第59話  白の王 鴈楼蘭

 湯殿だと言われ、楼蘭にみぐるみを剝がされる勢いで真っ裸にされた。

 突き飛ばされ、湯の中におちた瞬間に、身体中の傷と言う傷がおそろしいほどにしみた。だけど、温泉は心地良くて、状況を忘れて、くつろいでしまった。

 超特大露天風呂としか僕の語彙では表現できないけれど、小さなプールよりは確実に広い。大きな岩をくりぬいて作られており、自然そのままにごつごつとした感触がする。端まで行ってみると、すぐそばに清流が見えた。

「スケールが違う」

 そりゃそうだろうと楼蘭が目の前の岩にひょいと飛び乗り、僕を見下ろしてきた。

 お湯にふれたくないのか、水しぶきから足を退いている。

「息子くん、この湯は何ともないの?」

 質問の意図するところがよくわからず、僕は気持ち良いとだけ答えた。

 すると、楼蘭は壮絶なまでの唸り声をあげて、珍しい物を見るような目つきで僕を見た。

「流石というか、古の血をもつってのは無敵だな。 宗像はやっぱりやばいな。 バケモノだわ」

 なんだそれはと僕が小首を傾げると、楼蘭が岩の上にしゃがみこんだ。

「ここはさ、常人が浸かれば治癒するどころか、死んでしまうほどに強烈な湯なんだよねぇ。 よく溶けるんだよ、これが! 僕も2分が限界かな?」

 僕があわてて立ち上がると、その水しぶきがかかったらしく、楼蘭は嫌だと袖でそれをぬぐった。

「何でそんなところに僕を!?」

 あまりのことに声が裏返ってしまった。楼蘭がまぁまぁと僕の肩をおして、湯に浸かれと言うが、僕はとんでもないとそれを拒否した。

「心配するな、志貴も時々ここへつかりに来てる」

「はぁ!? 女王は大丈夫でも、僕は違うかもしれないのに!」

「そう怒るなよ。 志貴は小一時間は平気な顔してるし、一心さんにいたっては何ともないそうだ。 だから、大丈夫だよ、たぶん!」

「たぶんって!」

「そっくりだねぇ、息子くん。 志貴も初めてここにつかった時に同じ反応してたよ。 一心さんには本気で殺されかけたけど」

 楼蘭はものすごく嫌な記憶を思い出したのか、渋い表情をした。

「一心さんが王じゃなくてよかったよ、ほんとに! 僕、仲良くできる自信ない」

 軽口をたたいているが、楼蘭は人差し指だけで僕の肩をおさえつけて、湯にしずめていく。

「さて、息子くん。 冗談はさておき、ここは王樹の泉の性格と似ているが、徹底的に異なるのは『穢れ』にのみ対応しているという点だ。 この湯の中には穢れを好むものが住んでいて、それがある程度おおまかな部分を喰ってくれる。 故に、思う存分、喰われてしまえば良いというわけ」

 言葉も表現も穏やかでなはい楼蘭を僕はきつくにらんだ。

「息子くんのその目! 一心さん、そっくり! 志貴みたいに可愛い目だったらよかったのにねぇ」

 楼蘭が立ち上がろうとした僕の頭を押さえつけるようにして、湯につからせてきた。悔しいけれど、力負けも良いところで、僕は身動き一つできなかった。

「紅王の泉が再生、僕の泉は浄化。 互いに泉の性格が違うから協力し合っているんだよ。 泉だけでどうにもならない細やかな部分は互いの王が何とかするしかないんだけどねぇ」

 まだつかっておけと楼蘭は僕の頭から手をのけようとしない。

「いいかい? 宗像の血は基本的にブラックホールタイプ。 臨界点なく、受け入れてしまえる性質といえる。 だけれどね、そのブラックホールにもデメリットがある。 自覚できているだろう?」

「受け入れるものと同化してしまうおそれがある?」

「その通り。 受け入れたものが夜や穢れであれば、息子くんは『それ』に等しい存在になる」

「封じる手立てはないのですか? 浄化に特化している王のあなたなら御存知ではないのですか?」

「確かに、封じる手はある。 だけど、鴈一族はその封じ手を繰り返してきたから、核となる血を繋げなくなり、弱体化した。 つまり封じ手はあるが、かなりリスキーということ。 ただし、鴈一族と宗像一族は血の濃さが違う。 同じ封じ手でも、発動条件も機序もおそらく異なるだろう。 ただし、封じ手を身に抱えた人間は血を繋げないという点は変わらない」

 楼蘭がやってられないよねと笑った。

「封じ手を扱えるのは一定より上というより、頂点のクラスでしか不可能だ。 皆を護ると決意した段階で最上級の血は絶たれる。 血族を護りたくて封じ手を身に宿したが故に、血を繋げなくなるなんて不幸の上書きみたいなものだろう? うちの一族のトップは臨界点とも思える窮地に立つたびにそれを繰り返し、直系を減数してしまった。 だから、冥府の良いようにされすぎた。 まぁ、王樹が復活したし、僕の代で何とかするつもりではいるんだけどね。 宗像とはある意味で縁戚だしね」

 縁戚という楼蘭の言葉に美蘭が自分も半分宗像だと語っていたのを思い出した。

「美蘭のお母さんは宗像なんですってね」

「うん。 幸か不幸か、僕の所へ来てくれた宗像出身のお嫁様がいたからねぇ。 美蘭はどこもかしこも欲しがる宗像の血を受けた鴈一族の宝……だと思っていたけれど、懲罰が必要な奴らがごろごろいたようだ。 僕もなめられたもんだよねぇ。 君をはじめとして宗像の皆が救ってくれなかったらと思うとぞっとするよ」

「僕は何もしていません。 ただ、違うと思ったから、勝手に宗像へ連れて行ってだけです。 美蘭を笑顔にしたのは僕の姉たちや静音です。 それに、むしろ、美蘭の方が僕らを救ってくれたと思ってます」

 そうかと楼蘭はにっこりと笑ってくれた。さっきまでとは打って変わって、ちゃんと目の奥が笑ってくれていて、僕はようやく安堵できた。

「美蘭のお父さん……やっぱり、僕に封じ手を教えてください。 この先、僕の血がつながらなかったとしても、宗像の直系は僕以外にもいるから、宗像は大丈夫です」

「今は良くても、後に後悔することになるよ?」

「1000年の女王がいる宗像一族に僕はいます。 血が繋がろうが、そうでなかろうが、僕は僕を不完全には思いません。 血を繋げる人はそれで良い。 血を繋げない人もそれで良い。 それよりも大切なことはブラックホールを無駄に暴発させないことです。 違いますか?」

 楼蘭がそうだよねとうなずきながら、指先で頬をかいていた。

「教えることは簡単だ。 だけど、約束が一つだけある。 それを飲めるか?」

「守ります。 約束します」

「簡単なことだ。 護るべきことは一つだ。 一人で生きないこと」

 えっと僕は楼蘭の顔を思わず見上げてしまった。てっきり、女王の許可だとか何だとか言われると思っていた。

「一人にならないことが条件だ。 護れるかい?」

 楼蘭の目が真剣そのもので、僕はその圧に押し黙ってしまった。

「厄介な物を身に押し込んで、制御をかけて生きることは持病をもっている程度のことだ。 当たり前の暮らしをして、当たり前に血族と共にあって良いんだ。 血は繋げないかもしれないが、それもまた個性と受け入れる。 人間は心があるから、自分一人だけの世界じゃ生きていけないものだ。 わかる?」

 楼蘭の少し低い声と柔らかい口調で語られる言葉が僕の胸に突き刺さった。

「封じ手は自己犠牲からするものではないんだ。 自分自身が大切なみんなと暮らしていくこと、かつ、厄介な敵と相対した時の皆を護りきれる最大の武器をもつために決意して行うものだと理解できるかい?」

 僕はゆっくりとうなずいた。

「まぁ、逃げ道はある。 血を繋げなくなる前にさっさと子持ちになってから、封じ手を使うとか?」

 急におどけた物言いになった楼蘭の横顔を見て、僕ははっと息を飲んだ。

 この人はそれをしたのかもしれない。だから、白の王でいられるのかもしれないと思ったのだ。

「美蘭には言うなよ?」

 僕はどきりとして思わず肩をびくつかせてしまった。その僕の様子を面白がるように楼蘭は人差し指で僕の額を小突いてきた。

 ごほんとわざとらしく咳ばらいをした楼蘭が封じ手について語り始めた。

「まずは封陣を己の内側に描き、君のブラックホールにある種の仕掛けをする。 いくらでもため込めるが、ゴールはその者の『天寿』とする。 天寿以外の死はゴールに反するだろう? 仕掛けはそこで初めて稼働し、天寿を妨げた物すべてにためこんでいたものを放出し、破壊する」

「ためこんだものを途中でエネルギー源にかえることはできないのですか?」

「それを可能にしているのは君のママだ。 だけれど、これは志貴の特性があって成立できていることで、いくら一人息子であったとしても無理だと思うよ。 今、現存している人間の中で可能なのは志貴一人だ。 だから、紅王との真っ向勝負は避けるべきだと誰もが思ってる。 それほどに特殊だから、同じことができるとは思わない方が良い」

 僕はそんなに強いのかと自分の母親に対してほんの少しだけぞっとした。

「本来なら負荷でしかないものを100%自分のパワー源に変換してしまう才はまさに死角なしと、志貴を知らない奴らは思うだろうな……」

 楼蘭が岩場に座り込んで、崖の方へ足を投げ出してから、こちらをゆっくりと振り返った。

「それだけの才があるのだから、何もかもがパーフェクトだと誰もが思うが、実際は違う。 神様はそんなに優しくはない。 志貴は自分自身が戦闘することができない。 とんでもなく強いのに、自分自身が戦線に立つことはできない。 それゆえの才能というわけだ。 世界で一番強い奴は喧嘩できないんだ。 すっごい縛りだろう? だから、彼女は考えた。 このマイナスをひっくり返す方法を」

「もしかして、氷輪!?」

「そう、彼女はエネルギーを血族に循環させる方法を身に着けた。 己の手と足となるものに、己のできることを譲渡した。 その結果、宗像は鬼の集団に化けた。 あれの一部でも欲しいよねぇ、ほんとに!」

「一人で生きることをやめたから手に入れたのか……」

「その通り! 一人だけ強くても、誰も護れない。 僕も今回の事でそれを思い知ったところだよ。 だから、これがすべて終わったら、宗像に頭を下げに行くつもりでいる。 その時は味方してよ?……あぁ、話がそれた! 話を元に戻す! 続きを話そうね!」

 ここには本来、空はない。

 でも、楼蘭が幻術で見せてくれている夜空が広がっていた。

 ここへたどり着く途中で、美蘭が地下でも息苦しくないのは父親の幻術があるからだと教えてくれた。

 楼蘭は自分自身が作り出しているその夜空を見上げながら、続きを話し始めた。

「封陣を身の内側において、天寿を全うしたとすれば、そのため込んだものは解放されることなく、君と一緒に輪廻するだけのことだ。 だが、理不尽な死に対しては史上最悪の刃となる。 ため込んでいる物が大きいほど、破壊力は暴力的なまでにはねあがる。 だが、それが作用するのは外敵にのみで、周囲には何の影響もない。 最後の最期に発動する核兵器のようなものだよ。 発動することのないまま、天寿を全うすれば、この封じ手は眠ったままに終わる。 天月眼ってのは君の魂がこうやって繰り返し輪廻に持ち込んだためこみきったものを制御するために後発的に生み出されたものかもしれないと、僕は思っている」

「なるほど……。 じゃ、天月眼をもっているということは、封じ手を身に宿したらやばい奴ですよって証みたいなものってことですか?」

「言いえて妙だけど、そういうことだろうね。 だから、封じ手を知られる前に、天月眼の成り立ちに気づいた輩は排除したいのだろう。 だけど、君は15歳になるまで無事だった。 そこが疑問なんだよねぇ」

「僕が15歳になるまで動けなかった理由があったからかもしれません。 今でなくてはいけなかった理由があるとか……」

 僕のこの一言に、楼蘭があっと声をあげて急に立ち上がった。

「そういうことか!」

 今度は怒りに満ちた声をあげて、眉間に深くしわを寄せている。

「今頃気が付くなんて! くそう! やっぱりターゲットは君じゃないんだ!」

 僕は意味が分からずに首を傾げた。

 楼蘭は奥歯がきしむほどにかみしめて、いら立ちがむき出しになっている。

「あいつにとっては二次的に君を滅ぼせたらラッキー程度なんだ……。 ターゲットは間違いなく志貴だ」

「どういうことですか?」

「あいつは志貴を戦線に引きずり出せたら、それで良いんだ。 自分をたたかせるとなると、志貴は臨界点まで氷輪を使って皆を制御し始める。 そうすれば本物の王樹が丸裸になる……」

「本物の王樹ってどういう意味ですか?」

「王はそれぞれにゆかりの深い王樹がある。 だが、その王樹は目の前にあるものが本物とは限らない。 志貴は自分のブラックホールを己の王樹に預けている。 君が志貴をひきずりだす時に、無意識に触れたのはおそらく本物の王樹だろう……」

「待ってください。 僕に本物を見極めさせたということですか?」

「志貴が封じられれば志貴と縁ある王樹は救いの窓口となるだろう。 だが、志貴を封じることも、引きずり出すことも奴にはできない。 だから、それができる人間が自分の意志で動けるようになるタイミングを待つしかない」

「それが……僕!?」

「天月眼の特殊性に皆が目を向けて、君がターゲットだと思い込む。 それこそが奴の狙いだ。 奴は天月眼ではなく、紅王の糸が欲しいんだ! 千年王の紡ぐ糸は何ができるか知っているか?」

 僕はわからないと首を横に振った。

「紅王が行使する108の糸はすべての罪を浄化し、その者が善であった時間へ戻し、悔い改めさせるという最終奥義。 しかも、黄泉使いは悪鬼以外には関与してはならないというルールがあるはずなのに、これだけはそのルールから外れているんだ。 つまり、悪鬼も黄泉使いも冥府にも適応可能。 彼女だけが紡げる糸はそれだけ強烈なインパクトとなる。 彼女の血肉、器を取得するには朔という大きな障壁があるため真っ向からは不可能だ。 だから奴は裏口を狙った」

「女王の王樹を支配する?」

「王樹ならば、従わすことは可能かもしれない」

「王樹は簡単には従わないはずだ!」

「王樹は己を見つけ出し、血を捧げた者には従う。 志貴の王樹に、奴が自分の血液を一滴でも落としたら状況はかわるぞ……」

「待ってください……楼蘭さん。 奴より先に、母の王樹に血を捧げた人間がいたとしたらどうなりますか?」

「何が言いたい?」

「僕は母さんと入れ替わる時に、王樹に血を捧げて、言うことを聞かないなら焼き払うと言いました……。 つまり、現時点で『本物の王樹』の支配者になりえるのは僕ではないですか?」

「マジか……。 志貴は今、王樹と分離してるってことか。 これを逆手にとれるかもしれない。 志貴自身が気が付いていないならなおのこと、ラッキーかもしれないな。 いや、だったら、君が窮地に立っていることになるじゃないか!」

「それって、僕が本物の王樹の所在を変えれば良いんですよね」

「確かに! 君は下手に賢いな……」

「楼蘭さん、教えて欲しいことがあります。 王樹ってそもそもどうやって作られたものなんでしょうか?」

「どうやって? おそらく、始まりはとんでもない能力者の鎮圧というか、棺のつもり……」

「それってつまり、土台になる魂が清廉でなくとも構わないんですよね? 強ければ、それで良いんですよね?」

「貴一くん、ナイスアイデアだがね……おじさん、今、とっても君が怖いよ」

「まっさらな王樹の器はどうすれば準備できますか? 僕がこの眼を使って、『女王の本物の王樹』を演出します。 楼蘭さんは幻術がお得意でしょう? それと、浄化も。 王樹の新設は誰かの許可が要りますか? ルール違反になるのでしょうか?」

 僕の矢継ぎ早の質問に楼蘭はちょっと待てと僕の肩をつかんだ。

「新しい王樹のネタを仕入れることができる人物を一人知っている。 許可がいるのだとしても、その人物がきっとごり押しで何とかできちゃうはずだ」

「そんな人とどうやったら接触できますか?」

「戦線に戻れば、それで逢えるよ。 これは王同士の勘みたいなものだけれど、君のこのキャラクター……たぶん、君にも王号が降ってくるんだろうな。 だから、封じ手は少し待った方が良い。 この白の王がとりあえず、君の現状の真っ黒のお化けを喰ってやるから、それで一端落ち着こう。 あぁ、ちょっと楽しくなってきた!」

 楼蘭がけけけと声を上げて笑い出した。

「神はこちら側にありだな!」

 さて、湯殿からあがってこいと楼蘭に手を差し伸べられて、僕はゆっくりと湯からあがった。

「傷が……ない!?」

「君にはドストライクの湯だったみたいだね。 親子ともども、良い意味で、化け物だったってことだよ。 自覚しておいた方が良い」

 白い着物を手渡されて、袖を通すがあまりに大きくてぶかぶかだ。


「美蘭! 宗像時生、もしくは白川静音に一報入れられるか?」


 御簾の向こうに美蘭がいるらしく、何だと声を上げていた。


「新参の王を中央へ戻す。 新緑の種を仕込めとそれだけで良い。 白川静音にしかつながらないなら、これを父親に必ず伝えろと!」


 わかったと、美蘭が返事をして、遠ざかっていく。


「宗像時生は万能。 喉から手が出るほどに欲しい人材だよ。 時生さんなら、接触したい人物を動かせるはずだ。 さて、女王の一人息子くん、ちょっとだけのたうちまわるけれど、我慢はできるかな?」


 のたうちまわるという発言に冷や汗が噴出してきたけれど、僕は小さく頷いた。

 建物自体が石でできている小さな洞窟に導かれ、その真ん中で僕は正座させられた。

 そして、白の王の本当の姿を僕は目の当たりにすることになった。




 

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