第12話 宗像一の禁域へ
「ほら、いくよ!」
僕は躊躇している静音の手を強引にとって、悲鳴を上げた彼女をそのまま水の中へ引きずり込んだ。後の苦情は覚悟したが、時間が惜しい。
水のトンネルを潜り抜け、ぽっかりと開いた穴からはい出した。
すると、そこは千引き岩の真正面だった。
一般論ではこの場所は恐怖の対象だろうが、僕にとってはホームグラウンド。
「戻ったよ」
ずぶ濡れのままで岩に触れると、まるでお帰りというように掌がほんのりとあたたかくなった。
例の如く、僕の足元にはころりと桃の実がやってくる。それもこの度は二個もくださるようだ。
桃の実を手に取り、振り返ったら、静音が絶句している。
また何か見えているのだろうか。
「白いひげのおじいさんととびきりの美女が見える?」
静音は首を振った。
どういうことだろう。僕が知っている神はその二人だったはずだ。
「イケメンと美女だよ」
おじいさんじゃないと静音は僕に言った。
僕の目はどうやら節穴らしいと奏太が笑った。
「それだけハグされているのにわからないの?」
静音が僕を指さす。
「僕は抱きしめられているの?」
静音が大きくうなずいた。
なるほど、それで僕は寒くないわけか。
僕にはみえてはいないけれど、感謝したい気持ちになった。
さてと桃の実を口にしようとしたら、静音にその手を止められた。
「この実、今までも口にしたことあるの?」
静音が眉をひそめている。
もちろん、あるよと僕が答えると、彼女がうなった。
「何個食べたの?」
「数えてないよ。 少なくとも数百個は食べた気がする」
僕は静音が何にひっかかっているのかがわからなかった。
静音は口を真一文字に引き結んでから、ゆっくりと目を閉じた。
数秒後、彼女は僕を押しのけて岩の前へ進み出た。
「あなた方はわかっていて、これを貴一に食べさせたのですか?」
今度は見えない何かに静音がまるで食って掛かるように話し出した。
僕は意味が分からずに静音の背を見る。
僕が渡したもう一つの桃の実を突き出すようにして、静音は岩に向かって話しているのだ。しかもその静音の背には明らかに怒りが滲んでいる。
「桃の実は邪気を祓う。 だけど、この桃の実はただの桃じゃない」
静音がゆっくりと振り返った。
奏太がそうだなというようにうなずいている。
「貴一、この桃の実は体の時間を止める。 わかって食べていたの?」
神の桃には不老長寿の効果があり、意図して僕の肉体の時間を少しずつ少しずつ止めていたのだと静音は言う。
そうだとしても、成長を遅らせることに何の意味があったというのか。
奏太がそっと静音の肩に手を置き、とりあえず怒りを鎮めるように促した。
岩の上に気配がして、見上げるとそこには青年と美女が座っている。
今度は僕にもその姿がはっきりと見える。
その服装が僕らのそれとかわらない。
僕らのようにフード付きのマントがないくらいで、ほぼかわらない。
その生地は年季が入っているようにはみえたが、どうみても同じ形式の服でしかかない。
『貴一の肉体の時を止めて、意地悪をしてきたわけではないよ』
青年、おそらく道反大神が口を開いた。
声色は僕が知っているあのおじいさんと同じく穏やかな声だ。
『桃の実一つでは不老長寿になんてできないさ。 穢れに弱い貴一には特に必要なことでもあったのでね』
美女、こちらもおそらく意富加牟豆美命が話し出した。
僕にもはっきり見えるのは二度目だ。
幼い時にみた二人の姿かたちはもっと違っていたように思うが、雰囲気はかわらない。
『時を超えてしまう者は意図せずしてその魂を削ってしまう』
道反大神がもうわかっているのだろうというように僕を見つめてきた。
僕はそれに小さくうなずいた。
『肉体の成長の速度を止めていたわけではない。 我らはただ彼の魂の時を止めたかっただけ』
意富加牟豆美命が貴一が貴一でいられる時間を護ってやりたかったのだと付け加えた。
静音がそのやりとりにさらに首を傾げた。
「神が人一人に対してどうしてこうも手を出すのですか?」
二人がそれは困った質問だと苦笑いした。
それと同様に奏太も苦笑いしている。
静音は僕をゆっくりと見上げて、また小さく首を傾げた。
『我等にも情があるのだよ。 ゆえにえこひいきは存在する』
道反大神がひょいと僕の横に飛び降りてくると、僕を抱きしめた。
意富加牟豆美命がそれを答えにしておいてくれないかと岩の上から静音にゆっくりとほほ笑んだ。
『愛すべき魂はえこひいきしてでも護りたくなるものだ』
神々の言葉には必ず隠された真実があり、それがその場で語られることのすべてとは限らない。
神に希う時は、願った物を与えられるだけの価値が自分にあるのかどうか、その願いを叶えるために何を神に差し出せたのかが問われる。
安易に願いを叶えてくださいなんて言って手を合わせるものじゃない。
神は与えるものに等しい何かを奪い取る。
こんなこと、世間一般には知られてられていないことだろう。
僕は少なくともこの神達からもうすでに与えられていたことになる。
ということは、間違いなく、僕はこれから先にある未来で何か搾取される。
『貴一、搾取ではなく役割だよ』
さすがは道反大神。僕の思考は簡単に読み取られていた。
役割という言葉はいまや強烈なパンチだ。
『お前の願いはしかと受け取っている』
意富加牟豆美命がにっこりと笑って僕を見た。
僕がいつ願ったのだろう。
どう考えても思い出せない。
『お前はもう我らにしっかりと差し出してくれている』
道反大神が僕の耳元でささやいた。
僕が差し出したという。いつ何を差し出したというのだろう。
理解できずに首をひねっていると、道反大神がくすりと笑った。
静音が胸の前で腕を組み、まだ首をひねっている。
『まだ不服か?』
道反大神が面白そうに静音に目をやって笑っている。
僕の耳もとで良い仲間だとささやいてくれた。
『神と呼ばれている我等でも時と場合によっては勝手に願いを叶えてしまうこともある。 それが愛しい子のためであるのならばえこひいきしてでもね。 静音よ、我等は貴一の敵になりえない。 案ずることは何もない』
意富加牟豆美命がゆっくりと岩の上で足を組んだ。
女盛りの艶っぽさだけでなく、モデルのような長い手足に僕は思わず見とれてしまった。
道反大神に怒られるぞとささやかれてはじめて僕はしまったと静音の方を振り返った。
静音の目がおそろしいほどに細められているだけでなく、狂気すら感じる気配になっている。
道反大神がドンマイというように僕の背をたたくと、岩の上へ飛びあがり、あぐらをかいて頬杖をついた。
高みの見物でもしようというのだろうか。
僕は怖くて、静音の方に目をやれずにいた。
この数分後に、静音に思いっきり飛び蹴りされることになるとは思いもしなかったけれど、僕は桃の実をいつも通りに口にした。
彼らが僕の敵になるなんてなりえない。僕にだってそれくらいはわかっていた。
静音の手にあった桃の実ももう一度も僕の手に取り戻した。
僕の目は魂を削るほどの爆弾。
だからこそ、僕にはこの桃の実がまだ必要なのだ。
女王を奪還するまで僕が倒れることは絶対に許されないのだから。
時間が動くよ、そう何かにささやかれた気がして僕は一つだけ小さく息を吐いた。
「道反大神の言いつけ通り、陽が上るまでの間は禁域からでずに夜を明かすしかないんだけれどなぁ。 なんだか落ち着かないな」
荷物はびしょ濡れ、乾くまでにかなりの時間がかかるかなと思っていたが、さすがの黄泉平坂。風が強いおかげでそれなりに袖を通せる程度には乾いてくれた。
ご機嫌斜めの静音だったが、眠気には勝てなかったようで僕の肩に頭をもたれさせて眠ってしまった。
僕は千引き岩にもたれたままで夜空をじっとみあげていた。
結界の中から見えるきれいすぎる星空は本物だろうか。
道反全体が禁域に値するのだが、その山ですらあの悪鬼の数。
祖父の泰介が命懸けで護ったのはこの禁域中の禁域であるこの黄泉平坂のみということだろう。
馴染みのある別邸はさら地同然、草木一本ないと報告を聞いていた。
道反にある黄泉の鬼の詰め所ですらどうなっているのか皆目見当がつかないともきいた。
なるべく僕たちが動きやすいようにと準備さん達は近くに待機所を作ろうとしてくれていたようだが、この状況では撤退させる方が賢い。
夜になればまたあの数の悪鬼が跋扈する。
そうなれば非戦闘員はもうただの餌。
僕は姉の悠貴に伝令を飛ばすことにした。胸元から鳥型に切り抜かれた和紙を取り出す。一度濡れてしまっただけあって、なかなかのしわしわ具合だが、使えないことはないはずだ。
ゆっくりと和紙に息を吹きかける。
ただの紙がぴくりぴくりと翼をはばたかせるように動き出した。
これは言の鳥といって、発信者と受信者にのみ姿が見えるはずの特殊な伝令。
受信者が受け取れないような緊急事態、または高度の能力を有する別の誰かにインターセプトされるような状況では自動的に燃え落ちるようになっている。
「言の葉を届けよ」
禁域、各家の本邸・別邸、詰め所から非戦闘員をすべて遠ざけること、道反の山はもう手が付けられないこと、出雲で生き残っているのは黄泉平坂のみであることの3点を早々に伝えることにした。
まだ悪鬼と直接対決をしたわけではないが、数百・数千は異常すぎることも追加した。続報は必ず1日1報で約束通りに伝えることも忘れずに言の鳥に載せた。
言の鳥が難なく結界の壁をすり抜けられたのは道反大神がゆるしてくれているからだろう。
「姉さんの頭の良さの半分でも僕にあれば良いんだけどな」
長かった一日を振り返ると、ため息しかでてこない。
さても、僕の読みは甘すぎた。まさかあれだけの数の悪鬼がいるとも思わず、非戦闘員をつれて山に入る判断をしてしまった。
僕たちの世代は親世代のように命を懸けて戦ってきた歴史、つまりは経験がないために判断が鈍る。
鴈美蘭に土をなめたことがないと言われたけれど、本当にそうなのだと思った。
平和慣れしているだけではなく、危機的状況と隣り合わせであったとしても親世代の庇護下におり、それが危機なのだと感じることもないままにのほほんと生きてきてしまった。
僕は今夜、三名の仲間の命を殺しかけた。
ふうと息を吐いても、僕の甘さは取り返しがつかない。
隣で寝息を立てている静音の顔を見て、僕は彼女も殺してしまうかもしれないと目を閉じた。
強くなる必要がある。それもただ強くなるだけではなく、賢くもならなければならない。
少なくとも喫緊の課題は父や祖父には及ばなくとも、彼らが戻ってくるまで耐え忍べるレベルにもっていかねばならないということだ。
荷物を枕にして静音を横たえさせて、僕はゆっくりと立ち上がった。
宗像槍をしっかりと身に着けるには1日でも休んではならない。
いつのまにか呼び出せるようになっていた槍を手に、基本に忠実に振るう。
「少しでも強くならなくちゃ」
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