度はこの状況で、ハチに負けさせるとどういう反応をするのか、少し気になった。
「じゃあ、ハチ、俺ともやろうぜ。」
「う、あの、…分かり、ました。」
駒を並べなおして、先手をもらって一手指す。間髪入れずにハチが指す。ほぼ同時である。負けじと俺も早く指すと、またすぐに指される。そんな調子でものの三分もかからず俺が詰まされた。念のため、もう一回、今度はちゃんと考えて指す。相変わらず、ハチは時間を少しもかけない。俺が考えた分だけ時間がかかって、やはり手も足も出ずに詰まされた。あまりに鮮やかに負かされたので、これは茫然自失にもなる。教えるために本を熟読したとはいえ、初心者の俺が弱いのは分かる。驚くべきは、同じように本を読んだだけのハチが恐ろしく強いこと、俺の知らない戦法か何かを使ってくることだ。本には書いていなかったはずなのだ。ハチが、自分で考えている。その事に感動を覚えるとともに、コンマ数秒でそれをする、軽く人間離れした思考速度にちょっと引く。ひょっとして、こいつ機械か何かじゃないのかという疑念が頭をよぎる。試してみよう。
「ハチ、ここにトランプが二十一枚ある。」
ミュウにも試したやつである。説明して、
「先攻、後攻どっちがいい?」
「…後攻、です。」
それは問題ない。まず俺が一枚引き、ハチが三枚引く。以下、二、二、三、一、三、一、一、と引いていって、ハチが一枚ずつ三枚引こうとしたところに割り込んで、二十枚目を俺が引く。何食わぬ顔で手番を渡す。ハチは、呆気にとられている。やはり、エラーを起こしてフリーズしてるんだろうか。しかし、今までに見たことがない、不満そうな表情をして口を開いた。
「ずるい、です。」
内心、ホッとする。卑怯な事をされて、不服に思うくらいの感覚はあるらしい。
「冗談だ。」
俺はもう一枚、ジョーカーを引いて負けを認める。
「ハチ、今度はこれで勝負しよ。」
やっと自失状態から帰ってきたミュウがチェス盤を引っ張り出す。結果はいちいち語るまでもない。
ハチには元々この手のゲームに才能があったのかもしれない。そして、やっている事の主旨が、横暴な女主人をぎゃふんと言わせる、から、ボードゲームの天才にどうやったら勝てるか、に変わりつつあった。チェスだろうが、囲碁だろうが、オセロだろうが、勝てない。俺はあきらめたが、ミュウはもう一回、もう一回と食らいついている。根性だけは認めるが、自分がどうして負けたのか、考えないような奴には永遠に勝機はない。俺は離れて、もう少し部屋を調べてみる事にした。特に目新しい発見はなかったのだが、ダーツの道具と、そのルールの説明書に目をつけた。俺は親切な人間でもないし、人格者でもない。『負け』と言われればミュウ程じゃなくてもそれなりに悔しい。弟子にあっという間に追い越されては、師匠の矜持はどうすればいいのか。なんでもいいので、勝っておきたかった。ハチが優れているのは、記憶力と情報処理能力だとすると、身体を使う分、これならまだ勝算があるはずだ。ちょうどよく、ミュウは二度目の放心状態になっていた。説明書を読んで、ハチに持ち掛ける。
「ハチ、ダーツは分かるか?」
「…分からない、です。」
説明書を渡す。ハチは一目見る。
「…覚え、ました。」
性能が大幅に向上している、気がする。元々できたのだろうが、俺は実はとんでもなく余計な事をしたのかもしれない。気を取り直して、適当な壁に的を掛ける。説明書を片手にルールを確認する。
「先攻、後攻は…投げて決めるのか。カウントアップでいいよな。距離は、公平ならなんでもいいか。」
三、四歩離れて、試しに一投してみる。ど真ん中。幸先がいい。ハチにも矢を一本、手渡す。が、後ずさりして、受け取らない。
「あの…できない、です。」
「まあ、上手くいかなくても試しに、」
言いかけて、様子がおかしい事に気づく。真っ青な顔をして、ギュッと目を閉じている。明らかに、怯えている。…もしかして、先端恐怖症ってやつだろうか。無理強いは、良くないか。万一、泣きでもされたらまた困るだろうし。俺の不戦勝という事にしておく。
「それって面白いの?」
二度目の帰還を果たしたミュウが割って入ってきた。ただこいつも少し様子がおかしい。目が座っている。
「ハチを怖がらせないでって言ってるはずなんだけど。」
「俺じゃねーよ。こいつだよ、ダーツの矢。」
「そういえば、ハチってやけにそういうものを怖がるんだよね。聞いても教えてくれないし。」
「知ってたんなら、こんなもの部屋に置いておくなよ。」
「ここにある物は全部私の大事な物なの。勝手に引っ張りだしたのが悪い。」
「ひょっとして、勝負するのか?」
「それがいい。ハチ、ちょっと向こうへ行って、目を閉じて、ついでに耳も塞いでなさい。」
藪蛇だった。ハチを退避させてから、せっかく用意したので、ダーツで勝負する。ダーツを用意、提案したのは俺という理屈で先攻はミュウである。ミュウが器用に指で矢を弄んでから、第一投、大きく振りかぶった。所謂、ピッチングフォームというやつだ。勢いよくぶん投げると、的のど真ん中をぶち抜いた。文字通りに。矢は目に追えない程の速度で的を貫通して、おそらく壁にまでめり込んでいる。
「ごめん、イライラしてたから、つい。本当に、ごめんなさい。」
「いや、謝られても。」
恐る恐る的に近づいて、確かめてみる。
「抜けないんだが。」
「そんなつもりじゃなくて、でも大丈夫かな、って思ったのは私だから、私が悪いんだよね。」
「ま、まあ、卑屈になることもないんじゃ、」
と、視線を追ってみると、俺ではなく、おそらく的に向かって、悼むような面持ちで話しかけている。しかし、束の間そう思わせただけで、すぐにけろりとする。
「隠しましょう。」
「切り替え、早いな。」
ミュウは苦労して引っこ抜くと、穴のあいた的と先の曲がった矢をベッドの下に押し込んだ。俺もこの際、何も見なかった事にする。ハチの肩を叩く。
「…あの、ダーツは?」
「そんなものはなかった。」
「…え?」
「ハチ、あいつにボードゲームの勝ち方みたいなのを教えてくれないか?」
「えっと、ミュウちゃんに、私が?」
「俺にはできないんだ。あいつもお前の言う事ならまだ素直に聞き入れそうな気がする。あと、お前ももっと自信を持って、接したらいいのにとも思う。今度は、自分が教えてあげる番がきたんじゃないのかな。お前ら二人は、もう少し遠慮なく意見を言い合える関係になっていくべきだと俺は思う。そう、あいつが癇癪を起さないように。それはあいつの事をよく知ってるお前にしかできない事なんだ。」
「…分かり、ました。」
当面はこれで大丈夫なはずである。ミュウもハチには優しく、理解しようとしている節があるから、まず断らないだろうし、教わる体なら敗北感も多少はマシになるかもしれない。
そうして教え始めたのだが、教える側が困っている。教わる側が「ハチ、頑張って」と応援するような形だが、険悪でも無く、仲睦まじい様子なので、これでよかったのだろう。除け者にされた俺は仕方ないので家探しみたいなことをして時間を潰す。ついでに壁を調べてみる。思ったより硬く、余程の力でないと物が深く刺さるとは考えられない。…最初に目についたのが『ボクシングのルール』じゃなくてよかった、という事だ。
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