035 城での生活
城へ引っ越した翌朝。城へ来てまだ丸一日も経っていないのに、私は生活クオリティが劇的に上がったと感じていた。
まず昨日の夕食。お養父様が「肉が手に入った」と言って出てきたのは、兎の肉のシチューだ。兎の肉は初めて食べたが、クセもなくて鶏肉のように食べやすかった。長時間じっくり煮込まれたであろうお肉は、口の中でホロホロ崩れて、私は一年以上ぶりのお肉をしっかり堪能した。それに高価な乳製品のバターやチーズもここにはある。もちろん常時あるわけではないけど、今までの生活よりかなり頻繁に出てくるだろう。そして城では毎日お風呂に入れる。両親と暮らしている時は週に二回シャワーを浴びるだけだった。一世帯で使える水に制限があるので毎日浴びれなかったのだ。けどお城では毎日おっけー。夜寝るベッドもキングサイズで、マットレスも布団も高級品。寝心地も最高だ。朝食は残った兎の肉をアレンジして作られたであろうチャウダーとパンを食べた。不満を言うなら、喋り相手がいないことと、娯楽がないことぐらい。それでも私の幸せ度は急上昇中だ。
私は召し使いのジーナに着替えを手伝ってもらい、いつもの色褪せたトップスとズボンとは比較にならない上質な服を着た。領主一族っぽく足首まであるドレスに身を包むと、自然と背中が真っ直ぐ伸びる。ドレスは綺麗な茄子紺色で、紺色の襟元と裾には細かい刺繍が施されている。チューリップスカートの長いスタイルで、前ではスカートの花弁が重なり合ってスリットができている。馬に乗りやすいよう精巧にデザインされたドレスに感心する。何時でも馬に乗れるよう、ドレスの下にはレギンスのようなズボンを履くのが決まりだ。
……上品かつ機能的で、トップクオリティー。領主一族すごー。
「カティア様、急ぎましょう。じきに教育係の者がやって参ります。」
ジーナは私のクリクリの髪を手早くブラシでとかした。
「ジーナ。今日からどのような事を学ぶのか知ってますか?」
「いえ、私は存じ上げません。けれど……恐らく所作など基本的なことから始められるのではないでしょうか。」
「……所作ですか……。」
ジーナが髪を整え終わるのと同時に部屋のドアがノックされた。「いらっしゃったようですね」とジーナがドアを開けに向かう。私も鏡台から降りてドアの前へ向かった。ドアが開くと、私は目を見張った。
「えっ……!オ、オクサーナ先生?」
オクサーナ先生は上品な微笑を浮かべながら、静かに室内に歩を進め、私の前で跪いた。
「お久しぶりでございます、カティア様。この度、ラステム様より教育係としてお呼びにあずかりましたオクサーナでございます。」
オクサーナ先生はそう言うと、視線をあげてニッコリ笑った。私もつられて笑顔になる。
「今日からしばらくは言葉遣いや所作ですね。私は所作や一般教養を担当し、もう一人の先生が領主の仕事や実務関連の教育を担当することになっております。」
「あの、オクサーナ先生はご存知だったのですか?私が……その……」
「ラステム様の養女になったことですか?少し前から存じ上げておりましたよ。私はリーツェスの親族に当たります。養子縁組の話が現実味を帯びてきた時に、少しカティア様のことを聞かれたのです。」
「そ、そうでしたか……。」
「カティア様の言葉遣いはあまり修正は要りませんね。六歳とは思えないほど、領主一族らしくお話になられています。」
「養子縁組が決まった時から、家族とたくさん練習しましたから……。」
……それに私、六歳でもないし!てか日本人だし!敬語は任せて!
「ナディーム……にも、その言葉遣いで話せますか?」
オクサーナ先生は突然鋭い目付きになった。
「ナ、ナディームに……。そこまで想定してなかっ……。いえ、お恥ずかしながら、そのまで考えが及んでおりませんでした。」
「ナディームが側近になる時、あなたがたはもう兄妹ではありません。主と臣下なのです。以前の関係と混同しないよう、十分お気をつけ下さいませ。」
「わ、わかりました……。」
こうして私の家庭教師による教育が始まった。普段の言葉遣いはあまり修正がいらないようだが、衆目の集まる場で話す時の話し方は練習が要るらしい。恐らく、一番最初に公衆な前で話すことになるのは、ジオヴァーニが領主になる時。公式に副領主として私も町民にお披露目されることになる。その他にも非公式の場と公式の場によって、それぞれに決まりがある。例えば、町民の領主一族へのボディタッチは常時厳禁だ。町民は指一本触れてはいけないらしく、触れてしまった場合は罪人となる。また儀式の時は領主に背を向けてはいけない、とか、領主が立ち上がった時は他の者も立ち上がらなければいけない、とか。私の場合は領主に君臨できるのは四〇歳以降、とか。婚約する時でさえ領主の承認が要るとか。身分が高いって、なかなか面倒くさい。
……面倒でも頑張るもんね!美味しいご飯とハイスタンダードな生活のために!
面倒なことも多いが、それでも私は、今までの人生で味わったことのない気持ちを心の奥に感じていた。多くの人に必要な存在。町と民を守る存在。他の誰にもできない仕事ーー。自分の存在意義を考えると、エメラルドグリーンの瞳を弓形に細める。
……なんだろう……この充足感と使命感。替えのきかない唯一無二の存在。なくてはならない存在……。こんなに満たされた気持ちははじめてだ。
ずっとずっと探していた自分の生き方。それが、この世界にやってきて、自己分析も就活もせず、半ば不可抗力で見つかった。暗く寒い森の奥でお菓子の家を見つけたような、宝物を見つけたような気持ち。他の誰にも譲りたくないような独占欲にも似た気持ちが自分の中に湧いてくるのを自覚した。
……私はこの町の領主一族……。
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