第51話 夜にはならぬ
モズの身体が悪鬼に捕食されてしまうかもしれない。
もしくは、敵となった奏太たちに捕らえられてしまうかもしれない。
だって、モズは静音なんだ。
離してくれと僕は羽交い絞めにされながら、暴れ、わめいたが、一心の腕の力の前にもろくも敗れた。
「馬鹿垂れ、じっとしろ!」
一心に完璧なヘッドロックされて、僕は意識を手放しそうになった。
手と足に力が入らないほどにしめられて、僕は唇をかんだ。
「あいつは強い。 簡単には死なない! そうだろう?」
父の言葉に僕はうんとうなずいた。
一心の腕の力が緩み、解放されると同時に僕はその場に崩れこんだ。
今、モズを救いに走ることに利はないと一心が続けた。
「託された物があるはずだ」
左手に握りしめたままの盈月扇が重い。いや、重いと感じるのは心のせいだ。
手に取った時にわかってしまった。
この扇は両親の龍笛と同じ類のものであり、爆発的な威力をもつ『武器』だ。
「行くぞ」
一心に腕をつかまれ、僕は引きずられるようにしてもう一度、立ち上がった。
盈月扇を胸元へしまえと、一心に指で促され、扇をしまおうとしたら、ふいっと扇が姿を消した。僕が驚いていると、一心はなるほどなぁと感嘆した。
「貴一、扇をイメージしてみろ」
言われるがままに盈月扇をイメージすると、ぽんっと手のひらに扇の重みが戻った。
「理屈は氷輪と同じだ。 触れることができるのが俺と志貴に限られているように、そいつに触れることができるのはお前か、静音ってことだ。 俺や静音は保管はできるが、それまでだ」
「どうして使わないの?」
「王の武具を使う必要が? そもそも、自分が武器みたいなもんだしな」
自分が武器という一心。『父』だから『朔』ということを忘れてしまいそうになる。そうだ、僕の父は朔であり、神の狼。女王の獣。
「父さんは……」
僕はどうしてそんなに強いのと聞いてみたかったが、直前で言葉を飲み込んだ。
やっぱり、きいてはいけないような気がしたのだ。
宗像一心という男は最初から強かったわけじゃないかもしれない。どんな想いをして、ここまで来たのかわからない。強くて良いねなどと安易にきけるわけがない。
「強くなけりゃ、どでかい火の玉は抱き留められんからな」
一心は僕の言葉の先をしっかりと読んでいた。火の玉とは母を指している気がした。
僕の記憶の中に居る母はどこか儚げな女性だったが、父は火の玉だと表現した。
「王は火の玉みたいな人ってこと?」
「王は火の玉を飼う人ってことだよ。 覚悟ってのは火の玉だ。 大きな炎を飲み込んで、身体の中で飼いならしていく。 そんな感じだ。 うちの女王はそんな火の玉を何個も食ってるからな。 いずれお前もここに飼えばわかるよ」
一心が僕の左胸をトントンと指でつついた。
「だから、王を護る人間はえげつないレベルで強くなる必要がある。 護るってのは、そのものすべてを受け入れて、抱き留めるってことだ。 覚悟をするのは王だけじゃない。 覚悟なんてもんは一人でせん方が良い」
静音は強くなるぞと一心が面白そうに笑った。
ふっと視線をそらすと、静音がにやりと笑んでいた。
「もう行かなくちゃ……」
もう足を止めていられない。
皆が命を懸けて必死に闘っているのに、僕はまだ何もしていない。
僕が一番のパワーモンスターなのにと苛立った。
何もするな、何も考えるなと一心が僕に言い聞かせるように何度も繰り返す。
走れ、走れと静音が僕に声をかけてくる。
幾度も悪鬼と出くわしたが、その度に静音と一心が薙ぎ払っていく。
奏太の追撃は確実に阻まれている。防壁となってくれているのは何であるかわかっていた。
「ちゃんと勝つから」
走れ、走れと僕は駆け抜けていく。
後方で赤く閃光が走っているのがわかる。奏太が防壁となっているモズの血封陣をやぶろうとしているのだろう。モズが時間稼ぎをしてくれているからこそ、今は振り返ってはいけない。
一心が『あれはしぶとい』と僕の心配をわかっているかのようにつぶやいた。
僕はうんとうなずいた。
王樹のもとへとひたすらにかけていき、結界に飛び込んだ。
結界内は氷点下の世界だった。
一気に汗が氷にかわったのがわかり、身を震わせた。
全面氷なのかと思ったが、よく目を凝らすと、悠貴の身体を中心に蒼白い炎が縦横無尽に渦を巻いている。氷の炎、まさにそれだ。
「強烈な才能だな……こいつも天才だな」
一心が見事だとつぶやいた。
氷の炎は僕たちには害をなさない。悠貴へ近づこうとすると、さっと道を開けてくれる。
悠貴と彼女を護ってくれている伊織のすぐそばにたどり着くと、静音が一つうなずいて、じゃと手を挙げた。
踵を返して、静音が背後から迫りくる悪鬼の群れを一人で食い止めると言うのだ。
待ってと声を上げようとした僕に一心が強い口調で怒鳴った。
「お前のすべきことをしろ!」
父の声に、僕は悔しかったが大きく頷くしかできなかった。
結界の外へ出て行く静音の後ろ姿にごめんとつぶやくしかできなかった。
王樹に触れることができるのは僕だけだ。
朔であっても一心は触れることができない。
一心に背を押され、僕は王樹の幹に手を伸ばす。
「ここから……僕が24番目の里を開く!」
王樹の返答など知るかと、僕は幹に手を差し込む。
右手に走る痛みに声をあげたが、引き抜くわけにはいかない。
ぐぐぐっとさらに深く手を差し込んでいく。
肩口までねじこんだところで、指先に鎖のような金属の感触がした。
これが鎖だとしたらかなり頑丈な金属でできている。
ただやみくもにひっぱるだけではびくともしないのがすぐにわかった。
「王樹! 開け!」
左の指先を歯できずつけて血をにじませ、左腕も差し込んでいく。
血を吸うのはお得意のようで、王樹が傷跡から僕の血を吸い上げていくのがわかる。血を全部奪われてしまうかもしれないという不安があったが、僕はもう退けなかった。
「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ!」
僕は月の絆を持つ者。
天月眼よ、今、この時だぞ。
「王樹、お前の主はこの僕だ! 応じないのならば……このまま燃えるが良い!」
指先に炎をともすイメージを浮かべる。
ずずずと腕をからめとるように何かが幹の中でうごめいている。
「燃やされたいのか!」
金属がはじけたような音がして、指先に触れていた鎖が壊されていくのがわかった。鎖の先には扉のとってのようなものが触れていた。それを引けば済む。
『させないよ。 女王をここで呼ばれてしまうのはうまくない』
脳裏に女の声が響いた。
『君が先に夜を統べてから、女王には登場していただこう』
激しい頭痛がして、意識が朦朧としてくる。眠りに誘われているような嫌な感覚だ。
「父さん! 僕を刺してくれ!」
僕の声に、一心がわずかに眉間にしわを寄せた。
「眠りに落ちたら、僕が負ける!」
それで察してくれる一心に感謝だ。父は細い短刀を準備して、急所を外して腹部に切っ先を刺した。その痛みで意識がはっきりしてくる。
口の端から血が零れ落ちるが、気にするものか。
これをするために、僕はいるんだ。
身体よ、持ちこたえてくれ。
『宗像貴一、新たな夜の王となれ。 お前の決心一つで、目の前にあるこの不毛な争いは瞬く間に終結できる』
脳裏に響く嫌な声。
僕を惑わすこの声は嫌いだ。
夜を纏え、夜の王になれと言うこの声。
『くだんの蒼を葬りたくば夜を纏え!』
もう一人の僕が女王と朔をはめたのは『蒼の王』だと言っていたことを思い出した。その上、父はその名前を聴くや否や、委細承知だと声を荒げていた。
夜になれば蒼を、真の敵を葬れると言うのか。
『ただ、夜は孤高であらねばならぬ。 女王の庇護など無用だ。 すべてがうまくいくためにはお前がここで夜を纏う他ない』
「すべてがうまくいくだって? だったら……なんで僕や静音が過去へ干渉せざるを得ない未来がある? なんでだ? おかしいじゃないか……。 僕は夜の王にはならない!」
『夜を纏う選択を捨てるか? 蒼を葬れる機会をみすみす失うのか、愚か者!』
「夜は纏うものじゃない……、制するもののはずだ。 僕の本能はそういってる!」
『違う! 夜を纏うことで、夜の王として立ち、制するのだ。 こちら側へ来い』
僕はゆっくりと印を組んだ。もう聞く耳をもたない。
間違った選択はしない。
「自分が何を求めているかくらい自分でわかってる。 手を汚してでも欲しくなれば僕はそれを自分でする。 夜が僕にとって魅力的であれば僕自身で選ぶ。 だけど、今は違う」
一心が急所を外してくれたとはいえ、じわりじわりと血液は流れ落ちいく。
時間がない。
ガクンと右ひざの力が抜け落ち、身体が右に大きく傾いた。
こらえろ、僕の身体と叱咤して、もう一度、両足で踏ん張った。
「一心! 宗像を護りたくば、そこで貴一を封じろ!」
奏太が叫ぶ声がきこえる。奏太の声は何かが違って聞こえる。
僕の知っている声じゃない。
「違う! 貴一を封じてはいけない!」
モズの声がそれにかぶるように聞こえた。こうやってきいてみると、幾分低くはなったけれどやはり静音の声だ。
「一心、騙されるな! 貴一を封じなければ夜が来る!」
奏太の悲壮感あふれる声がさらに大きく響き渡る。
夜が来る、か。
きっちり夜が何か知っているというわけか。
「違う! 貴一は本物なんだ! 簡単に支配なんかされない!」
モズの声がまた聞こえる。
そうだ、僕は簡単に負けるつもりはない。
「貴一を封じなくば、志貴が死ぬぞ!」
「違う! ここで女王が戻ればすべてが正道に戻る!」
相容れない二つの声。
正直な僕の気持ちは父の判断で良いというものだった。
ここで、父が僕を断つというのなら、僕は受け入れる。
「あぁ、もう……面倒だ!」
王樹、僕は間違わない。
だから、よこせ。
「24番目の隠し里は僕だけが目覚めさせて良いはずだ……」
ドクンと血液が逆流しているのがわかる。
心臓を締め付けられたような痛みが走り、ふっと意識を手放しそうになるが、必死に歯を食いしばった。
魂の核を幾度も黒い炎が飲み込もうとする。そのたびに、赤い炎が燃えたぎって、黒の塊を吹き消してくれる。
「王樹! 僕を信じろ!」
手を伸ばせ、きっとつかめる。
ぎぎぎと音がして、扉が開き始める感覚がした。
『夜の王として帰還せよ!』
「断る!」
パリンと足元の氷がはじけ飛んだ。
厚手の氷でできた一枚ガラスが割られて、鋭利な切っ先をもった刃となって僕の背に深く突き刺さった。
言葉にならないほどの激痛に僕はどこか感情が壊れてしまったように笑ってしまった。もう、敵も何でもあり。何なら、消そうとすることに躊躇などないのかとふうっと息を吐いた。
背から深く突き刺さった刃を、一心が必死に引き抜こうとしてくれているが、びくともしない。
「無駄だよ。 受け入れない器は殺すという選択が彼らの道みたいだから……。 抗うにも、制御がうまくいくかわからないから、今すぐに離れて」
両足にもう一度しっかりと力を入れて、目を閉じる。
一心がわずかに足を引いて離れてくれたのがわかった。
「道反大神! あれをやる……」
わかったと小さく何かが耳元でささやいた。
ふっと右肩に目をやると真っ白な梟が居る。
急に傷口から流れ出る血液が止まった。
なるほど、時間を止めたのかと思って梟をじっとみつめた。
「これで、後にどれほど食らう?」
梟は2-3年だと短く答えた。
なかなかの代償だ。
ここまで頑張ってきて、この仕打ちかよと、妙に虚しくなった。
『夜の王となれば死など意味をなさなくなる。 夜の王となれ!』
「断る!」
手を伸ばせ。
歯を食いしばって、王樹のさらに奥に腕を押し込んでいく。
「天橋も長くもがも……」
右腕を抜き出し、左眼を隠していた眼帯を引きちぎるように外してから、一つ息を吐いた。
「高山も高くもがも……」
両の眼に熱がこもる。
左の眼の封印は完全に解かれてはいない。それでも十分だとわかっている。
僕には右眼だけで十分だ。
「月讀のもてる復若水いとりきて、君にまつりて、をち得しむもの」
ここで使うことになるのかと僕は一つ息をついた。
「おのが身は、この國の人にあらず、月の都の人なり……」
もう一度、左腕だけ抜き出して、盈月扇をゆっくりと広げた。
扇の要に彫り込まれている龍の飾りがもうとっくに血を吸っていた。
「吾の言の葉よ、春花秋月を寿げ」
盈月扇を左手でもったまま、再度、王樹にねじ込んでいく。
「吾の玉座を返せ……」
指先でドンっと何かがはじけ飛んだ感覚がした。
腕を差し込んでいる王樹のくぼみから寒風が噴出してくる。
息ができないほどに刺すような冷たい風だ。
『冷たいだけの詩しか残らない玉座を本当に望むと言うのか?』
王樹の声がして、僕の身体はその根にからめとられた。
首と名の付くところに根がからまり、僕は身動き一つとれなくなってしまった。
父が攻撃に転じようとしたが、僕はそれを制した。
「夜にはなりたくないし、根の主にもなりたくはない。 王という器でもない。 だから、僕にこそ、その玉座が必要だ。 玉座には一人しか座れないのだろう?」
『一度開かれた玉座の空席は許されない。 だから、一人には一人だ』
「それがわかっているからこそ、願っているんだ」
『どうして、そうも潔く決めてしまえるのだ?』
「僕を夜に望んだ連中は、この空席が許されないルールを逆手にとった。 だから、今度は僕がそれを逆手に取り、ルールを乱さず、えぐいほどの圧勝をたぐりよせる」
『女王の一発逆転を信じているのか?』
「信じるもなにも……女王以上の最強がどこに? 結局、『夜』が恐れたのはたった一人だけだ。 殺す事も、封じきることもできなかったから、これを逆手に取って利用したんだろう。 これだけ良いようにやられて、黙ってはいられない」
『どれほどの年月を失うかわからなくてもやるのか?』
「やる。 後の数年、数十年で赦されるのなら構わない」
『お前はその眼を隠しえることができたのならば氷の玉座など望まなかっただろう』
「この眼のおかげで、言わんとしていることが手に取るようにわかるよ。 何か一つ違うことがあるとしたなら、僕には女王がいる」
『それをしたとしても敗れるかもしれない。 それでもやるのか?』
「やるよ。 だから、こじ開けてくれ……」
王樹の声は僕にしか聞こえない。
父は気をもんでいることだろう。わかるようで、肝心なところは煙に巻かれているような会話なのだから。
「殺せ!」
奏太の声に一斉に悪鬼が悠貴の結界に飛び掛かり、侵食し始めた。
敵も背に腹はかえられないか。
こちらも四面楚歌、背水の陣。やばい熟語を並べても並べてもどうにもならないほどに追い詰められている。
もう本当に猶予がない。
女王を引きずり出すことはルール違反となる。だから、ルールを遵守し、引きずり出す。一人には一人だ。
「女王の帰還をのぞめ!」
僕は声を張り上げる。
この僕の声が合図だ。
悠貴が印の形をかえた。
その瞬間、王樹の泉を覆っていた氷がはじけ飛んだ。
眠りについている数千人の身体の上で白いヴェールがぐるりとうねる。
「皆に望まれる者を現へ! 女王、宗像志貴と……吾を入れ替えよ!」
慌てて振り返った父の表情は凍りついていた。
僕が貴方を遠ざけたのは、貴方の手の届かない所に僕自身を配置したかったからだ。
「一には一なんだ。 ごめんね、父さん……」
父が僕の名前を呼びきる前に、僕は暗闇の中へひきずりこまれた。
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