2-8
遡ること二日前。
「――交渉は決裂だな」
ラセックスの王宮で、国王にキバはそう突きつけられた。
塩を提供するから、代わりにアルザスを守ってくれと言う提案。しかしそれは、アルザス側にあまりに都合が良すぎるものだった。
なぜならば、ラセックスからすれば、アルザスを守るくらいならば、その兵力でアルザスを併合し、塩湖を手に入れれば良いからだ。
損得を大事にするラセックス国王にしてみれば、キバの提案は到底受け入れられないものではなかった。
――だが、そんなことはキバもわかっていた。
「……では、改めて提案させてください」
その言葉をきいて、ラセックス国王はキバが“ダメもとでお願いしていただけ”だと気がついた。
「提案……だと? ……さては、わし相手にふっかけようとしたのか?」
「国王陛下相手に申し訳ありません」
キバは謝罪する。
そして、すぐさま本来の“提案”をする。
「我々アルザスは、ラセックス王国に、塩湖を割譲いたします」
その言葉に国王は眉をひそめる。
「塩湖をタダでよこすと言うのか?」
「その通りでございます」
「……だから代わりに守れと、そう言うことか」
「アルザスを守れとは申しません。ただ塩湖を国王の領土とし、お護りください」
「……クラウンジュエルの小話というわけか」
国王は、キバの驚きの提案に対してそう言った。
「おっしゃる通りでございます」
「――強盗にその王冠を狙われた王がいた。その王は、自ら王冠についた最高級の宝石を、えぐり出し、強盗に投げつけた。そして強盗が宝石に夢中になっている間に逃げ去った。そのおかげで命が助かった」
それは、大陸に昔からある故事だった。
「左様です。何かを狙われているときは、それを差し出せば、助かるというわけです」
「……なるほど、面白いではないか」
国王は、わずかに笑みを浮かべた。
少年が知将だとは娘から聞いていたが、娘の目に狂いはなかったようだ。
「だが、小国の軍師よ。先ほども申したが、塩湖は、我々が軍を差し向ければ、いつでも手に入るのだ。すなわち、塩湖をもらったからといっても、お前たちを守る理由にはならぬぞ」
だが、その指摘は当然キバの想定内だった。
「いえ。陛下は損得勘定を大事にされる方と聞いています。それならば、我々を守るのが得策です」
「というと」
「陛下たちにお護りいただけない場合、我々は塩湖にある塩の採掘機材を全て破壊し、大陸の奥深くへ逃げることになります。そうなれば、ラセックスは、塩湖で塩を採掘するために、ゼロから設備を導入し、労働力をどこかから集める必要があります。一方、陛下がアルザスをお守りいただけた場合は、我々が持っている設備、そしてその労働力をそのまま使用していただけます。それ以上の追加コストはかからず、最低限の投資で、貴重な塩を手に入れることができます」
「……なるほど。確かに、どうせ塩湖を手中にするならば、アルザスを守ったほうが、多少なりともお得というわけか」
「それだけではありません。塩湖の割譲を受け入れない場合、陛下は塩を手に入れるために、ジュートと戦う必要がございます。そうなればドラゴニアの一万人と戦わずに済む代わりに、ジュートの5万の兵士と戦う羽目になります。果たして、どちらが良いかは、素人でもわかることです」
「だが、アルザスを守る場合は、ドラゴニアと戦うことにはなる。今塩湖に向かっているのは一万かもしれんが、追加で兵を送ってくるやもしれない。そうなればジュートと戦うのとどちらがマシかわからんぞ」
なるほど、国王の心配は最もだった。
だが、キバは当然それも計算に入れている。
「いえ。ドラゴニアが今動かせる兵士は、確実にジュートのそれを下回ります」
「なぜそう言い切れる」
「これはもともとドラゴニアの軍師だったゆえ知っていることですが、――現在、ドラゴニアは内乱の危機にあります」
「……内乱、だと?」
「かつて征服したラインバード公国で独立の機運が高まっており、国内の反対勢力を取りまとめて、虎視眈々と機会を伺っているのです。それゆえ、ドラゴニアはそれを封じ込めるために、10万の兵士を温存しています。もしこれを全て塩湖に向ければ、好機とばかりに反乱軍が王国に反旗を翻すことになる。だから、彼らはジュートとの全面対決ではなく、比較的簡単に征服できる塩湖の奪還を目論んでいるのです」
「――つまり、ドラゴニアが動かせる兵士は一万が限界と」
「その通りです。そして、これは私の予想ですが、陛下が今自由に動かせる軍は、おそらく三万ほどでしょう」
キバのその言葉に、国王はいよいよ驚く。
「なぜ、我々が動かせる兵士の数を知っているのだ!?」
「大陸で起きている主要な争いの帰結は、全て把握しています。陛下は、先だってノースアングルとの戦いに勝利を収められたばかりと聞いています。その兵士がちょうど帰還するころでしょう。その数がおそらく三万はあるかと。これなら、ドラゴニアの三倍の兵力。負けるはずがございません」
キバの言葉に国王は唸る。
昨日までアルザスのために働くなど微塵も考えていなかったが、もはやそれをしない理由が見つけられない。
完璧に説得されてしまった。
「――これは完全に一本取れたな」
国王はヒゲを撫でながら、キバをまっすぐ見た。
娘が惚れ込んだ男と聞いていたが――まさか、ここまでの人物とは。
「――よかろう。ラセックスは三万の兵士で、アルザスを守る!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます