031 胸騒ぎの多い日
私が六歳の誕生日を迎え、学校でも二年生になってから数週間後のある日。朝、学校に着くなりクラスメイトのネザフが大きな声で話しかけてきた。
「カティア。お前、ラステム様の養女になるって本当か?」
どきりとして体が固まった。周りの他の子供たちも、好奇心で満ちた視線を私に向けている。
「オレ、この前カティアがお城に入っていくの見たんだよ。城の下働きも皆『カティア様』て様付けで呼んでたろ。」
確かに魔力持ちでもない庶民の子供が城へ行くことなんて普通はない。ましてや城の人間が様付けで呼び、お辞儀をしたり、跪いたりするなんてあり得ないのだ。私が養女になったことは現時点では公にしていない。公にすると、領主様の病気を肯定することになる。領主様はなるべく長く病気のことを伏せておきたいのだけど、私はいつかこんな日が来るのではないかと思っていた。
「カティア、本当なの?」
「カティアって本当は偉い人なのか?」
領主様には、嘘までつく必要はない、と言われていた。私が無言で服の中に隠れているオニキスのネックレスを出すと、周りの空気がピリッと凍るのがわかった。オニキスと領主一族を結びつけられる六歳はまだいないはずだけど、石のついたアクセサリーは魔力持ちだけに許された特権。オニキスのネックレスを見せることで、私が魔力持ちであることは言葉にしなくても簡単に伝わる。
「詳しいことはまだ言えないんだけど、私……将来的に領主一族のお手伝いをすることが決まってるの。」
家族からは庶民家庭に魔力持ちが生まれると、厄介事に巻き込まれる可能性が高いと言われていたので、領主一族が後ろ楯にいると刷り込ませる。震える声でそう言ったところで、先生が教室に入ってきたため、この話題は打ち切られた。二年の担任はヌール先生になった。ヌール先生がこちらを見る前に、さっとオニキスのネックレスを服の中に入れる。私は席に座ったが、周りからはまだ好奇心の視線を感じたままだ。
今日の一時間目は社会だ。
「では授業を始めますよ。まず皆さんは、なぜこれほど水や空気、土壌が汚染されてしまったか知っていますか?原因は何なのでしょう?」
ヌール先生が私に目を向ける。
「カティアはどう思いますか?」
私は二〇一九年の記憶から予想して答える。
「……地球の温暖化や森林伐採、廃棄物などかな、と思いました。文明や産業の発展に伴って廃棄される水、ガス、ごみが汚染に繋がったのではないか、と。」
「はい、それも大きな要因です。その他に戦争もあります。」
……え。戦争?
人間はまた戦争をしたらしい。それも一度ではない。大規模な世界対戦が、私の生きていた時代から後に何度も繰り返されたらしい。私は俯いて考えた。
あの時代。あの技術。どこの国が戦争したのかは知らないけど……核兵器が使われたのだろうか。もはや原子爆弾だけに止まらなかったのでは……生物化学兵器なんかも大量に使われたりして……。
「せ、先生。あの……戦争で、核兵器が使われたのでしょうか?」
私は恐る恐る尋ねた。できれば核兵器は長崎の後、再び使われることはなかった、という台詞が聞きたい。
「核兵器?それは、どんな物ですか?」
「大量破壊兵器で……」
私はそれ以上続けられなかった。この世界に生きる六歳の子供が知っているには不自然すぎる内容だし、もう記録も残ってない可能性とある。核兵器を使ったのかどうかは、もう知る術もないのかもしれない。
「その当時の最新兵器を使ったことは知られています。けれど、その兵器についての記録は残念ながら残っていません。破壊能力、殺傷能力に優れた武器であったのは間違いありませんわ。そして何らかの汚染物質を含んでいたことも……。」
私は頬に一粒涙が伝っていることに気付く。人間はまた殺しあったんだ。内戦や戦争、紛争は私が生きていた時もあった。ただ日本を生きていた私にとって、戦争は非現実的なものであったし、私が日本でおばあちゃんになる頃ぐらいには戦争なんて起こらない平和な世界がやってくるんだと当たり前のように信じていた。
……けど違ったみたい。
妙に私の胸が騒ぐ。さっきから膝が震えて止まらない。本当に使っちゃったの?核兵器を使っちゃったの?なんで?どうして?核兵器の恐ろしさは皆が知っていたはずだったのに……。何の危機感もなく空虚を埋めるように毎日を過ごしていた綾の生き方に悔恨の念さえ覚えた。私はなんて呑気でめでたい人間だったんだろう。
……核兵器が使われたのなら、放射能が世界のどこかに大量に分散した……?どれだけ使われたんだろう?どれだけの人間が死んだの?
私は自分勝手に核兵器が使われたとほぼ断定した。使われなかったはずがないのだ。それは、この汚染され尽くした世界が物語っている。それと同時にこの町に住む人たちがずっと安心して暮らせるように領主一族の一人として何かしたい、町の平和を守っていきたい、という責任感のような気持ちがゆっくりと心の奥にある泉から湧いてくるのを感じた。大丈夫、私たちは生き延びるし、人類はまだまだ安心して暮らせる。世界は変えられないけど、この小さな町ぐらいだったら……。私は領主一族としての覚悟のようなものを内にぐっと固めた。
社会の授業が終わったら、私は昨年と同じ教師補佐のアーテムに頼んで、城へ遣いを出した。クラスメイトに城への出入りを見られたことを、領主様に報告したいと思ったのだ。学校が終わると私はナディームと一緒に学校の裏側に来てくれた馬車に乗り込む。ルドミラには先に帰ってもらった。馬車がゆっくり走り出すと、ナディームが怪訝な表情をして聞いてきた。
「カティア、何かあったのか?どうしたんだい?」
「今朝、クラスメイトに言われたの。城へ入っていくのを見た、と。城の者が私のことを『カティア様』と呼んでいたと。」
「……。で、カティアは何と答えたんだ?」
「ネックレスを見せたよ。ラステム様の病気についても、養子縁組についても明言は避けて、将来的に領主一族のお手伝いをすることになっている、とだけ言った。」
「小さい町だ。噂が広がるのは時間の問題だろうな。」
「……うん。ラステム様に報告して、お考えを聞いておきたいの。それよりナディーム……。」
「ん?どうした?」
「今日、学校で習ったんだけど……過去の戦争で、ナディームは核兵器が使われたかどうか知ってる?」
「カクヘイキ?」
「ん~……大量破壊兵器とも言われているんだけど……原爆とか水爆とか中性子爆弾とか……。」
「過去にはあったのかい?そのカクヘイキという武器が……。」
私はコクリと頷いた。
「そのカクヘイキのことはよくわからないけど、殺傷能力の高い最新兵器が使われて、そのせいで世界が汚染される一因になったのは知ってる。」
……やっぱり核兵器か。
「カティア。そのカクヘイキのこと、もっと詳しく教えてくれない?どんな兵器なの?」
ナディームがそう言った時、馬車がピタリと止まって城に着いた。馬車のドアが開けられて、案内人に迎え入れられた。
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