第22話 記憶に沈む

「僕は何をしているんだろう」


 道反へ向かう車の中の気がする。

 どうしてだ。

 どうして、遡っているんだろう。

 あれ、気持ち悪い。

 僕は何をしているんだ。 

 体感はどんどんリアルになっていく。


「あの子、大丈夫かな」


 車の振動を感じながら、窓の外に目をやった。

 同じく王座を護れと言われた彼女を思い出していた。

 燃えるような赤色の髪とアメジストの様な瞳をもった鴈美蘭。

 ちゃんと彼女と話をしておくべきだったと正直後悔していた。

 縁というのは望んで手に入るものではなく、チャンスが来た時にしっかりとつかんでおくもののような気がしていた。縁があるのだから、いつか必ずつながるなんてのは甘い、僕はそんな気がしていた。

 それなのに、僕はしくじってしまったように思う。

 日本を護ることにのみ必死になっていたから、余裕がなかった。

 余裕がなくとも、できたことはあったのではないかとふと考えてしまった。

 だから、道反へ向かっていた時、中国の黄泉使いはどんな所に住んでいて、どんな風に暮らしているのかと唐突に奏太にきいた。

 中華人民共和国にあって、表向きは富裕層に坐し、稼業は一切外に漏らすことはないという点は日本とかわりなかった。

 ただ、大きく違ったのは拠点が地下にあるということだった。

 北京の紫禁城も真っ蒼なレベルの宮城が深くくりぬかれた地下空間にあり、宮城の一角に冥界への扉が4つあるというのだ。

 地下空間は日本列島で例えると西日本をまるごとつつむほどに広大だという。

 宮城と奏太が表現するだけあって、紫禁城の歴史より古いそれは物語に出てくるような建物らしい。

 奏太に言われて、スマホで紫禁城を検索すると、歴史ドラマでみたような写真が次々とあらわれる。

 奏太はこれの数百倍はゆうにあると呆れ口調で画面を覗き込みながら言った。

 数百倍。やはり、スケールが違う。

 僕らの屋敷は本部でもせいぜい伊勢神宮別宮の敷地1個分だ。それでも広いと思っていた僕の感性は鴈美蘭の本拠地をおもうと怖気づいてくる。

 これだけ広ければ誰が何をしていても気づけないし、護ろうと立ち上がっても間に合わないことも多々あるだろうよと奏太は眉を寄せた。

 こちらはコンパクトに配置していることに意味があるんだと奏太は続けて言った。

「一つに集約するということはやられる時は一瞬だよ」

 合点がいった。

 僕たちは機能を分散しており、同等の力量の人材を一か所に集めることはしない。

「宗像が古よりその血が途絶えないのはずば抜けた一人だけでなく、組織を受け継いでいく人材をしっかりと護り抜いてきたからだよ。 王が居て、王の下に実質的に組織を動かす司令塔となる黄泉使いの筆頭を配置する。 筆頭の下に柱となる四つの大家を置き、各家当主が配属された黄泉使いを行使する。 黄泉使いの実戦部隊でない血族は筆頭の下に独立した形で配備され、世間的に稼業がこなしやすいよう調整するだけでなく、稼業遂行の手助けとして動く」

 実によくできたシステムだと奏太は言った。

 疑問は王の仕事だ。王はいるだけで良いんだという奏太の回答はどこか本質を煙に巻いているような気がした。

 王には力があるようでない。実質の王は筆頭でしかない。

 王の力をそぐために、筆頭に実権を握らせてらせているのではないかとすら思ってしまう。

「鴈美蘭のお父さんは王だったんだよね? 日本の様なシステムが彼らになかったとしたら、王が全てを一任しているということ? だとしたら、今、美蘭に与えられた現実は地獄でしかないよね?」

 奏太は押し黙ってしまう。

 図星かと僕はスマホの画面に目を落とす。 

「四合院」

 紫禁城の建物の成り立ちの説明文を読んでいくと、頭がこんがらがってくる。

 奏太がしびれをきらして、僕にビジョンをみせてくれた。

 四合院の「院」とは中庭のことで、中庭を中央に設け、中庭の中央に「十」文字の通路を作り、その東西南北の突き当たりに、それぞれ一棟ずつ建物を配置する。

 北側に設けられるのが正房であり、表座敷にあたり、主人、つまり王が住む。そのため屋根も他の棟より高い。

 東側に設けられるのが、東廂房。東のわきの間であり、後継者が住む。

 西側に設けられるのが、西廂房。西のわきの間であり、継承順位二番が住む。

 南側に設けられるのが、倒坐房。逆向きの間であり、身の回りの世話をする人間が住み、厨房やトイレが設けられる。

 これらの4棟はそれぞれ独立して建てられており、中央の十文字の通路を通らなければ、訪問できない。

 四合院の大門は胡同に面し、外部からの客は大門を入って、狭い通路を通り、影壁に突き当たって左に折れ、前庭に出る。

 前庭は中庭とは「垂花門」で区切られている。

 前庭に面しているのが、倒坐房である。

 正房が四合院の北側すなわち、易の八卦でいう「坎」にあたる。

 大門(表門)は東南隅の方向にあるから、八卦でいう「巽」にあたる。

 この「坎宅巽門」の配置が風水的に、もっとも理想であるとされる。

「拠点はどこにあるの?」

「泰山」

 どこだそれはと首をかしげる僕に奏太はさらに大きなビジョンをみせてくれる。

 ドローンが撮影しているハイビジョンの映像のように生い茂る緑の木々と雲海。

 奏太は説明を続ける。

 泰山は中華人民共和国山東省泰安市にある山で、高さは1545m。

 道教の聖地で、中国五大名山の第一にランク付けされている霊山。

 主として東嶽大帝と碧霞元君などを祭っている。

 泰山府君は病気や寿命、死後の世界での事など、生死に関わることに御利益があると信じられており、また碧霞元君は出産など、女性に関する願い事全般に利益があると信じられ信仰されている。

「死者の魂は泰山へ還るという。 こちらでいう道反だよ」

「美蘭は崑崙って言ってなかったっけ?」

「崑崙はこちらでいう黄泉や冥界と同じ扱いだよ。 伝説上は中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされ、仙界とも呼ばれている」

「ねぇ、奏太。 泰山を含む神仙が住む山の真下、地中深くに彼らの拠点があるってこと?」

 奏太はそうだとうなずいた。

「泰山府君の祭り、これは知っているよね?」

「死者を甦らす禁じ手のことでしょう?」

「そう、死者の魂はすべて泰山府君が司る。 閻魔大王と同意ってことだよ」

「僕らでいうのなら、黄泉津大神、伊弉冉様だよね?」

「何か気がついた?」

「どちらの神も本来、冥界の支配者だ」

 奏太は大きくうなずいた。つまりはどういうことだろう。

 冥府の下に僕らが居るのが当たり前の様な現実は違っているということだろうか。

「それと、日本にはもう一人大切な夜を統べる神がいらっしゃるだろう?」

「月讀様のこと?」

 僕はその名前を口にしてはっとした。

 待て。

 トップには黄泉津大神が坐して、その下に夜を預かる月読がいる。

 この構造は僕たちの今の組織にピタリとはまる。

「女王がいて、筆頭がいる。 筆頭の下に黄泉使いが集う。 黄泉津大神は純粋に黄泉を統べていられる。 月讀が悪鬼を除く役割を負うから、役割を分けていられるんだよ。 これに倣ったことが宗像が古から倒れない理由だよ」

 待て、待て、待て。

 急に冷や汗が噴出した。

 月讀は黄泉で受けた穢れを落としたときに最後に生まれ落ちた三柱の神々の一人。

 伊弉諾自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとし、三貴神とも呼ばれる。

「月讀は父神の右目から生まれた夜を統べる月神」

 僕はとっさに自分の右目を覆い隠した。

 体が芯から冷えるほどの緊張に支配された。

 祖父、宗像泰介の小話をふと思い出した。

「月夜見の桜」

 僕の口からこぼれ落ちた言葉に奏太が目を丸くした。

 月夜見の桜というのは桜の木をさしているわけじゃない。

 日本武尊が東征の際、近くの山から月光に映える木を眺めたとき、まるで満開の桜を見るようだったから、その槻の大樹をそう例えたという逸話だ。大樹を桜と呼んだこの逸話を僕は知っていた。

「桜の者」

 僕はもう何も言えなくなった。

 奏太もあの死神の男も僕を桜の者だと言った。

 桜とは大樹を意味することもある。

「中世に桜町中納言が桜の花が散りやすいのを嘆いて、泰山府君を祭って花の期間が長くなるよう祈ったところ、その霊験で21日も散るのが延びたという故事もあるんだよ。 鴈美蘭もまた桜の者かもしれないね」

 奏太はこれ以上は知らないよというように伸びをして大きなあくびをした。

 僕は車の窓にこつりと頭をぶつけて目を閉じた。

 月讀、桜。このキーワードは僕の人生をおそらく大きく変える。

 そんな気がしていた。

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