第24話 愛されているということ
僕が生還したという一報は即時、姉の悠貴から後継衆のもとへ届けられた。
生還しただけであって、僕の体はまだ戦闘へ復帰するには程遠い状態であり、王樹の泉から外へでることは許されなかった。
思い返してみても吹き出しそうになる。
姉のあの顔。取り乱すなんてことないあの姉が大号泣した。
貴一、貴一と名前を連発して叫ぶかと思えば、僕を抱きしめて、何度も何度も良かったと嗚咽交じりに泣いた。
驚いたのは珠樹さんが泣いてくれていたことだ。
冷静沈着でしかないこの二人が大号泣。
姉は僕を抱きしめたまま動かず、珠樹さんはその場にへたり込んでいた。
泉に体をしずめながら、僕は思い出し笑いだ。
僕の思い出し笑いの内容を察知したのか、美蘭がぼそりと『うらやましいな』と言った。
「あの人たち、美蘭のことも抱きしめてくれただろう?」
僕は岸に手を伸ばしてぶらさがりながら、美蘭を見た。
悠貴と珠樹は美蘭の身に起きていたことを聴くや否や、東アジアエリアの黄泉使い達に対し激高し、二人は美蘭を力いっぱい抱きしめて、任せろとか何とか言ってたなぁと思い出して、また笑えてきた。
悠貴も珠樹も本当に『良い人間』なんだと僕は思う。
宗像の良心、そのものだ。僕は本当に恵まれている。
僕には悠貴も珠樹も静音も雅もいる。だから、本当の意味での孤独を僕は知らずに生きてきたことになる。それ故に、美蘭の孤独を具体的にイメージすることはできないが、本当に地獄なんだろうなと漠然と思った。
僕はゆっくりと美蘭を見た。この子は本当に数日前に死と向き合い、受け入れようと覚悟していた。美蘭自身を誰も救おうとしてくれなかったのに、彼女はそれでも仲間を救おうと動いた。純粋にすごいことだと思う。こういう人間が『良い人間』なのだろう。
そんな美蘭だから悠貴も珠樹も疑うことすらせずに、僕らの核となる場所に彼女をかくまうこともすんなり受け入れた。
「お前たちはどうして争わなかったんだ?」
美蘭は首を傾げた。その表情は真剣そのもの。
質問の意図することが僕にはわらかない。
「争う? 何で争う必要があるの?」
今度は僕が首をかしげる番だ。
美蘭はまた『うらやましいな』とつぶやいた。
「玉座は一つだ。 5人が5人とも選ばれる可能性があった。 まぁ、お前はトリッキーな目を持っていたから頭一つでていただろうが。 普通は争う」
「僕らが争うなんてことは絶対にないよ。 女王が不変で、そもそも誰もなりかわれないし」
「女王が不変?」
「そう不変。 女王という歴然とした存在が僕らにはあって、その椅子は誰の物にもならないとわかっているのが大前提にあるから組織全体が安定しきっているんだろうね。 僕らにしても婚姻関係がややこしいから、血は一律でほぼ横並びで差などない。 だから、僕らの特性がそのまま生きる家の後継者となる道があることは自然なことで、多少の葛藤は互いにあったとしても、その葛藤は自分にむけられたものであり、自分以外へは向かない。 それと、僕らは僕らが良いと言ってくれる存在が各自、最低でも一人は存在している。 えこひいきまでしてくれる存在がね」
「えこひいき?」
「そう、えこひいき。 100-0で僕の味方になってくれる上に、絶対によそ見をしない存在」
「璃博のような存在? でも、皆に神の獣がいるわけじゃないだろう?」
「宗像には他にもまだ味方がいるんだ。 とっても個性的だけれどね」
僕には道反大神と意富加牟豆美命がいるようにとは口にしなかった。
美蘭が僕に近づこうとすると、大人げない神の狐が僕のそばに姿をあらわして、美蘭に少し距離をとらせる。このやりとりはなれてきたものの、毎度、苦笑いだ。
軽く叱責はするのだけれど、狐はしらんぷりだ。
この数日、望は奏太へと姿を変えることなく、そばを一切離れない。
そして、毎日毎日、禁止術式の発動について責められる。
気が休まらないと水の中へ逃げ込む時間が増えてしまった。
望はそれも気に食わないのか、頑として動く気配がない。
静音はどこへ行ったのかという僕の問いにも首を振るだけだ。
一番に逢いたかった静音がここにはいない。
悠貴と珠樹は宗像時生の娘だから心配は無用だと笑っていたけれど、ちょっと心配だ。
時生伯父さんはある意味で鬼だからなとぼやいてみて、静音があの鬼から何かを託されているんだろうなと簡単に想像ができた。心配はするけれど、静音には今、やりたいことがあるから動く。動くと言うのなら待つしかない。
宗像を支える屋台骨はきっと僕が知らないものをあわせると無数にあるのだろう。
千手先まで手を考えていると祖父が口にした時、時生伯父さんは千手ではまだ予想もつかない伏兵に寝首をかかれかねないからさらにえぐく考えておきましょうと言った。あの時、この人達は頭がおかしいんじゃないかなと本気で思って、ぞっとした。
だから、冥府が仕掛けてきたとしても、幾重にも罠をしかけているだけではなく、僕たちが使える仕掛けまで眠らせていることだろう。
敵にしたくない人間だから、本当に身内で良かったと思う。
「にらまれたくないな、ほんと……」
何がと美蘭と望が同時にきいてきたものだから僕は破顔した。
なんだよ、タイミングばっちりじゃないかと両者を見比べた。
ここにいると、何となく緊急事態にある今がぼやけてしまう。
さても、僕には一切の外部情報が与えられないのはそこそこに厄介だ。
悠貴も珠樹も早朝に僕の顔を見に来て、日付が変わる頃には傷だらけになってこの泉に沈みに来るのが日課となっている。
この二人の様子から僕が推察するしかないほどに情報を遮断するという徹底ぶりにいっそあっぱれだなと悪態をつきたくなる。
こんな時に雅がいてくれたらと思うが、雅は熊野を離れることができないのか、まだ、顔をあわせてはいない。
「望、雅はどうしてる?」
狐は先刻のやり取りで臍をまげてしまったのか、見向きもしない。
右目をわざと手でさわるそぶりをみせると、僕に歯を見せて威嚇してくる始末だ。
全く、どいつもこいつも僕を甘やかしすぎだ。
『知りたいのか?』
脳裏に道反大神の声が響く。
知りたいのだけど、知っても動けないのが痛いところだよ。
『全快するまではおとなしくしておくことだ。 絆はお前の周りにあふれている』
道反大神が言わんとしていることがよくわかった。
僕のように隠し舞い取得に皆が挑んでいるのだろう。
『おや、珍しく心配しないんだな』
これは驚いたというような声色に僕は明後日に目をやる。
僕のする心配なんぞ、彼らには鼻くそ程度のものだという自覚すらある。
僕の血族は無茶が得意だし、皆、意外と運が良い。
お神籤を引いて、凶をひいたためしがあるのは僕くらいのものだ。
『静音⇒悠貴⇒珠樹⇒雅で、最下位が貴一だものな』
静音、悠貴、珠樹は人生において大吉しか引かない人種な気がする。
雅だって悪くて吉という強運。
僕はどうしたら凶が引けるのかと他の四人に真顔できかれたことがある。
はははと乾いた笑いが浮かぶ。
意富加牟豆美命が毎日届けてくれる桃の実を岸に並べて指で転がす。
これを摂取するほどに僕の身体は人から離れていく気がする。
静音が意富加牟豆美命に見せたあの威嚇は本物だ。
それでも、僕は意富加牟豆美命を疑うことができない。
『それで良いのではないか? 自分の目で、耳で、肌で感じたことで判断する。 貴一は静音ではない』
道反大神のこの一言に、わずかに水面が波打った。
白い手が伸びてきて、僕の身体を岸に押し上げてしまう。
僕は静音も疑うつもりはないよと白い手にそっと触れた。
はいはいというように、頬を軽くはたかれて、僕は降参するよと手を挙げて見せる。
僕が何をしているのかわからない美蘭は全力で困惑の表情だ。やっと年相応の表情に見えるようになった。
ここへ連れてきて良かった。
顔が少し丸くなったような気もする。
食事が喉を通らないほどに追い詰められていた美蘭を女子会だとのたもうて、悠貴と珠樹が食事へ連れ出してくれるようになったからだ。
目立ちすぎる漢服は脱ぎ捨てて、僕らと同じ宗像の黄泉使いの装束を身ににつけてくれるようにもなった。
璃博と望の関係性は険悪の極みだけれど、幾分、璃博が大人のようで、我慢してくれている。
あれだけ大きな鷹なのに、まるで手乗り文鳥。美蘭の肩や頭の上に陣取って、じっとしてくれている。
『静音が危険にさらされたのならばどうしたい? 優先順位はあるのかな?』
道反大神の声がほんの少しおどけたようなニュアンスを含んでいた。
優先順位などないと瞼を閉じた。
『確認だ。 どちらかを選べと言われたら貴一はどうしたい?』
優先順位をつけるのならば、美蘭が先行だ。
僕の思考を読んだ大神がえっと声を上げた。
誤解するなよ。
僕は道反大神が救う順位を答えただけだ。
道反大神が美蘭を護るなら、僕が静音を護れば良いと思っている。
『苦労するぞ、どちらか一人に決めておけ』
おちょくってんのかと僕は舌打ちをした。
命に優先順位などありえないんだ。
最初からこの質問はノーカウントでしかない。
どうしてもつけろというのなら、まずは静音と美蘭、次に僕らに仕えてくれる準備さん、その次に全黄泉使い、最後に僕だ。
悠貴と珠樹、雅は除外だ。彼らは僕がいなくとも立てる。
道反大神はもう何も答えなくなった。
交信修了かよとふうと息を吐いた。
「僕は欲張りだから、命の選択から誰も零れ落ちないようにする」
望と美蘭、璃博の視線がこちらにむかってくる。
禁じ手である術式を発動させてから、僕はどうにも怖いものがなくなってしまったみたいだ。
ぽりぽりと頬をかき、照れ隠しの笑みで逃げ切る。
白い手が膝あたりをぽんぽんとたたいてくる。
「ドンマイってか?」
女王の気持ちがほんの少しだけわかった気がした。
全力でいくと覚悟が決まると、心は穏やかだ。
冥府の春夏秋冬がいかに強かったとしても、負けて当然と挑むのではない。
格上だからと敗北を前提に拳を振り上げるのでは意味がない。
右目の奥がふいにうずいた。
舞い散る桜のイメージ。
あの男からのサインだ。
それに気が付いた瞬間、僕の意識はプツリと途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます