第23話 王と王は手を伸ばす
眠っていただけのはずだ。
体がふわふわする。
「貴一?」
かわいらしい優し気な声が聞こえた。
確かに、僕の名前を呼んでいる声がする。
僕はゆっくりと瞼をもちあげる。
「何してる!?」
燃えるような赤の髪を緩やかに首の後ろで束ね、驚いたようにひらかれたアメジストの瞳。髪に負けない光沢のある真っ赤な紅をさしている唇。
中国の歴史ドラマから飛び出してきたような袖のゆるやかな民族衣装を着ている。
半透明の白のヴェールのような上着の下も真っ白。全身真っ白だ。
襟元からわずかにのぞくのは紫地に細かい金糸で龍が刺繍されている。
「美蘭!?」
僕はどうしてしまったんだろう。
美蘭が唇を引き結び、あわただしく視線を動かし、周囲に誰もいないかと確認するようなそぶりを見せた。
唇の前で静かにと指を立てると、こちらへ来いと僕を部屋へ招き入れた。
そして、奥の奥へとすすみ、一番奥の扉の前で美蘭は僕をきつくにらんだ。
「死にかけてるぞ、お前」
僕はぽかんと口を開いた。
美蘭は僕をもう一度見ると、手を伸ばした。
すると彼女の手は僕の体をすりぬける。
「何これ!?」
「だから、死にかけてるんだってば!」
美蘭は何があったんだというように眉根を寄せた。
「君こそ、何をしようとしていたの?」
僕の問いに美蘭の表情がわずかに凍り付いた。
僕の知っている美蘭が着ていた服じゃない。
まるで何かの儀式にのぞむかのような、良くないイメージが来る。
美蘭は死ぬ気かもしれないと僕は直感していた。
「お前たちのように共に抗ってくれる仲間などいない。 護り抜くために、私は屈するだけだ」
おかしい。美蘭の話す言葉が流暢な日本語に聞こえる。
待て、その前に彼女は今、何と言ったのか。
「屈する? ねぇ、白は中国では死に装束だよね?」
美蘭は視線をそらした。
「王を排除すれば皆を傷つけずに護ることができる」
「王を排除? 生きている王は君だろう? 君を排除するってことは君が死ぬということ?」
「一人で大勢が救われる。 この首一つでたいしたものだろう?」
美蘭はゆっくりと視線を戻すと、寂しげに首をたたいて見せた。
「君は間違っている。 僕が命を落とすことを黄泉津大神が許さないように、君が命を落とすことを泰山府君が絶対に許しはしないだろう。 ねぇ、死ぬ覚悟があるのなら悪あがきをしてみない?」
僕は何を言っているんだろう。
春夏秋冬の強さはこの身で嫌というほど知っているのに、美蘭に闘えと言う資格があるのだろうか。でも、全てを諦めて差し出して良い命などない。
「全世界でいの一番に総攻撃をかけられて、日本の黄泉使い達が断末魔に近い悲鳴をあげていることは知っていた。 お前たちがいかにぎりぎりの状態で綱渡りしているかも知っていた。 それでも、私はお前達を頼らざるを得なかった。 私は混血だからな」
「混血?」
「そう、混血だ。 私の母親は日本人だ。 お前達と同じ血が私には半分流れている。 冥府からすれば私はお前たち同様に邪魔者でしかない」
「どういうこと!?」
「私の父はお前たちの女王と親交が深い。 父は日本へ足しげく通っていたそうだ。 そこで出会った素敵な女性だったそうだが、母は死んだと父が言っていた。 どこまで本当かはわからない。 まぁ、母親が誰かなんて知らないし、顔を見たこともないから興味はないけど。 確かなことは私の血は半分、宗像だということだ」
「言葉はわざとだったの!?」
「父同様に日本語がペラペラであるとわかると風当たりが強いんだよ。 お前たちと違ってこちらは敵だらけだ。 王である父にすら刺客がくるほどに、日本の黄泉使いと共闘することへのアレルギーが蔓延してる。 皆、お前にいつか支配されると思い込んでいるんだ。 お前のその目は冥界に轟くほどのビッグニュースだからな」
「僕がどうやって支配するっていうんだ!?」
「噂話ってのはそういうもんだよ。 実際のお前の本当など関係ないんだ。 滅亡寸前の王家の娘が受け継いだ血の恩恵ですら、本当に繋いでいくのか、どうするのかと議題にあげられるくらいだ。 最古の血を受けた唯一の後継者の夫はどうするのか、誰と血を混ぜるのが一番の安寧かと、そんなことしか考えていない連中とどうやって冥府に挑めと? 血族の誇りなどもうどこを探したってない。 冥府に従属して、今の安全をとるという輩が半数もいるバカバカしさをどう受け取れというんだ? 王の血を引いた子は私一人しかいないのに、冥府が差し出せと要求してきたら、逝ってくれと言われるんだ。 わかるか? この恐ろしいほどの孤独。 私は父を眠りからたたき起こして殴ってやりたいんだ」
美蘭のアメジストの瞳が涙でいっぱいになる。
僕はその涙をふいてあげたいと手を伸ばしてみたけれど、すり抜けてしまう。
「僕が死にかけているとして、ここへ来たには意味があると思うんだ。 美蘭、君はこちらへ来るべきだ。 行こう、もうここは君の居場所じゃない」
「馬鹿を言うな。 私はここの王代行だ。 捨て置けるか!」
「君こそ馬鹿を言うな。 君一人の首を差し出してのうのうと自分たちだけが護られることをおかしいとも思わない黄泉使い達などくたばってしまえば良い。 良いかい? 逆転するのはいつだって生き残った者なんだ。 君が反旗を翻すと拳をつきあげた時に一緒に闘ってくれる人間は本当にゼロなのか? 違うだろう?」
「それは! だけど、私が逃げれば皆が苦しむ!」
「本当の死装束であれば裾に高貴な紫色と金色で龍の刺繍が入ったものなど準備するものか! 紫は君の瞳の色だろう? 龍は王なんだろう? これを準備した人たちは君を殺したくないから真っ白一色にしないんだ! その人たちの心まで君は殺すのか? 本当に君は一人なのか?」
美蘭は唇を震わせ、うつむいた。
「この扉は冥界へつながっているんだろう? だったら、この扉を使ってこちらへ来い! 君と君を信じてくれる心優しい仲間を僕は王樹で保護する」
「お前たちの王樹に私を招き入れると言うのか?」
「君と君の仲間も受けれいる」
美蘭はぐっと唇をかみ、ゆっくりと目を閉じた。
呼吸をするのも忘れるぐらいに思案している。
ふっと彼女の頬を撫でるような優しい風が吹く。
「璃博……」
大きな鷹は美蘭の頬に嘴の側面でそっとなでている。
『宗像の王に御挨拶を』
見事なまでの羽を広げ終わると一陣の風が巻き上がり、そこには美丈夫が立っている。光をはじくような栗毛は金色にも見える。瞳の色はアメジスト。
神の獣は主以外には跪かない。それなのに、彼は僕の前に膝を折った。
深く頭をさげ、ゆっくりと視線をもちあげた。
「私は貴方になら頭を下げても良いと思っています。 女王にお会いしたことがない故に無礼な言葉かもしれないけれど、貴方が宗像の王であるならばいかようにしていただいても構わない」
「やめてください。 君は美蘭の絶対的な守護者であるべきだ。 僕には必要ない」
璃博は品の良い笑みを浮かべ、小さく感謝をと胸の前で手を合わせるような礼をとった。
「彼女を差し出すつもりがあったのなら、僕は僕の受け継いだ物を行使して、君を害することに迷いがないけれど、どうするつもりだったの?」
彼は至極冷静に、一言、差し出すなどありえない、と答えた。
「ではどうするつもりだったの?」
「だから、貴方の魂を呼び込んだ」
璃博はにっこりと笑った。
「僕がどう行動するかを見て、判断するつもりだったということ?」
「自分の主をやすやすと危険にさらすようなうっすらバカではありませんのでね」
まったく、この顔だよと僕は深いため息をついた。
小バカにしたような顔は万国共通らしい。
神の獣は食えない。
奏太でもう十分にわかっていたはずなのになと脱力した。
美蘭がいるべき場所にいないことを察知したのか、騒々しい足音が近づいてくる。
監視体制が甘すぎる。
今更だな、間抜けめと僕は軽く舌を出した。
でも、何処かで美蘭に逃げてほしいとそんな気配もする。
「僕と一緒にこの扉をくぐるんだね?」
璃博は片方だけ口角をあげて、ひょいと美蘭の身体を持ち上げ、肩にかける。
美蘭はまだ決めかねているのかじたばたしていたが、璃博が扉を蹴破った。
そして、僕の魂へと手を伸ばしてくる。
「王樹の主たる僕が許す。 王の泉へ客人を招く!」
光の刃が僕の意識を導く。
そして、僕はゆっくりと瞼を持ち上げた。
毎度毎度、水の中かよと思ったが、呼吸が苦しいことはない。
ようやく時間軸が正常に戻った気がした。
夏の組の長、小瑠璃から僕は皆を連れて退いた。
そうだ、敵前逃亡したんだよな。
でも、生きてさえいれば、チャンスはある。
フルボッコに近かったよな、手足にまだうまく力が入らない。
だから、僕は水の底へ沈められていたのか。
白い手がそっと僕の身体を引き上げて行ってくれる。
『回復のためだよ。 静音に頼まれたから』
そうか、静音が僕を助けてくれたのか。
『そうだよ、貴一。 静音は君の……』
水面にでる水の音に遮られて、最後に何て言っていたのかわからない。
聞こえなかった。
静音に一番にありがとうを言わないといけないな。
道反大神、意富加牟豆美命の桃を僕にくれないかな。
僕は厄介ごとをさらに一つ増やしちゃったから桃を食べなくちゃ。
『もう届けているそうだ』
道反大神の声がした。
右手に何か握らされた感覚がする。
意富加牟豆美命、ありがとね。
道反は僕が必ず取り戻すから待っていてね。
岸へ体をあげてもらったまではよかったが、面白いくらいに動けない。
ずっと眠っていたのだろう、僕の身体はこんにゃくのようで芯がない。
「貴一!」
奏太の大声が鼓膜を激しく揺さぶった。
抱き起こされ、僕は苦笑いだ。
奏太が何度も揺さぶるのが眩暈を誘発しそうで、そっと手で制した。
まったく、回復に何日かかったのだろうか。
深い呼吸を一つついて、皮のままの桃にかぶりついた。
笑えるほどに力が満ちてくる。
さすがだね、意富加牟豆美命。
「待たせたね」
手で右目をおさえる。
行くぞ、僕。
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