020 訪問者
あの超着膨れする重くて分厚い上着を着ていたのが嘘のように暑くなった。ここには、春という季節がないなではないかと思わずにはいられない。春らしい季節は瞬く間に過ぎ去り、夏真っ盛りだ。暑い。とにかく暑い。日本の夏も暑いけど、ここの夏も負けていないと思う。何より辛いのはエアコンも扇風機もないことだ。毎日、団扇を両手に扇ぎまくるしかないので腕に軽く力瘤ができそうだ。特に大気計や魔力計の数値が高くて、窓も開けられない時は我慢大会のように辛い。熱気が家の中に籠って不快指数も上がる。私とルドミラはじゃんけんをして、負けた人が1分間、相手を扇ぐというゲームにハマっていた。
「ルドミラ!カティア!いつまでやってるの!早く学校へ行く支度をなさい!」
母さんの雷が落ちて、しぶしぶ二階へ向かう。ナディームはもう支度を終えて、階段を下りてきた。母さんを煩わせない優等生、ナディーム。出来すぎ君すぎるよ、キミ。
大気が不安定な時は休校になるので普段から休みは多いこの世界では、夏休みのような長期休暇が存在しない。そんなシステムがあると、授業がなかなか進まないからだろう。お陰で暑い中、毎日学校である。太陽がギラギラ照りつける中、学校へ向かって歩く。湿度は高くないのでカラッとした暑さだが、日光が直接肌をジリジリ焼くように照りつける。
「じゃあね、カティア。また帰りね。」
ルドミラに教室前で手を振って別れた。教室に入ると、もうクラスメイトは揃っていて、チャイムがすぐ鳴る。今日の一時間目は社会だ。
「今日からは、この町の色々な仕事についてお勉強します。」
オクサーナ先生の一言で授業が始まる。今までは町のしくみを学んでいた。汚染された水はどのように飲料水となるか、なぜ夜の十時以降は電気が使えないのか、ごみの処理方法などなど。どれも日本と違いすぎていて、正直言うと興味深かった。
「学校を卒業すると、ほどんどの人が仕事に就くことになりますからね。仕事の種類や内容などは知っておくと、仕事を選ぶときに役立ちますよ。」
先生の言葉に自分の将来の仕事を考えてみる。ナディームは進学して、もっと勉強したい……て言ってたよね。ルドミラはまだわからない……て言ってたっけ。私が知っているこの町の仕事は、父さんの野菜農場の仕事に兵士、教師、教師補佐だけ……。たぶん電力供給の仕事はあるよね。医者とか医療関係の仕事は存在するのかな?
「カティアのお父様はどんな仕事をしてますか?」
「父は町の外にある野菜農場で働いています。」
「なるほど。では野菜農場の仕事から学びましょう。」
野菜農場は実は屋内にあるらしい。土地に直に野菜を育てると、汚染された土壌や水で、食べれるものが出来ないので、魔力持ちによって清浄された土と水を使って、ガラス作りの建物の中で野菜を育てる。その隣には野菜の加工工場があり、小麦や米の精製、トマトなどの缶詰め加工、ハーブや豆などの乾物加工をしている。農場にも加工工場にも必ず魔力持ちが働いていて、土や水をきれいにしたりする。
「ピルヨー。あなたのお父様のお仕事は?」
「私のお父さんは硝子工場で働いています。」
硝子工場は、ガラス瓶やコップ、ガラス製のコンテナ、窓なんかを作っている。使い終わったガラス製品もそこへ運ばれて、リサイクルされるのだ。
「僕の父ちゃんは兵士です。」
「食品工場で働いています。」
「医者です。」
「電気供給で働いています。」
「郵便屋です。」
「製紙工場で働いています。」
出てくる出てくる……色々な仕事。この町は女性でも、子供が初等教育を終えたら仕事に就かなければいけない。専門知識を必要とせず、経験重視の仕事が多い。
「皆さんにはあまり関係のない仕事ですが、家庭教師という仕事もありますよ。魔力持ちの子供は学校へ行かず、家庭教師を雇います。魔力に関する知識も必要ですからね。」
この町の人口は約五千人。そのうち十パーセントが魔力持ち。たぶん子供の人口が五~十パーセント。つまり人口の八十パーセントがこのような仕事に就いてるってことか。勿論、ナディームが希望しているように進学してる人もいるだろうし、高齢者はたぶん働いていない、はず。三千人から四千人の雇用が必要ってことか。農場や工場は人数がいるだろうな。母さんは私が学校を修了したら、どんな仕事するんだろう?
私がこの町の仕事について考えていると、急に廊下に人影が見えた。教師補佐のアーテムが教室を出て対応する。少ししてから、アーテムが教室の中を覗きこみ、
「カティア。ちょっと……」
と手招きした。何だろう?何かあったのだろうか?何もわからず私は立ち上がって、アーテムのいる方へ向かう。私のことなんて全く気にも止められず、授業は進められている。
廊下へ出るとアーテムと同じぐらいの歳の男性が立っていた。面識はない。男性は少し垂れ目で、笑っていなくても、ほんのり微笑んでいるような顔立ちだ。
「君がカティアかい?」
「はい、カティアです。……あの……どのような御用でしょう?」
学校へ来て、授業中の私を呼び出すぐらいだ。父さんが倒れたとか母さんが怪我をしたとか何か大事な用件があるに違いない。男性はアーテムに向き直って個室を貸して欲しい、と言った。アーテムは以前、私の算数のテストをした小さな個室へ引導する。
「それでは、ごゆっくり。何かございましたらお呼びください。」
そう言うとアーテムはドアを閉めた。私と男性は小さな机に向かい合って座った。
「カティア、改めて自己紹介させて下さい。私の名前はリーツェスです。」
リーツェスはすっと手を差し出した。「どうも……」と、私も手を差し出す。軽い握手かと思ったら、リーツェスは両手で私の手を優しく包み込んだ。
「?……あ、あの……」
長い握手に居心地の悪さを覚えた瞬間、私の背中が突然ゾクゾクッと身震いした。私の魔力が、すごい勢いで体内を暴走し始めているのだ。魔力は抑えているので、放出はされていない。ただ体内で魔力が走り回って大暴れしている感じだ。リーツェスが小さく「なるほど」と呟いて手を離すと魔力の暴走は嘘のように落ち着いた。
「強力な魔虫に遭遇した少女がいると聞いて、お見舞いに伺ったのです。私は兵士の総指揮をしています。小さな少女と聞いて心を痛めておりました。仕事が忙しくて、お見舞いがこんなに遅くなってしまい申し訳ありません。」
何となく私は警戒姿勢になった。手を握られた時に私の中で起こった魔力の暴走は何だったのだろうか。この人が引き金になっているとしか考えられなかった。それに兵士の総監督がこんな事で学校へ来るものだろうか?
「お心遣い恐れ入ります。私は大丈夫です。怖かったのは事実ですが、怪我もしませんでしたし。今はまた普段の生活に戻っております。」
そうですか、安心しました、と言うとリーツェスは私を教室へ送り届けて去って行った。
……一体、何だったんだろう……?
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