037 町民ホールへ

 町民ホールは城から馬で歩いて五分ほど。馬で行く必要なんてないんじゃないか、というぐらい近かった。私のような合理主義者は「歩いて行けばいいじゃん」と思わずにはいられない距離だが、それでも馬に跨がって赴くのは領主一族や高官のプライドなのだろうか。町民ホールは学校のような一階しかないレンガ造りの建物で、天井の低い体育系や多目的ホール、という言葉がしっくりくる場所だった。多目的ホールの前でリーツェスに手伝ってもらって馬から降りた。


 「カティア様は随分とお上手になられましたね。」


 リーツェスが満足そうな笑顔で私の乗馬を褒めてくれる。


 「まだまだ基本的な馬術しかできませんけど、頑張って練習しておりますよ。ヌラとも相性が良いみたいです。」

 「早く相乗りなしでどこへでも行けるほど上達して欲しいものだ。カティアを乗せると走りにくいからな。」


 ジオヴァーニが憎まれ口を叩く。ぷぅ、と口を尖らせた私を完全に無視して、ジオヴァーニはリーツェスに指示を出す。リーツェスの張り上げた声が響く。


 「一班!」

 「はっ!」

 「中に入るのは我々だけだ。其方らはホールの入口を固め、誰であっても中に入れるな!」

 「はっ!」

 「それでは、ジオヴァーニ様、カティア様、参りましょう。」


 ギィー……


 分厚く重い木製のドアが開くと、百四八の目が一斉にこちらへ向けられた。昼食後のせいか、まだホールの中にはスープなようなシチューのような食べ物の匂いが残っている。ジオヴァーニが一歩前に出て、すぅ、と息を吸った。


 「これより、其方らに仕事を与えるための面談を行う。我々が順に回っていくので、普段通り過ごしてもらって構わないが、全員必ず面談を受けるように。」


 難民たちの表情は多様だ。「やっと仕事ができる」とといった安堵感、「難民だから重労働を課せられるのではないか」といった警戒心、「仕事はあっても住む場所がない」といった不安感……。


 「おい。てめえら、いつまで俺達をこんな所に閉じこめとく気だ?あ?」


 ホールの一番奥の隅から、柄の悪いチンピラみたいな話し方をする男の声が聞こえた。その男の周囲には誰もいない。他の難民たちは、距離をとりながらその男を呆れたような顔で見ている。ジオヴァーニはその男をチラリと見た後、まるで何も聞こえなかったかのように、さっと我々に向き直った。


 「全部で七十四人だ。私は男性を担当する。カティアは女性を。できるか?」

 「で、できますよ。そのために来たのですから!子供はどうしましょう?」

 「十二歳以下は対象外だ。それ以外は頼む。」

 「わかりました。」

 「リーツェスはカティアの補佐を。グラジアーノは私の補佐を頼む。」


 ……ジオヴァーニが男性やってくれて良かった……。


 私はあの怒鳴り散らしていた男と接触しなくていいとわかって、内心ホッとした。ああいうチンピラは面倒臭い。関わらないのが一番だ。私はリーツェスを連れて、一番近くに陣取っている女性から始めることにした。座っている女性に向かって、私も両膝をついて目線を合わせる。


 「こんにちは。あなたのお名前と年齢、家族構成と、前に住んでいた町でしていた仕事があれば教えてくださいませ。」


 私の質問に女性はすらすら答えていき、リーツェスが横でメモを取る。済んだら次の人の所へと移動する。途中、リーツェスが「カティア様がわざわざ目線を合わせる必要ないのでは?」と言われたけど、私は両膝をついて難民と目線を合わせ続けた。たとえ身分の高くても、民と目線を合わせるのは大切なことだと思った。ジオヴァーニの方をチラリと見ると、ジオヴァーニは立って、座る難民を見下ろしたまま面談をしていた。


 難民は女性の方が少ないので、私の方が先に全ての面接を終えた。ジオヴァーニの方に視線を移し、進歩状況を見ても、まだまだかかりそうだ。すると、一番最初に面談をした、一番近くに陣取っている女性が私に向かってゆっくり歩いてきた。リーツェスがすぐさま警戒する。


 「あの……。失礼は重々承知の上でお尋ねしてもいいでしょうか。」

 「どうなさいましたか?」

 「私達……いつまで、ここに住まなくてはいけないのでしょうか?」


 私は両手で彼女の手を取った。町民が領主一族に触れることは罪だ。リーツェスは焦りながら私を咎めるような表情で見た。


……女性から触れてきたんじゃない、私から手を取ったんだから罪じゃないよ。


 「今、領主様が皆さんの住まいをご用意している最中なのです。準備が整うまで、もうしばらくご辛抱ください。仕事を始めてもらって、しばらくしたら個々に家を与えます。あと少しです。」


 私の言葉を聞いて、女性はすっと肩の力が抜けたように、ニコリと自然な笑顔になった。


 「ああ……ありがとうございます。住み慣れた町を捨て去る時は死ぬ覚悟をしましたが、あれだけ何日も何日も歩いて……逃げてきて良かったです……。」


 汚染された町から逃げてきたことや、その後の苦労を思い出したのか、彼女の目からはキラキラと光る涙が溢れ落ちた。


 その時だ。またあのチンピラ男の声が響いた。


 「てめぇ、何さっきから涼しい顔してやがんだ!ええ?」


 他の人を面談しているジオヴァーニに向かって、あの男が喚き散らしている。


 「聞こえてんのか、ああ?」

 「旦那、あの男のことは気にしないでくれ。ずっとあんな調子で……我々ももう誰も相手にしていないんだ。」


 ジオヴァーニが面接をしていた男が庇うように言うのが聞こえた。


 「おい、テイ。余所者のお前がなに難民キャンプのリーダー気取ってんだ?ああ?」

 「……余所者とは……?」

 「俺は元々こいつらの町の出じゃあねえんだ。出身は遥か東の町だが、汚染からずっと西へ西へ逃げてきてな……。その事をでずっと目の敵にされててよ……。」


 ジオヴァーニとテイが話し込み始めると、あの男が再び突っかかる。


 「おい、何話してんだよ。てめーら本当に……人を馬鹿にすんのもいいかげんにしろ……よぉぉぉおっっ!!」


 大きな叫び声が聞こえて、その瞬間、私の目に掌ぐらいの大きさの物が宙を飛んでいく光景が映った。男がジオヴァーニに向かって投げたのだ。


 「ジオヴァーニさ……っ!」


 思わず私はジオヴァーニの方へ手を伸ばした。

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