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時計を見ると十八時を半刻まわっている。腹の虫がぎゅるぎゅると鳴いた。昼過ぎに起き出し、大学に行くのを諦めたために昼飯のカツ丼を食べ損ねた結果である。
平日であれば大学に趣き付設食堂のカツ丼をかきこむか生協食堂のかけそばを侘しく啜るかの二択であるのだが、休日に講義も無いのに大学まで自転車を漕ぐのもあほらしいので、基本的には下宿から数十歩の場所にある高光食堂を利用する。京大生御用達の食堂であるので、如何にも自分は京大生だがという顔で入店するのがよろしい。何を頼んでも基本安し美味しだが残念ながら米がパサパサなので定食でなく単品で頼むことにしている。余談だがそのまた数軒隣にある怪しげなインド料理屋では店内に設置された大きなテレビ画面の中で常に大勢のインド人が踊り狂っており、たまに店員も踊っているのが外から確認できる。あまりにも不穏なのでできるだけ近寄りたくはない。
しかたがないので今晩の夕餉も高光食堂のお世話になるかと布団からの脱却を図ろうともぞもぞしていると、不意に電話が鳴った。
すわ大家か管理会社からの退去通告かと戦々恐々と応対するが、何のことは無い、相手は大塚であった。鍋をするぞ、今からそちらに行く、とそれだけ言い残して電話は切れた。いつにもまして乱暴である。
しかし鍋というのは悪くない。適当な食材で腹が満たせるうえ、湯を沸かせばこの寒々とした小部屋もいくらかは暖まるに違いない。コンロと鍋はあったはずだ。食材は無いが大塚が用意するだろう。わざわざ鍋をするぞと誘ってくるくらいだ、何か豪勢かつ一人では食いきれないような、もしかすれば霜降りの黒毛和牛でも手に入ったのではあるまいか。私は未だ見ぬ美食の期待に舌鼓を打ちつつ大塚を待った。自転車なら二〇分ほどで到着するだろう。
大塚について説明しておこうと思う。彼奴は我々が一回生時からの友人であり、下劣な裏切り者である。
一回生時の彼もまた、京都ギンナンクサイ大学に所属しながらも一発逆転の京大合格を狙う仮面浪人としての同志であった。ろくに授業に参加しなかったため友人と呼べる友人がいなかった私のたった一人といっていい同調者であり、互いに足を引っ張り合いお前は落ちろ俺が受かると呪いの交換日記に精を出し、結果大塚は合格し私は落ちた。私はこのことを一生許すつもりはない。いつか痛い目を見せてやるとあの日の夕景に誓い、今日まで交流を保っている。
大塚は、私ほどの美男子ではないもののなかなか愛嬌のある顔立ちをしており、如何にも人畜無害です彼女募集中といったアピールを振りまいているがその人間性はクソである。私とは違い実家からの仕送りが潤沢であるくせにその七割をスマホゲームの課金に溶かす。京大では真理研究会という意味不明なサークルを創設し、真理の名のもとに後輩の彼女を寝取って貢がせクズの名声を欲しいままにしていたという。何が真理かと思う。羨ましい。
ちなみにその後、部室をヤリ部屋にしていたのを文連委員にチクられ真理研究会はその人間関係ごと消滅したことをここに報告しておく。
このように、大塚は京大に巣食った癌のような男である。字面が大家に似ているのも忌々しい。京大事務局は直ちに奴を放校し代わりに私という才能あふれん原石を入校させれば双方に得があろうになぜかそれをしない。大塚曰く、それもまた真理なのだという。私はなんのこっちゃと思う。
また大塚は、借りた下宿が四年契約だったためにいまだ松ヶ崎に住んでいる。私と大塚は毎日自転車で二〇分かけて互いに逆方向に往復運動しているのである。これでは無駄骨極まりないと、以前私はそれぞれ住処を交換してはどうかと持ちかけたことがある。この話はとんとん拍子に進んだが、最終的に積もりに積もった滞納金を大塚に肩代わりさせようとしていた私の魂胆が露見し、交渉は決裂した。当時はそれが原因で我々の友情に陰が差し、私の自転車のサドルが何者かに盗まれ、大塚の家には鼠の死骸が何者かから届くなどといった不可解な事態が頻発したのだが、それらに関しては既に平和的かつ感動的な解決を見たので特に気にせずともよい。
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