5-1 商人の追放者
「平和のために和平を結ぼうではないか」
交渉の席で、強気に言ってくる男。
その声の主は、ジュートの外交官であった。
ジュート三万の軍勢と、アルザス軍五千の戦は、アルザス軍の大勝で幕を閉じた。
そして、アルザスはロイド男爵を含めてジュート軍の将校たちを捕虜として捕らえており、その返還を含め
た交渉がアルザス城で行われていた。
普通ならば、敗戦国の発言力というのは大きくないものだが、今回はそうもいかない。
ジュートは戦に負けたと言っても、あくまで遠征が失敗しただけの話であり、彼らの本土は無傷だからだ。現実問題、アルザス側には敵の本土へ攻撃する余裕も、その意思もない。
つまり、捕虜以外の面では、この講話はほぼ対等な立場で行われる。
ジュートとしては、ロイド男爵領の将校たちを返してさえもらえれば、それで良いというわけだ。
それゆえ、ジュートの外交官はとても敗戦国のそれとは思えない強気な態度だった。
そしてそのことは交渉の席についたキバにもよくわかっていた。
だが、血を流して戦った以上は、最大限の戦果をあげたいと思っていた。
それゆえ、キバも強気な姿勢は崩さない。
「我々としては、賠償金として、銀貨五千万をもらえればと思っています」
キバの要求は、賠償金としては法外というわけではないが、たかが捕虜数百に対して払う金額ではないことは重々承知していた。
あくまでたたき台として、そして譲る気はないのだという意思表示として、まずは強気を示したのだ。
「それは少々平和の代価としては大きいのでは?」
ジュートの外交官が鼻で笑う。
「しかし、将校たちを失っては、ロイド男爵領の軍事力一万は無に帰することになります。一万の軍勢を失うことを考えれば、安すぎる金額ではないですか?」
「いやはや、現金を支払う余裕など我々にはございませんよ。慈悲の心で勘弁を。例えば、銀貨500万ぐらいであればなんとか……」
「それは少なすぎるでしょう? ロイド男爵も含めて、その価値とは」
キバのその言葉に、しかし外交官は言う。
「ああ、ロイド男爵は勘定に入れないでください。彼は、国王陛下により爵位剥奪の上追放処分とされました。もはや貴族どころか将校でさえありません」
その言葉に、キバは少し驚く。
貴族が、敗戦の責任を取らされるとは、珍しい。
「無能な男爵はいらないが、将校たちはもちろん返していただきたい。その値段が銀貨500です」
ジュート側は、多額の賠償金を支払う気はないようだった。
――そして、キバもまた、金を払わせることが目的ではなかった。
あくまで、本当の目的は――
「では、銀貨500万に加えて、領土をください」
「……領土、ですと」
「ええ。何も肥沃な大地をというわけではありません。ただ――我々の国境付近にある、グレイ荒野をいただきたいのです」
「グレイ荒野を、ですか」
外交官は怪訝な表情を浮かべた。
そももそのはず。グレイ荒野は、農業をするには適さない、荒れ果てた土地だった。
しかも、ジュート側からすればアルザスとの国境という、対して重要では無い場所にあり、ほとんど無価値に近い土地だ。
「我々としては、西方への足がかりにできる。特にこれからは貿易量が増えますからね」
キバは荒野を欲する理由をそう説明した。
塩湖のあるアルザス西部と、その塩の主な輸出先であり同盟国であるラセックスの首都とを直線距離で結ぶと、間にグレイ平原がある。ここを手に入れることができれば、同盟国との行き来が便利になる。
そしてそれ以外にも、あえて外交官には言わなかったが、ドラゴニア・ノーザンアングルとの国境付近に、平野の領地を持つことで、戦の際に防備を固められるという意味合いもあった。
「なるほど。王様にお伺いを立ててみましょう」
ジュートの外交官がそう言って、その日の交渉は終了した。
外交官は、領土の割譲を即決する権限は持っていないので、一週間ほど待つことになりそうだ。
外交官が退出した後、将軍やエリスたちと会議を続ける。
「グレン荒野は手に入れば対ドラゴニアの国防上重要な拠点を手に入れたことになりますね。軍を駐屯させる準備を進めましょう」
キバは、要求が飲まれることを確信していた。相手にとっては荒野は無価値な土地。金銭を支払うくらいなら、不要なものを売った方が良いに決まっている。
「承知しました。しかし、ロイド男爵はどうしましょう」
もともと捉えたロイド男爵は賠償金と引き換えに引き渡すつもりだった。しかし、トカゲの尻尾のように爵位を剥奪され切り捨てられた彼に、もはや価値があるようには思えなかった。
「ジュートと反対側、ドラゴニア側に逃がしてあげると言うのが手ですか」
アルバートが提案する。ロイド男爵と戦ったが、彼には大した武才があるわけではない。それゆえ、手元に置いておく必要性も感じなかった。
「しかし、貴族が一文無しになって、生きてはいけませんからね。多少の準備はしてあげるべきでしょうか」
キバが言う。アルバートの意見には賛成だったが、もう少し優しくしてあげようと言う意見だった。
――だが、そんな中、それまで黙っていたエリスが口を開いた。
「ロイド男爵を、我が配下に迎えると言う案はありませんか」
その案は、ロイド男爵と戦ったキバ、ベッテルハイム、アルバートからは突飛なものに感じた。
彼は、武人としての才能は皆無に等しく、とてもアルザスで役に立つとは思えなかったからだ。
だが、エリスはロイド男爵に武人としての力を期待しているわけではなかった。
「先ほど、彼には話を聞いてきました。少し話しただけですが、人柄は優れていると思います」
「……しかし、人柄に優れているとはいえ、彼は敗軍の将ですよ」
ベッテルハイムが言うとエリスは首を横に振る。
「ロイド男爵はもともと商人の出だそうです。それゆえ軍人としての才能はないのでしょうが、しかし商人として、我が国に大きな貢献をしてくれるはずです」
エリスの言葉に、キバたちは顔を見合わせる。
まさか、ロイド男爵に何かしらの才覚があるとは思ってもみなかったのだ。
――だがエリスの人を見る目は確かだ。
ドラゴニアの軍師だったとは言え、見ず知らずだったキバを軍師に迎え入れたことからも、彼女の高い人材登用能力が伺える。
それゆえ、彼女がそう言うならば試してみる価値はあると思った。
「では、商売をさせてみますか」
キバは、物は試しにと、そう言ったのだった。
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