024 再訪
私が父さんとナディームと再び領主のお城にやってきたのは、十日後のことだった。本当は三日前には来ているはずだったのだが、大気が不安定で外出できなかったのだ。今日は馬車ではなく、歩いて来た。うちから歩くと二十分。大人の足だと十五分ぐらいで来れると思う。
城の入り口には、案内人が立っていて、前回同様に二階の部屋に通された。領主はまだ来ていない。
「ふう」と父さんは口をすぼめて息を吐く。一度会っているからか、それとも領主のお願いを断らなくていいからなのか、前よりは緊張の度合いが低い。逆にナディームは、側近の件で自分が見定められるからだろうか、少し緊張している。カチャ、と静かにドアが開いて、領主が入ってくる。
「再びお会いできる日を心待ちにしておりました、ネヴィン、カティア、そしてナディーム。」
私達が挨拶を交わすと、領主は前と同じように目配せだけで側近を動かしていく。側近は優雅に一度退室するとワゴンを押しながら戻ってきた。今日はお茶菓子を出してくれるようだ。お皿やカトラリーが微かに当たる音や、ティーポットからほんのり上がる湯気が見える。
「今日は牛乳が手に入りましてね。さ、どうぞ。お召し上がりください。」
目の前にあるのは、少し深めの皿に置かれたクリーム色のムースなようなババロアのようなプリンのようなお菓子。お皿を手に取り、スプーンで掬う。プルプルで柔らかい。そっと口に運ぶと、それは紛れもないカスタードプリンだった。牛乳と卵と砂糖で作ったシンプルで素朴なカスタードクリームの味だ。母さんのクッキーも美味しいけど、久々に味わう優しい牛乳の味とか、懐かしいプリンの味に心が和む。
……ああ、美味しい。体の隅々に幸せが染み渡るーー……!
ここでは牛が出産して、子牛に授乳する期間しか牛乳は手に入らないとこの前、学校で学んだ。私が生きていた時代のように牛を人工的に妊娠・出産させて牛乳を得るようなことはしていない。だから牛が自然に子牛を産んで牛乳が出る間だけ人間も恩恵を受けることができる。よって市場に出回る量も少ないし、高価だ。牛肉も牛が死んだ時だけ売られる。食べるために殺すことはしないし、殺すために産ませるようなこともしない。肉が貴重で高いわけだ。うちのような一家では手が出せる食材ではない。
……もしかして、養女になったら牛乳とかお肉が頻繁に食べられる?バターもチーズも、乳製品を使ったお菓子も?!やばい!嬉しい!
プリンで私は完全に胃袋を捕まれていた。もういつ養女になってもいい。むしろ今日この瞬間からでも。
「……では養子縁組だけ最初に済ませて、学校卒業まではご実家で今まで通りに暮らし、卒業後に住まいを城へ移す、という形でよろしいでしょうか。」
私が久しぶりのプリンに感激しまくっている間に、父さんと領主の間で、どんどん話し合いが進められていた。
「これについては私からも二つ条件があります。もし在学中に私が死ぬことがあれば、その時は即座に城へ来てもらいます。それから週に二回は放課後に城へ来て、領主教育を受けてもらいます。」
父さんはすぐにその条件を飲んだ。そしてナディームの件も領主からオッケーが出た。そして私が領主教育で城に来る時はナディームも一緒に来て、側近の仕事ができるよう教育を受けることになった。話がまとまると養子縁組の書類を作る。私は戸籍上はもう領主一族になってしまったのだ。父さんが内容を確認して書類にサインしていく。
「あの……領主様。私はこれから、どうお呼びすれば宜しいでしょう?」
「はは……お養父様、と呼んでもらえると嬉しいが、カティアが呼びやすいように呼んでくれて構わない。」
この紙切れ一枚で、私はこの人の娘になったなんて信じられない。馬鹿馬鹿しい気持ちさえした。いや、それを言うなら、朝起きて見知らぬ人の娘になったという方が、よっぽど馬鹿馬鹿しい話なのだが。
「では養女になったカティアにこれを。」
そう言ってお養父様は目配せして、側近に小さな箱を持ってこさせる。箱を開いて差し出してきたのは、黒い石のついたネックレスだ。そう言えば、魔力持ちは石付きの装飾品を身に付けてるんだと思い出した。
「オニキスは領主一族の証です。いつもは見えないように服の中に入れておきなさい。私の病は公表するつもりはありませんから、養子縁組の件も口外無用です。ただ何かトラブルに巻き込まれそうな時は出すといい。誰も領主一族とトラブルにはなりたくないでしょうから。」
私はもらったネックレスを見つめた。オニキスって、こんなにも魅力的な石だっただろうか……。私は、まるで吸い込まれそうな漆黒のオニキスのネックレスを首につけた。その瞬間ふわっとオニキスと私の魔力が重なり合うような感覚を覚えた。ネックレスをつけた私を見て、父さんは少し物悲しそうだ。今この瞬間、となりに座っている娘が、他人の子供になってしまったのだから、心の距離を感じているのだろう。ナディームはネックレスをつけた私を、ただ真っ直ぐに見つめていた。
家に戻って、母さんたルドミラにもネックレスを見せた。母さんは寂しそうに、でも誇らしげに笑った。ルドミラは「あーあ、私にも魔力があったら、きれいな石のついたアクセサリーが付けれるのに」と羨ましそうに私を見た。
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