第55話 約束された5人

 燃やせるものは可能な限り一刻も早く燃やせと盈月が言ったように、僕はひたすらに炎を大きくして、その範囲も数十倍に広げていた。 

 両翼となっていた回廊は完全に焼失。

 中央にある社殿に至るまでの小宮も轟音をたてて燃え落ちて行った。

 黒々とした煙が方々から立ち上り、崩れ行く音も耳に届く。

 攻撃は幾度も受けたが、その度に、四人の幼馴染達がそれを阻み、僕には全く何も届かなかった。

 中央の社殿を前方にのぞむとため息がもれた。

 社殿が大社造だとすぐにわかった。

 拝殿に立つと中庭を経て、霧よけの屋根をもつ階段、その先に本殿がある。

 どうやら玉座とは神坐のことを指すらしい。

 神社を破壊するようで気おくれがした。

「美しすぎるだろ」

 4人が強烈な戦闘能力を持っているせいもあるが、僕は戦場にいる気がまるでなく、社殿を細部まで見渡せるほどに余裕があった。

 あちらの世界にこれがあれば間違いなく国宝に認定されるほどの造形美。経年劣化している木肌さえもが美しい。

 ここを血生臭い場に変えたくはない。これが正直な気持ちだった。

 だが、次の瞬間、視界に入ったものを僕は一度は全否定してみたくなった。


「まぁ、何もないわけはないか……想定外はノーマルオペレーションだな」

 

 古き良き美しい景色の中に異物を見つけてしまって、僕は肩を落とした。

 夜は念のうねりのようなものだからと盈月が教えてくれたから、姿形のない敵を認識するのは困難だった。だから、こうまでも近づかねば気づけなかった。

 

「簡単には行かせてはくれないか……」


 念と言うにははっきりしている。

 これはどういうことなのだろう。

 僕は今、何を見ているというのか。

 男が立っている。間違いなく人間がそこにいる。確実に念とは別物だ。

 ここにきて、夜以外の敵が加算されたと認めざるを得ない。


「やってくれるではないか。 どんな魔法を使って、そんな若いなりをしている?」


 声音も気配も何もかも知っている人間の気がした。

 記憶の奥に眠る面影を手繰り寄せてみて、男が誰であるかをつかんだ。

 これは僕の記憶ではない。僕の魂の記憶だ。

 そして、今の僕自身もたぶん彼を知っている。

 手に汗をにぎり、じっくりと彼と目をあわせる。

 どんっと音がして、砂利が巻き上げられた後、稲妻が走った。

 とっさに飛び出したのは雅で、僕に向かってきた光の刃を槍で跳ね返してくれていた。同系統はお手の物のようで、雅は次から次へと彼の攻撃を受け流し、僕から距離を取らせることに成功していた。


「お前、死ねないはずの呪われた身体はどうした?」


 男はくすりと笑い、僕を指さした。

 冷やりとしたものが背を流れ落ちて行く。


「君の知っている人は僕じゃない」


 声が震える。緊張からじゃない。魂が恐怖を記憶しているのだ。

 彼に対しての恐怖ではない。かつて、ここで僕の身に起こったことを思い出しているのだ。強烈な痛みと孤独だけが支配する記憶が急激に襲い掛かってくる。

 吐きそうだ。血の気が引いていくのが自分でもわかる。


「だが、お前は俺を知ってるじゃないか。 輪廻にのれるはずのないお前なのだから、その若い肉体をどうやって得た?  まずは答えろ」


 かちゃりと金属音が耳に届いた瞬間に、僕の身体は雅によって背後に引き寄せられ、静音が振り下ろされた刃を受けていた。間髪入れず、両側から悠貴と珠樹が槍の切っ先を男の喉元へ突き付けていた。これにより、男の動きは完全に制圧された。

 4人の攻撃速度が桁違いにあがっている。目で追うのがやっとのレベルだ。これが女王によって底上げされた能力だと思うと口角が自然とあがってしまう。


「私の弟は呪われてなどいない。 人違いもほどほどにしろ」


 悠貴が切っ先を引き、同時に男の腹部に蹴りをいれた。

 珠樹も男の背後に回り、彼の膝を狙い槍を振るった。


「お前たちが……こいつを護るとは笑える!」


 男は器用に身をよじり、後方へ飛び退った。

 二人の攻撃が一切届かない。

 ヒットしているのに当たっていない感覚がした悠貴と珠樹が顔を見合わせてから、同時に舌打ちをしていた。


「こいつには何をしても無駄だ!」


 悠貴が攻撃に転じようとしていた雅の腕をつかんで止めた。

 肉体が現存していないと珠樹がつぶやき、静音が小首を傾げている。

 受けた刃にはしっかりと重みがあり、衝撃も届いていたと主張する静音に雅が波長は生きている人間のものだと付け加えた。

「だが、こいつはもう肉体を持っていない」

 悠貴が断言して、男を見上げた。

 男は悠貴を見下ろして、わずかに目を細めた。

「朽ち行く肉体では永続性は得られない。 だから、魂だけを……いや、念だけを残してここを護っている。 そうだろう?」

 悠貴は男にもう一度、槍の切っ先をむけて、言い放った。

 男はわずかに口角をあげただけで、表情はかわらない。

「何としても神坐は滅ぼしてはならないからな」

 男の返答は悠貴の発言をそのまま肯定している。

 僕は唖然として口を開けてしまった。

 僕の魂が知っているこいつはそんなことをする奴ではないとからだ。

「君がここを護るなどありえない」 

「生きる理念をねじまげてしまうほどの事態に巻き込まれたら、人は変わる」

「君は誰よりもこの神坐を嫌っていただろう? 無くなれば良いと言っていたのは君だったはずだ!」

「よく覚えているじゃないか……。 存続を望んだのがお前だったよな? だが、今は真反対だ。 何故こうなったのか、思い出せ!」

 男の眼が血走っている。気配が一気に禍々しいものとなり、静音が僕の周囲に封陣をしいてくれた。

「コイツ、肉体なしでここまでやれるか。 ならば、ここは私がベストってことで間違いないかな? 貴一、退いて」

 静音が僕を後方へ退げて、悠貴と珠樹に目配せをした。

 それを合図に、悠貴と珠樹が僕の両脇をかためるように立った。

「魂の一部を切り離してでも執着するほど忠義心あるんなら、間違えてんじゃないよ!」

 静音が頬を紅潮させて、大声で叫んだ。

「過去は過去。 魂の記憶の有無があったにせよ、いまや別人。 自分の一個前の生の責任など知ったことではない。 お前も早く元の魂へ戻ればどう?」

 静音が指先に炎をともしながら、男との距離をつめていく。

 静音と前に出ようとした雅だったが、足が動かないと複雑な顔をしている。

 それを静音がちらりとみて、そりゃそうだとつぶやき、じっとしてなというように手を振った。 

「皆、こちらにいるというのにお前だけが戻っていない。 だから、津島だけがつけ入られる。 幾度も幾度も血を流すのは毎度、津島である意味を考えたことがある?」

 静音の言葉は男の心を深くえぐったようだった。その顔に苦渋の色が浮かびはじめている。

「お前はココとつながっている。 だから、お前の魂を宿す者がその扉として狙われ続ける意味を理解しているか? 過去の妄執、いや、後悔に苛まれて、お前だけがここに取り残されている。 護れないと嘆いた声から逃げられないままだ」

 静音は指先を男の鼻先につきつけた。

 ふわりと長羽織の裾が風で巻き上がり、美しいローズゴールドの糸のような髪が彼女の頬をゆっくりとなでた。 

「どうしてそいつを護れる? どうしてだ? そいつは俺たち全員を裏切ったんだぞ? だから、この神坐に……」

 歯を食いしばるようにこらえる男の言葉を遮るように、静音が温度のない言葉を投げた。

「お前が騙されたんだよ」

 男の血走った眼が静音をとらえると、彼の手が伸びて、静音の首につかみにかかる。静音はそれをひょいとかわし、男の膝裏を蹴飛ばした。実体がないはずの彼の身体が倒れこんだ。

 悠貴と珠樹が小さく声をあげて、何をしたらあたるのかというように目を凝らしていた。

 二人が静音と同じことをすることは不可能だと僕は知った。

 静音は現存する最高の憑依師だ。瞬時に、肉体を放棄し、魂のみを取り出すようにして彼に攻撃を加えたのだろう。相手が生身でないというのなら、同様の存在であれば攻撃は届く。

 肉体を保存しながら、同時にこんなことをやってのけるのは彼女だけだ。

 だけど、魂をどんな形であれ肉体から引きはがす行為はリスクを伴う。

 僕はそっと指先に炎をともして桜の花を描く。それをそっと地面に落とし、地中深く潜らせた。何かあればそれが外敵をはじくことができるように彼女の立っている下に結界符をおいておくことにした。

 静音はちらりと足元に目をやり、何かを察したようだが、言葉にはしなかった。

「神坐に就けるのは常に一人。 正式な主が存在している限り何人たりとも神坐に就けはしない。 正式な主でないものが強制的に坐に触れるとその者は罰を受ける。 だから、彼は滅ぼすなと言ったんだ。 自分以外が滅ぼしてはならないとそう言ったんだ!」 

「何だと!? 嘘をつくな! 皆が神坐を滅ぼそうと決めた時、そいつはうんとは言わなかった!」

「言うわけがない。 自分以外が触れたのなら、皆、死んでしまうからな! だから、一人で滅ぼそうとしていたんだ! それを……邪魔したのだろう? あの男はお前に何と言った? 神坐に近づかせてはならないではなかったか? 【天月眼は神坐を操る魔と同じ者ゆえに、全てを滅ぼしてしまう。 自ら神坐を葬るなどと言葉巧みに神坐に近寄ろうとしても寄せてはならない。 皆の魂を回帰させるためにも神坐によせてはならない】 どうだ、違うか?」

「どうしてそれを知っている?」

「私の特性のようなものだ。 膨大な記憶を辿ればわかる」

「仲間を殺したのは……誰だ?」

「聞くまでもなく、もうわかっただろう? 彼が皆を殺すはずがないだろう? だから、お前は騙されたと言っている!」

「だが、そいつは皆を殺したのは自分だと言ったんだぞ!」

「彼はそういう男だ! 護れなかったのなら殺したも同然だと言うだろう。 その上で、神坐と刺し違えてでも滅ぼすと動いたはずだ! 盈月、あんたはみていたはずだ! 彼の最期を教えてやれ!」

 手にある扇がコトコトと動き、静音に声をかけられた盈月が扇からひょいと飛び出してくる。

 盈月は静音の方を見て、少しだけ躊躇したような表情を浮かべたが、静音が大きく頷いた様子をみて、一つ息を吐いた。


「滅ぼすには時も力も足りないと判断されたあの方は己の魂の一部を代償にして、ここを封印されました。 次に自分が目を覚ました時に今度こそ徹底的に滅ぼすために私を残されました。 あの方は唯一生き残ったあなただけはどうあっても傷つけたくはなかった。 だから、あなただけは護りたいと願って、すべての敵意を自分に向け、あなたを遠ざけるように動かれたんです」


 盈月は顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

 その瞳から大粒の涙が零れ落ちている。


「あの男こそが、力尽き、息絶えるまで『玉座を起動させよ』と拷問し、決して許さず……躯となってからも右眼さえも奪おうとした悪魔です!」


 盈月の叫びに、男の表情が一変した。


「拷問などされていない! そいつは逃げたはずだ。 息絶える瞬間など……躯など俺は見ていない!」


「だから、騙されていると言っているんだ! 彼が逃げるような性質にあるかどうか考えろ!」


 今度は静音が叫んだ。

 いつもより、数段声が低い。本気で怒っているのだろう。彼女の背中から怒りの念がベールのように立ち上っているのがわかった。

「良いように利用されたんだ、お前は! 奴らは彼をふいに殺してしまい、玉座への道が断たれたことで、お前を利用したんだ。 玉座は彼の血を受けたお前をはねつけはしない。 ご丁寧に神坐を護らされ、お前の魂を持って生まれた者は皆、神坐から漏れ出る力を引き出し、悪用されている。 何をしているんだ……お前が一番の理解者だというのに! くそったれ……」 

 唇を震わせて、怒り心頭の静音の声が感極まりすぎて最後が掠れていた。

 僕の魂が持っている記憶では、彼を憎んではいなかった。

 むしろ、自分に非があると責めていた。恐怖を通り過ぎた激痛に苛まれても、どうか逃げてくれと祈っていた。この命よ、早く尽きてしまえと幾度も願い、次の世では必ず災いを除くと決意して目をつぶっていた。

「誰も悪くない」

 僕は心の中にあった小さな棘のような気持ちを吐き出した。

 今、ここに立っている。その足裏が感じる玉砂利の感触を確かめた。

「皆、生きている。 まだ何も奪われていない。 不毛なやりとりだよ」

「赦すと?」

 静音がこちらに半身だけ振り返り、眉をひそめた。

 許すも何も、僕は彼と同時代生きた人間ではないからと両手をあげた。

「もうやめろよ。 あんただって、心のどっかでわかってたんじゃないのか?」

 雅がぼそりとつぶやいた。

 男の眼がのろのろと雅を捉えた。だが、何の言葉も発せない。

「信じすぎていたから、裏をかかれたんだ。 俺があんたでも、同じようにしくじるかもしれない。 あんたが一番近い人間だったから、あえて殺さなかったんだと思う。 もしもの保険にするために……。 わずかに漏れる程度でも十分な効力があるのだとしたら、あんたをはめた奴ならそう考えるはずだ」 

 動かなかった雅の身体が自由に動き出した。

 ゆっくりと男に近づき、そっとその身体を抱きしめた。

「ここで正そう。 黄泉使いの歴史で、ほつれた糸を出すのがいつだって津島からだった理由が今よくわかったよ」

 雅は彼を自分の身体に取り込もうとしていた。

「根の泉とつながることができる俺やあんたみたいな黄泉使いはさらに利用価値が高いらしい。 だったら、この能力は自分を愛おしんでくれる者のために還元しようぜ」

「泥のような魂の一部を取り込むことになるぞ?」

 構わないさと雅がふっと笑っていた。俺だけが不完全では困るんだとつぶやいた。

 

『王殺しを飲み込む気概があるとはなかなか勇ましいな!』


 社殿の屋根の上に人影がいる。

 気配がどこかまだらな感じがする。黄泉使いなのか、悪鬼なのかがわからない。

 確実にわかるのは、『敵』だということだけ。

 僕同様にはじかれるように屋根の上を仰ぎ見ていた静音の様子から、僕はそれをどう評価するか迷っていた。


『津島雅! 教えておいてやる! お前の魂の一部は王殺しだぞ? それも清廉潔白で、高貴な男を罠にはめ、見捨て、躯を辱めた奴だ』


 男の声に、雅が受け入れようとしていた男が膝をおり、崩れ落ちた。

 雅が大丈夫だと抱きしめなおすのを見て、僕は屋根の上の男に向かって扇を向けた。


「雅が彼を取り戻すのがそれほどに怖いと? 彼は魂の一部を削った念のようになっても良い仕事をするほどの傑物。 彼の心を闇に引きずりこんだ言葉はそれはそれは手のこんだものだったのだろうね。 何がそんなに欲しいの? いや、ちがうか。 一体、何をそれほどまでに恐れているの?」


 僕は男の赤い目を直視して、にらみ合いを開始した。

 このにらみ合いは獣の命のやり取りに近い。

 目を離した方が後れを取る。

 目を離すことなく、僕は雅の名を呼んだ。

 雅がどんな顔をしているかはわからないが、僕の意図は伝わった。

 

「あんたの懺悔は俺が何とかする。 だから、俺に還れ!」


 雅の声がして、気配が一つ消えた。

 静音が僕の脇に立ったと同時に、屋根の上へ悠貴と珠樹が飛び上がった。

 それに追随するように雅が飛び上がり、槍を男の喉元へむけた。


『面白くないことだ。 お前たちは何故他者を許し、受け入れる? 垂涎の的である力を得る権利も有していながら、それをいらぬと言う。 高みに登れるのに、それもいらぬと言う。 迫害されようと、屈せず、心も病まない。 復讐に溺れることも、反旗を翻す行動もない。 奪われても、奪われても、同じだ』


 男がかぶっていたフードを雅の槍がはらいのけた。

 すると絹糸のような漆黒の長い髪が零れ落ちた。男だと思っていた体がふわりとゆがみ女に変わる。

 屋根の上の三人がその髪を見るや否や、すぐにその場を離脱した。

 耳の奥でけたたましい警告音が鳴り響いていた。

 即座に離脱したはずの三人がそれぞれに傷を負っている。

 頬を肩を腕を一瞬にして傷つけられている。


「奪われることに慣れているつもりはない」


 僕は女とにらみ合いを始めた。

 相手を図るにはこれが一番だ。

 冷や汗が額から顎を伝い、地へと落ちていく。


「奪われることに慣れるとな、人間は戦闘意欲も失うものだ」


 冷たく言い放たれた言葉に僕はぐっと唇をかんだ。

 それはお前の事かと問いたい気持ちをこらえて、僕は幼馴染達へ後方へ退けと手で合図した。

 次から次へとたたみかけてくるということは、ここが僕の闘いどころ、肝となるところなのだろう。

 逃げるかと、僕はしっかりとこぶしを握り締めた。










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