第10話 穢されたホームグラウンド

 僕の住み慣れた宗像の別邸はもうない。

 今は道反の禁域近くに別の詰め所を建てていると説明をきいた。

 出雲空港から東出雲まで一気に駆け抜ける。

 静音のおかげで張り詰めすぎていた糸にわずかにゆとりがでた。

 隣でニコニコしてしまねっこをみている彼女はどこにでもいる普通の14歳だ。

 これが泣く子も黙る鬼神の如く暴れる輩というのだから世の中わからない。


「寝てて良いよ」


 静音には何でもお見通しか。彼女にチラリと目をやると、任せておけと小さく彼女が頷いてくれたから僕はもう少し眠ることにした。人よりも何倍も疲れやすい自覚があるからこそ、僕に休息は必要だ。

 車の窓から見える景色は暗闇一色だ。車のライトに映し出される緑の多い景色はさすがに田舎だなと思ったけれど、何にせよ、心地よい。

 僕は雨が嫌いじゃない。

 雨が緑を濡らす。その匂いは僕を癒してくれる。

 昔からそんな気がしている。


「貴一、そろそろ起きて」


 静音に揺さぶられて瞼を上げると車の振動が気にならなかったのが不思議なくらい道が悪い森の中に入っていた。

 けもの道を上がれるとこまで車であがり、そこからは徒歩だ。

 静音に渡された水を一気に飲み干して、ゆっくりと身体を起こしていく。


「行ける?」

「うん、もう行ける」


 僕も静音も勝手知ったる場所ではあるが、僕たちにはもっとも苦手なものとの遭遇が待ち受けている。

 車を降りて、ふうっと息を吐いた。

 街ではみないサイズの蟻やムカデ、そのほか、虫がたくさんいる。

 一応、準備さんが露払いをしてくれるけれど、それでも目の前に蜘蛛がぶらさがってきたりするのはもうよけきれない現実だ。

 登り道を3時間。また谷に向かって2時間半。

 方向音痴の静音は完全に狂ったコンパス状態なので、山に入る時に僕と静音の腕を紐でつないでおいた。

 ふっと横を見ると、静音の頬が真っ赤になっており、息が上がっている。

 残り1時間程度で到着するのはわかっていたけれど、僕は少し休憩をとることにした。

 古株に腰をおろさせて、静音に水をさしだした。

 静音もこの道に慣れているとはいえ、僕のペースでいきすぎたことを反省した。やっぱり思った以上に体力には男女差はあるようだ。

 本当に僕は考えが足りないなと、足を止めてみると僕自身も息が上がっていることに気が付いた。自嘲気味にゆっくりと呼吸をする。

 すると、幾度か目に深く息を吸った瞬間、空気にごくわずかだが舌打ちをせざるを得ない臭いが混じった。

 僕はレインコートを脱いで、準備さん達3名に荷物を託し、動かないように指示した。

 静音と結んでいた紐をはずし、互いに一つうなずいた。

 奏太も同様に身構えている。

 僕は右目に眼帯をしっかりと身に着け、胸元から仮面を取り出した。静音はもう仮面をつけ終わって、僕の指示を待っていた。


「準備さん達をフォロー」


 静音がひとつうなずき、3名を保護するように結界をはった。

 静音がディフェンス。僕と奏太がオフェンス。

 これは飛行機を降りたところから決めていたことだ。

 夜道を歩くのだ。当然、強襲は範疇内。

 僕はひとつ息をはいてから、仮面をつけた。


「十種神宝」


 僕と静音は同時に声に出していく。


「瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼」


 僕たちには宗像直系の血が流れている。

 血が僕たちを本来の姿へ導いてくれる。だから、迷わない。


「一二三四五六七八九十! 布留部、由良由良止布留部!」


 仮面の下で指先を歯できずつけた。その血のにじむ指先に息を吹きかけ、ポンと左腕をつかむ。左腕を中心に紅色の光を発する文字が自分の体を這うように広がっていく。

 静音は手背に同様の方法をとっていた。僕の光は紅だが、静音の光は真っ白だ。

 僕たちは互いに初めてまじまじと見ることになった。後継者同士が同じ場にいて戦うなんてことはこれまでありえなかったからだ。

 ほんの少しだけ互いに気恥ずかしいような思いがした。


「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ!」


 僕の髪は塗れば烏色、静音の髪は緋色だ。わずかな灯りでみる彼女の髪色は赤なのか、橙なのかわからないが、とてもきれいな色だ。

 準備さん達が僕らのこれをみて、声をあげ、涙をながしてくれている。

 なんだ、そんなに感動的なものなのだろうかと僕たちは互いに首を傾げた。

 奏太がくすりと笑うと、静音の前で初めて望としての姿をさらした。

 準備さん達に対して、奏太は他言無用だぞとわざとらしいまでに芝居がかった声で威圧した。

 みたこともないであろうサイズの白銀の狐ににらまれたのなら、彼ら三人はぶんぶんと首を縦にふるしかない。まったく、やりすぎだ。

 静音の方に目をやったら呆然と立ち尽くしている。仮面の下ではあんぐりと口を開けたままで、どんだけのあほ面があるのか容易に想像がついて、僕は思わず吹き出してしまった。


「静音、君も他言無用だからね」


 狐にずいと鼻先をよせられて、あの静音ですら素直に首を縦に振っている。

 伝説の生き物がここにひょいと現れたのだから仕方ない。


「静音、僕は前に出る。 いいね?」

「背後はとらせないよ。 そして、ここから動かない」

 

 僕は車の中で静音に言って聞かせてあった。

 彼女の方向音痴は暗闇ではさらにとんでもないことになりかねない。

 だから、道反の禁域に到達するまではコンパスかわりの準備さんと同じ位置から離れない約束だ。そして、そばに静音がいることで準備さん達を保護できる。

 灯りを消すようにと小声で指示し、僕と白銀の狐は前に出た。

 背後から、静音が低音で封術の文言を唱え始めている。

 この暗闇ではそれが得策だ。振り返って確認はしなかったがもう彼女たちの姿は見えないはずだ。

 本当に万能すぎる。静音は武器を使わない。あれだけの呪術があれば必要ないのもよくわかる。

 だが、僕は彼女と違って武器に頼るほかない。

 狐に僕は武器を要求した。女王と違って、僕はまだ自分自身で武器を召喚することができない。

 望がひとつうなずき、僕の手に片刃の槍を呼び出してくれた。

 槍の長さは1.5メートル程度。ずしりと重みを感じたはずなのに、すぐにその重みは消え去り、まるでプラスチックの棒のように軽く思える。


「これは布津御霊という。 持ち手によってそれぞれに姿をかえてくれる神宝」


 望は僕に自由であれと付け加えた。

 振り方は自由。考えても仕方がない。

 未熟は仕方がない。今更、己の未熟を嘆いたところでどうにもならない。

 槍の師匠である祖父は今ここにいない。身に着けた中で戦うしかない。

 宗像槍には18の型がある。

 僕が使えるのはまだその内でたった10だ。

 宗像槍の終の型は冥府が最もおそれる型といわれており、祖父の泰介か女王でないと振るえないと言われている。

 僕はそれを見たこともないが、それ以前にその手前までの17の型の習得にも及ばない。

 ふうっと息を吐く。

 非戦闘員を抱えている以上、僕がやるほかない。

 ぐっと唇をかんで、しっかりと槍を握る。

 眼帯の下で閉じたままにしていた目をゆっくりとあける。


「なんだ、この数は」


 絶句した。

 数百匹、いや、数千かもしれない。こんな数の悪鬼はみたことがない。

 右目はこれから僕が引き受けることになる悪鬼の数をみせてくる。

 無理だと喉の奥から声が漏れた。

 正攻法ではこの数は裁けない。

 非戦闘員である準備さん達だけでも逃がさねばならない。

 彼らはただの人間だ。だが、能力が発現しなかっただけで血肉は黄泉使いの血族そのもの。身を護るすべのない彼らは格好の餌食となってしまう。

 どうする、考えろ。

 脳裏に白い手の住む泉が浮かんだ。

 別邸は吹き飛んだが、地下にあるあの泉には悪鬼は到達できない。

 僕のこのレベルで、離れたこの場からあの泉へと空間をつなぐことはできるだろうか。


「禁忌だよ。 それはダメだ」


 白銀の狐が首を横に振った。


「そんなことはわかってる。 仲間の緊急避難に文句をたれるような泉なら僕が埋めてやる! この期に及んで、いちいち禁忌だなんだって面倒をおしつけてこないでくれる?」


 僕の言いように狐の口がぽかんと開いている。

 そして、狐様はくすりと笑った。


「おい、狐! できんのか?」

「おおせのままに」


 しぶしぶ望は首を垂れた。

 一端、退く。この選択に間違いはないはずだ。

 もといた場所へ戻ると、静音が結界を解いてから不思議そうに首を傾げた。

 分が悪いと説明する言葉半分で、僕は地に手をついた。

 僕がたった今の王というのならば、答えて見せろ、王の泉。

 すると地鳴りがする。

 手に振動が伝わり、次いで水の音が耳に届く。


「吾らを呼べ!」


 紅蓮の炎がぐるりを僕たちを囲む。

 そして、一気に地中へ深くひきずりこまれていく。

 フリーフォール顔負けの落差に声すら出ない。

 そして、全員、身も凍るような冷たさの大きな泉へと見事に落下した。 

 

 

  

   

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