第62話 王たる所以を知れ
女王の血香のせいで、引き込まれたはずの悪鬼は酩酊しており、襲い掛かってくる様子がない。そして、私は気が付いてしまった。
そこら中に人間の視覚では捕捉できない透明の蛇がいる。
まるでもぐらたたきでもできそうな数だ。
その蛇がいる地点を線でつなぐとどうなるか。
「縛陣だ」
おそらくこの蛇は私にしか見えていない。
悪鬼は酩酊しているだけでなく、動けないのだ。
自らが縛陣の中へ踏み込んでいくのだから、どうしようもない。
「ピンチはチャンス」
この状況で何を言ってるんだというように悠貴の目が私へとまっすぐに向かった。
私は面白すぎて、笑いをこらえきれなくなった。
「うちの父さんが普通の神経していると思う? 時間を稼げか……。 なるほどね」
宗像時生、私の父はすでに何かを仕掛けている。
それが発動するまで、囮になれということなのだ。
だから、王樹の泉ではなく、道反に誘導した。道反は元から父の領域だ。
「よく聞いて。 さっきの父さんの驚き様はたぶん芝居だと思う。 私たちは半殺し、もしくは死の一歩手前までは行くかもしれないけれど、それでも、時間を稼ぐ。 それが役割ってことみたいだ」
ふっと横にいる雅の横顔に目をやると、彼はとほほと苦笑いしている。
「じゃあ、ここで奴にみつけられるのも計算のうち?」
盛大にため息をもらして言った珠樹に、隠し舞のレベルも査定されていそうだと、悠貴が苦笑いして言った。
「あのお姿に変身させるのも目的の一貫かもな。 ただ、がちんこで喧嘩するには魔法使い貴一がいないからなぁ、今の俺達には……」
雅の額に汗がにじんでいる。
軽口とは裏腹に、雅の眉は深く寄せられたままだ。
貴一がいない状況下では4人で一番強いのは雅だ。その雅だからこそ、相手の力量を正確にはかりすぎているのだ。さっきから一度も彼から視線をそらしていない。
「真っ向勝負はするな、時間を稼げって言われたよね? 宗像のこだわるべき誇りってあったっけ?」
私のつぶやきに、悠貴がにやりと笑んで、珠樹と雅が大ため息だ。
黄泉使いとしてデビューする直前に、親世代がくれた訓示はこうだ。
『死ななければ何でもあり』
各家の家訓というか、方針というか、そういう大切なものを棚に上げて、親達は全員これしか言わなかった。
生きざま、プライド、そんなものは無用だと、死んで名があがることなどないと、淡々と言われたのだ。
「何て言われた?」
私は雅の横顔に聞いてみた。
雅ははぁとさらにため息をもらした。
「津島はもとから卑怯千万の名を欲しいままにしている家だ。 高尚とは無縁。 ゆえに、無理なものは無理と退き、強い者におしつけること」
雅は父親である聡里の口真似までして答えた。
悠貴がそれをきいて、似てると笑った。
「うちは、こう。 貴一を連れていると想定して相手を推し量った時に、貴一を背負って逃げ切れるかどうか。 無理かもと思うところで、退くこと。 目くらましであれ、何であれ使い切ってよし。 高尚で、勇ましい闘い方を下手にして、強い者の邪魔になることがあれば二度とお前に黄泉使いとしての道はないと思え」
悠貴の口真似は冬馬だ
珠樹があまりの悠貴の口真似のクオリティの高さに爆笑している。珠樹の師匠は冬馬だ。わかりすぎるほどにわかるのだろうが、笑いすぎだ。
「うちは、もっと悲惨だったよ。 あぁ、珠樹ちゃんの腕っぷしにはパパあんまり期待してないから、やばいの来たら逃げちゃいなさい。 誰を囮にしても逃げちゃって良いからね~だから」
珠樹が公介の口真似をすると、悠貴が非難の声をあげた。
「マジ顔で言ってそう……」
「そりゃ、マジ顔で言うよ。 あの父だからね」
悠貴と珠樹が顔を見合わせて、乾いた笑い声をあげている。
静音はと問われて、私はうなだれるしかない。
たぶん、うちの父が一番悲惨な訓示をくれていると思う。
ききたいかと三人に問うと、三人はうなずいた。
デビューを控えて、目をキラキラさせていた私に父が浴びせた一言はこうだ。
「君がやらなくても、誰かがするから、汗をかくなんて無駄なことをせずに、高いところからただ観察していなさい。 終わるかなぁという頃に参加して、首チョンパだけして、手柄だけいただいておいで」
時生の口真似をしながら言い切ると、卑怯千万と3人から声をあげられて、私もさもありなんだ。
「我が父ながら、黙れよと心底思ったデビュー前日を今でも忘れられん!」
本当に殴ってやろうかと真剣に拳を握り締めたあの日を思い出してしまった。
隣できいていた貴一が涙を流して笑い転げていたから、それに免じて父を許してやったが、時生はなんか悪いこと言ったかとしきりにきいてきたことも思い出した。
「と、言うことで……、皆さま、訓示を採用されますか? 是非は?」
3人が私の問いかけに、是と答えた。
目の前の敵は親の言う『やばい奴』であり、『強い者におしつけて良い者』であり、『目くらましでも何でも使い切って良い者』でもある。そして、私達ではなく、『誰かが殺る』相手でもある。
「やばい奴からの退却は簡単にはいかない。 本当に策はあるのか?」
雅の目はまだ彼の動きを捕捉したままだ。
隠し舞を徹底的に使うと悠貴がつぶやいた。
時間を稼いでいることも、退却することもばらさないためには前に出ているように見せて、闘いながら退くしかない。
「闘うが、食らいつかないこと」
悠貴の指示に、うんとうなずいた。
「まぁ、食らいつくって選択肢は生まれないと思うぞ……。 ガチでやって、退けるかどうかも怪しいもんだ……」
最も強い雅が目に汗が流れ込んでいても、瞬きをしない様子に、珠樹が眉をひそめた。
「雅、下手に勇んで前に出るなよ。 あんたが殿になるような動作をとるとすべてがばれる」
珠樹が雅の背を思い切り叩いて、雅がようやく目を離した。
「何するんだ!?」
「ようやく、こっち見たな。 なぁ、強いのはあんただけか?」
珠樹がずいっと顔を寄せて、ニヤリと笑った。
「ここは悠貴の領域だ。 奴が何か仕掛けてこようと、一撃目は絶対に当たらない。 理解できているか?」
悠貴が本当になめられたものだと苦笑いしている。
珠樹の肩に手を置いて、変われというように雅の襟首をつかんだ悠貴が彼を引き寄せて、耳元で何かつぶやいた。
雅がその言葉に目を見張り、一つだけうなずいた。
「静音、卑怯千万で行こうか?」
悠貴がくすりと笑った顔は戦略が出来上がった時のものだ。
「どうせなら、こちらの得意に引きずり込もう。 隠し舞するなら派手なのが一番だろう?」
悠貴のこの言葉に何となく雅に何を指示したのか察しがついた。
道反では自分たちに庇護を与えてくれている神々も確かに動きにくい。
それだけではない。父の敷いたレールにまんまとのっていく必要がある気もしてきた。悠貴が選んだ舞台は私達よりもさらに得意とする存在がいるからだ。
「すんなり行くか?」
雅の問いに悠貴がそれはお前次第だろうがと笑い飛ばした。
「あちらはこちらが画策しているなんてお見通しだろう? 黙って待っていてくれているところを見れば、望むところなんだろうし。 ただ、私たちのこれを暇つぶしにしかとらえていないのだとしたら、犬に手をかまれた程度にしかならんかもしれんが確実に傷は残せる」
悠貴が手をかむような仕草を見せて、笑っている。
やるしかないこともどうすべきかもわかっているが、ほんの少しだけ口惜しかったのは、道反大神に逢いたかったからだ。あの桃の女神にも逢っておきたかった。
彼らに貴一のそばへ行って欲しいと頼んだ上で王樹の泉へと送り出してもらうのが当初の目的だったが、もう戦場がここになっているのならば、その必要はないなと、切り替えようとした時、不意に足に何かが当たった。
「桃」
桃の数は四つ。間違いない。喰えということだろう。
私はそれを拾い上げると、雅と珠樹、悠貴にそっと差し出した。
「意富加牟豆美命からの差し入れだよ。 貴一を護ってくれている女神様が、回復のためにくれたんだと思う。 口にするかどうかは各自が決めて欲しい」
私は意を決して桃に口をつけた。ただの桃ではないことは知っていた。
3人は桃を手にして思案している。最初にこれを手にした時の私と同じ反応だ。
私は疲弊している自分自身を顧みた時に、背に腹はかえられないと踏み切ることにした。
「貴一はこれで命を繋いできた。 大きな反動を受ける身体を護ってきたんだ。 初めてこれを手にした時、正直、抵抗はあった。 だけれど、意富加牟豆美命は貴一を護ってくれた。 だから、信じることにしたんだ」
それに、こうやって返事をくれたのだと思う。私が依頼するまでもなく、道反大神も意富加牟豆美命も貴一をサポートするから大丈夫だと言ってくれている気がした。
私に続いて悠貴が口にして、雅も珠樹も口にした。
誰もが無言だ。皆、怖さは残っている。
私たちはそういう教育を受けてきている。
神とは一線を画せと、神の世界の食べ物に触れてはいけないと知っているからだ。
「これで全員に何かあったとしても、貴一だけが外される世界を私は好まない。 ま、全員同じと思うけれど」
悠貴が食べ終えると、つぶやいた。さすがに姉上だと雅と珠樹が笑っている。
「皆、頭のねじをどっかに落としてきたんじゃないの?」
私がそう言うと、親が親だから仕方ないと3人が真顔で答えた。
「来るぞ」
奏太が動いたと悠貴が眉をひそめた。
そして、急げと雅に指示を出した。
悠貴の封陣はこちらからはガラス同様に外を覗き見ることができるが、向こう側からはすりガラスだ。
ある程度の詮議の時間を与えてはくれたようだが、しびれを切らしたのだろう。
雅が自分の指先に歯を立てて血をにじませた。
「闇夜の帳、根の泉より来たれ、予母都志許売!」
地鳴りは轟音となり、地と空気が揺れる。
地割れしたその暗い狭間から頭をもたげた真っ黒な蛇がこちらをみた。
「餌だ、くれてやる」
蛇が雅の傷から流れ出てくる血液をなめとると、電波に近い高音の叫び声をあげた。
「闇は闇、穢は穢! 吾らを根の泉まで導け!」
黒い大蛇が私達四人に向けて口を開いた。入れと言うことだ。
させるかという奏太の攻撃を大蛇は尾で振り払ってくれた。
ねばねばした唾液に身を汚しながら、私たちはおとなしく大蛇の口へ飛び込み、その牙にしっかりとつかまった。大蛇と共にずぶずぶと地中深く引きずり込まれていく。
「根の泉ってさ、どんなところ?」
私が牙にぶら下がりながら問うたが、雅は知らんと言ったきり、押し黙った。
なるほど、集中が切れたら、私たちが本気で喰われる可能性があるのかと隣にいた悠貴の方を向いて苦笑いした。
悠貴も悠貴で、参ったよなと苦笑いしている。
綺麗好きで、ちょっと潔癖症の珠樹はこの状況に卒倒しているらしく、悠貴が襟首をつかんだままだ。
「珠樹はこういうの駄目だからなぁ。 だから、これは想定内」
ゆえに、悠貴は雅に耳打ちしていたのだ。
『珠樹は何とかするから、根の泉まで引きずり込んでくれる根の神を呼び出せ』
なるほどと笑ってしまった。
これを当初から珠樹が知れば、それはそれは大変なことになっていたからなと悠貴が笑った。完全に事切れている珠樹の姿に目をやると、あの冷静沈着な完璧すぎる美人にも弱点があるのだなぁとため息が零れ落ちた。
大蛇の動きが緩慢になったかと思うと、急に吐き出された。
どうやら根の泉に到着したらしい。
自分の中にあった勝手なイメージは黒々とした沼と幽霊みたいな木、むき出しの岩肌のはずだったのだが、これはどうしてなかなかに美しい。風景としてこれほどのものはそうそうない。
溢れ出る深緑の木々に囲まれた湖が目の前にある。
水草が少なく、水も非常に透き通っており、波風一つ立たない穏やかな湖面は揺るぎ一つない。
水面を覗き込むと、あまりの透明度に引きずり込まれるような錯覚を起こしてしまう。
「知床の一湖より綺麗な気がする。 空がないのが惜しいけれど……」
きっと、大空があれば、その空の青さまでもこの湖面は綺麗に映し出すことだろう。
「というか、知床に行ったことあったんかい!」
雅がぜえぜえと肩で息をしながらこちらを向いた。
「父さんと貴一と行ったことあるよ」
北海道の神威古潭に行ったついでというより、ご褒美の夏休み旅だったように思う。父の仕事のついでに、私と貴一がくっついて行っただけの話なのだけれど。
悠貴がそんなことあったなと大きく頷きながら、起きろと珠樹の頬を軽く指先ではじいていた。
「さて、この選択がどう転ぶかだな」
雅はばたりと後ろにひっくりかえって、目を閉じている。
悠貴がよくやったと雅の手にポンと手をのせた。
「どれくらいで追いつかれるか、まずはお手並み拝見だ」
そう言うと、悠貴が胡坐をかいて、印を組み始めた。
不意の一撃を逃れるための防御だと目を閉じて、集中した。
珠樹がようやく身を起こして、髪に付着したままの大蛇の唾液を必死に払おうとしている姿に雅が笑った。
私はゆっくりと立ち上がって、真っ暗で何も見えない頭上を見上げた。
「静音、貴一なら心配いらないさ。 お前があいつの半身なんだろ? お前が生きてるってことは、あいつも生きてる」
雅がよいしょっと体を起こして、ストレッチを始めた。
それに、そこはちょっと危ないんだよなぁと雅が私の身体を抱きかかえるようにして、後方へさがった。
私の居た場所がまるで爆撃を受けたよな窪みになっている。
「流石というか……。 えげつない」
雅の右袖が切り裂かれており、血がにじんでいた。
悠貴の印が完成するまでの数秒も与えられなかったということだ。
珠樹が悠貴の襟首をつかんで離脱していたようで、皆、それぞれに散々ではあるが無事を確認しあった。
「皆殺しだとお伝えしたと思うけれど、悠長すぎないかい?」
奏太が指先をパチンと鳴らしただけで、火柱が四方からあがる。
炎の監獄が準備された。こうも囲まれたら悔しいが、手も足もでなかった。
だけれども、時間を稼ぐ手段はもう十分に起動できる。
道反はその名の通り、道反大神の特別領域だったが、この黄泉は誰の領域でもない。天之尾羽張、闇淤加美神、闇御津羽神、武甕槌大神、それぞれが思う存分に能力を発揮できる。
桜の舞を盾に、ひたすらに真っ向勝負だけは避けていく。
傷を負うことは避けられなくても、致命傷だけは逃れられる。
隠し舞を親世代が使えたのなら、もっと良かったのだろうが、未熟なりの闘いを続けていくしかない。
まるで頭から水をかぶったほどの大粒の汗が顎の先からしたたり落ちていく。
息があがるが、動きを止めることは死を意味する。
時間を稼げ、時間を稼げと繰り返し心の中でつぶやく。
雅が根の泉から八雷を召喚して、奏太の攻撃を防いでくれることで1分程度だが、休息を私たちに与えてくれるが、その雅は休息などとれはしない。
徐々に雅が召喚できる時間が短くなってきており、回を重ねるごとに不完全になってきている。それを見逃してくれるわけもなく、雅をまずはたたくという方針にきりかえた奏太がピンポイントで襲い掛かってくる。
珠樹がそれを察知して、雅を後方へさげ、前に出るが、悠貴がまずいと口にした。
珠樹の隠し舞は遠距離に秀でている。近距離では得意なスタイルを維持できない。
珠樹自身もそれを自覚してか、弓を槍に持ち替えているが、槍の使い手である奏太には及ばない。
マッチアップが増えるほどに傷が増えていき、致命傷を負いかねない。
「桜の舞、十三夜!」
こういう時のために、私がいる。
私の隠し舞は変幻自在だ。攻撃特化という雅と珠樹のそれとは違う。
雅を何とかしなくてはいけない。
雅を回復させることに徹しろと集中した。
だが、奏太はそれすらも読んでいたように、私のわき腹を深くえぐった。
口から血がこぼれるが、舞は解かない。
わき腹をえぐった切っ先がより深くくいこんでくる寸手のところで、珠樹がはじきとばしてくれた。
その場で膝を折っても、舞は解かない。
ここで最も有効な攻撃をすることができるのは雅だ。
悠貴が私の身体を支えながら、口早に何かしてくれている。
耳の中で音がして、身体から痛みがひいていく。
そうか、悠貴もまた形を変えることのできる水の神の庇護がある。
ならばと、私は雅の回復に集中する。
その間だけは、耐えてくれと近接戦にうってでた珠樹を信じた。
「もう良い、いける」
雅が日本刀を片手にゆっくりと立ち上がり、珠樹と攻守を入れ替わった。
奏太も雅は一筋縄ではいかないらしく距離をとっている。
どれくらいの時が稼げたのかなど、もう感覚がわからない。
肺深くまで息を吸い込むことも苦しくなってきた。
奏太が一気にたたみかけるようにあたり一面をさらに大きな炎で包んでしまった。
退路を探ろうにも、どこにも蒼い炎が途切れる場所がない。
お手上げかもしれないと、誰もが空を見上げそうになったが、私たちはこんな時なのに全員が歓声をあげてしまった。
ゆらりと炎のゆれの向こうに待っていた人間の姿が映し出されたからだ。
これが蜃気楼であったなら、もう死期がおとずれたのだと諦めるが、炎の壁の向こう側に待ちに待った正義の魔法使いの姿が見えた。
「癖のない塗れば烏の髪は長く、意図して隻眼とした琥珀の瞳は宝石よりも貴き物」
悠貴が詩を口にするように言葉をつむぎはじめた。
「夜に映える月の如く、身に纏う衣の色は夜の色と白。 その背に抱くは満ちた月と桜の花」
珠樹がその続きを口にすると、悠貴がくすりと笑った。
「手にする扇の名は盈月、その者を月讀の子という」
奏太の蒼炎が紅蓮の炎に焼き切られ、視界が開ける。
雅が行って来いと私の背をおしてくれた。
ゆっくり、ゆっくりと待ち人がこちらへ向かって歩いてくる。
黒い長い髪を紅の紐で後頭部高く結い上げ、左眼には白い眼帯。
白と黒の組み合わせの長羽織にははっきりと桜が描かれているはずだ。
表情が見えないが、わずかな灯りの中、彼の口元は笑っていた。
その彼の背後には、彼より幾分背の高い誰かが一緒にいる。
「貴一!」
私の声に貴一がにっこりと笑っているが、右目が行くぞというようにするどくなった。
「鴈楼蘭……、何故、お前がいる」
薄明りの下に現れたもう一人の男に奏太の表情が苦し気に歪んだ。
「やぁ、こうした場合、お久しぶりと言うべきかな? 弱い者いじめは好きになれないんだよねぇ、だから、僕が助っ人してさしあげようと思ってね」
貴一の背後にいる男の髪の色は燃えるような赤だ。彼のことを鴈楼蘭と奏太は呼んだ。
「形成大逆転だ……」
鴈楼蘭とは美蘭の父親であり、白王の名前だ。
紅王、宗像志貴と互角の男がここに来てくれたのだ。
鼻の奥がツンとしてきて、涙がこぼれそうになって、歯を食いしばった。
応援を送ると父は言っていた。たぶん、これがそうだ。
体力はもう限界なのに、まだ、行ける気がしてくる。
「ぴよぴよ達、この白の王が加勢する!」
楼蘭が奏太の蒼い炎を指先一つですべて弾き飛ばしてしまった。
面白いと奏太がつぶやき、さらに大きな炎を地中から呼び起こした。
「本当に感じの悪い闘い方が好きだよねぇ。 炎でジャグリングでもしたいわけ? ポンポン投げないでよね」
楼蘭が貴一に向かって放たれた炎を白い刃ではじきかえした。
ふうっと息を吐き、なかなか重いじゃないかとつぶやいたが、白の王と言うだけあり、傷一つ負っていない。
「ぴよぴよ達、思うようにしてみたら良い。 若いってのは一気に成長するからねぇ。 何事もやってみてなんぼよ? 僕はみてくれは少年だけど、中身はおっちゃんだから、気にしないで」
気にするなと言われても、鴈楼蘭は抜群に若い。
そして、恐ろしく女顔で可愛い。まさにアイドルじゃないか。
でも、発言や態度からはぞっとする何かを感じさせるには十分だ。
穏やかな口調はおかしな奴しかいないのかという雅のつぶやきに、父である時生の笑顔がいの一番に脳裏をかすめ、私は激しく同意した。
やってみてなんぼというには強すぎる相手に挑んでみろと言うあたり、白の王もさすがに阿呆世代の一味だ。
「静音!」
貴一が呼んでいる。
全力で駆けぬけ、その両腕の中に飛び込んだ。
貴一が私の耳元でつぶやいた。
「勝ちにつなぐよ」
私はうんと頷いた。
貴一の身体からはわずかに夜の匂いがした。はっとして顔を見上げると、貴一が罰悪そうに唇をかんでいる。
「いずれどうにかする」
その『いずれ』が一番怖いというのにと、私は眉間にしわを寄せてしまう。
でも、貴一の何かが変わっていると思った。変わっているというのは表現が少し違う。彼は何かを乗り越えた。それが一番近い。
「次世代の意地、見せるよ」
貴一が扇を開き、にやりと笑んだ。
それだけで、もう疲れも痛みも吹っ飛んでしまった。
ボロボロであろうと、ここからだと全員の足にもう一度しっかりと力が入ったのがわかった。
『王っていうのはね、能力が高いから優れているわけじゃない。 いずれ、静音にもわかる日が来るよ』
父の言葉の意味がよくわかった。
場の空気を一気に変えてしまえるほどの信頼を集めることができるのが王だ。
マイナスを一気に弾き飛ばしてしまえるのが王だ。
君がいるだけで良い、貴一。
これで、ようやく本領発揮できる。
「白川なめんなよ……奏太」
私は父によってかけられたままの封を解くことにした。
だって、これを解放しても、ここには貴一がいる。
貴一が苦笑していたが、止めてくることはなかった。
これは容認だ。
私はゆっくりと瞼を閉じた。
身体の奥の奥で、かしゃりと鎖が切れた音がした。
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