041 涙の結晶
「……あ、そうだ。」
ずっとリーツェスのような魔力専門家に聞いておきたいと思っていたことを思い出した私は、机へ走り、引き出しからハンカチに包んだ自分の涙の結晶を一粒取り出して、リーツェスに見せた。涙の結晶はあの時と変わらず、この世に存在するのかわからないほど異様に透明で、中にラピスラズリのような青色が散りばめられている美しい石のままだ。リーツェスが信じられないものを見たかのように目を見開いたのがわかった。
「私の涙の結晶です。ナディームがこれは私の魔力が結晶化したもので、非常に価値の高い物だから大切に保管しておくようにと言われたのです。これは、どのような場面で使ったり、役に立ったりするのでしょうか?」
リーツェスは声にならないような声で「こ、これは……、そんな……」と言いながら、私の涙の結晶にゆっくりと手を伸ばした。その声も手もかすかに震えている。まるで神様でも目の当たりにした貧民のような表情で伸ばされた手は、恐れ多いと言わんばかりに、涙の結晶には決して触れない。
「リーツェス?」
思考回路が完全に停止状態になったリーツェスを呼び戻そうとした私の呼び掛けに、リーツェスは一片の雪ぐらいの大きさの希望を宿した目を私に向けた。
「カティア様には、本当に驚かされます。この涙の結晶はとても価値のあるものです。使い道はたくさんありすぎて……。カティア様の魔力が結晶化したものですので、例えば汚染された土や水の中に入れると清浄化されます。身に付けているとお守りにもなります。町の魔力供給ポイントへ持って行けば、カティア様が足を運ばずに魔力供給が可能です。それから……」
「それから?」
リーツェスが興奮し、震えている一番の理由を言わんとしていることは簡単に察せられるものの、リーツェスはそれ以上私に教えることを躊躇っているようにも見える。コホッと遠慮がちに咳払いをし、心を決めたように深呼吸をしたリーツェスは私を真っ直ぐ見つめて言った。
「弱っている人間や、死の淵にいる人間を回復させたり、延命することが可能です。」
私はゴクリと唾を飲んだ。自分の真の望みをひた隠しにしてきた人が、その望みを言葉にすることなく私に訴えかけてくるのがわかる。
……これがあれば、領主様にもしものことが起こった時、御命を少しだけでも長らえることができる。
私はリーツェスの手を取り、ぎこちなくも自分に作れる限りの優しい笑顔を浮かべながら自分の涙の結晶を握らせた。
「リーツェス、これはあなたが持っていてください。そしてその時が来たら、使ってください。」
リーツェスは私の行動に、どう反応すべきか一瞬だけ困惑の表情を浮かべたが、手の中にある涙の結晶をグッと握りしめると、優雅に私の前に跪いた。
「かしこまりました……。」
跪いて、それだけ言葉にしたリーツェスの声は震えていて、溢れ出す感情を押し潰すようだった。
……きっと今、この人は泣いている……。
私は跪いたまま動かないリーツェスの首に両腕を軽くまわして慰めた。リーツェス大丈夫だよ、と心の中で繰り返しながら。
「リーツェス様、リーツェス様。よろしいですか?」
しばらくすると、ドアを数回ノックする音がした後、緊迫した様子の男性の声がドアの外から聞こえてきた。リーツェスはハッと我に返ったように立ち上がり、ドアの方へ向かうと、咳払いして感情的になった自分を立て直した後、「何事か」と言ってドアを開けた。
「……なるほど。場所は?」
少しだけ開かれたドアの隙間から、廊下で話すリーツェスの声が途切れ途切れに部屋の中に届く。
「わかった、すぐ行く。ジオヴァーニ様にもご用意を呼び掛けよ。私はカティア様と向かう。」
……あ、私も出動パターンだ。
「カティア様、町の東側に魔獸が出ました。今すぐ掃討に向かうので、ご同行願います。」
「わ、わかりました。私はまたジオヴァーニ様の馬に同乗……でしょうか?」
「本日は、私と参りましょう。」
……お!リーツェス、ナイス!
前回、馬に乗りにくいだの、邪魔だの、前が見えにくいだの、不満だらけで機嫌の悪かったジオヴァーニの馬に相乗りするのは憂鬱でしかない。リーツェスと一緒に乗るのであれば、少しは気がラクだ。よし!と小さくガッツポーズをしている私に、リーツェスは耳打ちした。
「本日、ラステム様は体調不良のため同行されません。我々兵士で掃討する予定ですが、カティア様にはご助力を乞う場面が出てくるかもしれません。」
「……わ、わかりました。」
魔虫は遭遇したけど、魔獸は初めてだ。大型の狂暴な魔獸だったらどうしよう、怖いの嫌だな、危険なことには巻き込まれないよね、とまだ見ぬ魔獸に早くもガクブル開始する私の身体。その横でリーツェスは私の涙の結晶を一瞬見つめた。
「……カティア様……」
遠慮がちな声が、その涙の結晶を私に返しそうだったので、私はリーツェスが続きを言う前に勢いよく言った。
「リーツェス、言ったでしょう?来る時のために保管していて下さい。」
私の言葉にリーツェスは納得させられたように、涙の結晶を握ると、小さな銀のアクセサリーケースのような容器に入れた。
……涙の結晶は、まだ机の中に何個もあるから!
まるで最後の一つの貴重なパンを恵まれた貧民のような表情だったリーツェスは、涙の結晶の入ったケースを自分の上着の内ポケットにしまうと、兵士総監督の顔になった。
「ではカティア様、参りましょう。ご準備を。」
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