016 両親への報告
ルドミラと母さんが、カティアのシャワーを手伝っている間に、僕は父さんと一緒に自室へ向かう。我が家の匂いが、無事に家に帰ってこれたという安堵感となって僕を包み込む。部屋に入ると、父さんは僕の部屋のベッドに腰掛ける。僕も机の椅子を出して、父さんに向き合う。
「……ナディーム……一体、何があった?」
魔力計が警戒値になったので下校したのに、なかなか帰って来ない僕とカティア。家の近くで聞こえる救援笛の音。恐怖に震え、ひどく汚れて帰ってきたカティア。父さんの動揺が手に取るようにわかった。
「……川で魔虫に遭遇したんだ……。」
父さんは「やっぱり、そうだったか」と呟いて先を促した。
「見たことのない魔虫だった。僕らを見つけた魔虫は威嚇態勢に入ってた……。」
「すぐ逃げたんだろう?」
「いや、できなかったんだ。……カティアが怖くて腰を抜かしちゃって。立ち上がれなくなったんだ。」
兵士が助けに来たこと。兵士が攻撃した際に、カティアが魔虫の体液を浴びたこと。魔虫は無事に討伐されたことを順を追って報告した。
「父さん、カティアはトラウマになってるかもしれない。すごく怖がっていたから……。」
「だろうな。しばらく学校は休ませるか。」
学校どころか外出ができるようになるのも、時間がかかるかもしれない。睡眠障害やパニック症候群のような精神的な不安定さが現れてもおかしくはないだろう。
「ナディーム、よくカティアを守ってくれた。礼を言うぞ。ありがとう。……で、お前は大丈夫なのか?」
父さんからの感謝の言葉と、僕を心配する一言にフッと張り詰めていた気持ちが緩んだ。僕の頬を一滴の大粒の涙が伝う。
……と、父さん……
僕のその顔を見て、父さんは肩を貸してくれた。その広くて逞しい肩に頭を預けて、僕は静かに泣いた。父さんはただ黙って僕に泣き場所を提供してくれた。
「……落ち着いたか?」
「うん。もう大丈夫。昔のことを思い出してしまっただけだよ。」
父さんはシャワーから出てきたカティアの様子を見に、部屋を出た。父さんと入れ替わりに母さんが入ってくる。
「ナディーム……カティアとネヴィンから話は聞いたわ。怖い思いをしたでしょう……。もう少し落ち着いたかしら?」
僕に歩み寄った母さんは、椅子に座ったままの僕を優しく包み込んだ。この歳になると、なかなか持てない母さんとの触れ合いが傷ついた心に染みる。母さんは僕の両手を握って、膝をついた。目には涙が光っている。今にもこぼれ落ちそうだ。
「……ナディーム。私の宝物を守ってくれて、本当に有り難う。けど、私はあなたの事も心配よ。本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。まだ少し動揺してるけど、怪我も何もない。明日はまた学校に行くよ。」
それを聞いた母さんは、そう……と安心した表情を浮かべた。
「そういえば、カティアの汚れが取れなかったのよ。ベトベトは洗い流せたけど肌に痣のような染みになってるの。何日かしたら消えるのかしらね?」
母さんの呟く独り言が耳に入って、僕は昔読んだ本にあった内容を思い出した。見たことのない魔虫、体液、とれない肌の染み……。
……まさかな……。
僕は頭を振った。そして、そのままベッドに横になった。ぼんやりと天井を眺めていると、隣の部屋から時々カティアのすすり泣くような声が聞こえる。その度に、母さんの優しい声が静かにカティアを宥める。
……あの魔虫は一体、何だったんだろう……?新種か?
本でも見たことのない魔虫だった。あんな大きな魔虫だったら本で見たことがあってもおかしくはないはずだ。それだけではない。学校を出る時は、魔力計がまだ警戒値だった。普通、学校で魔力計が警戒値になる時は、まだ魔物は町の外にいるはずだ。町の中に入ってきたら危険値になる。学校から家までは、カティアの足で十分もかからない。警戒値の間に町の中で魔虫に遭遇したのが不可解でならない。
……明日、兵士に聞きに行ってみるか……?
兵士だったら、詳しくは教えてくれなくても、魔虫の名前ぐらいは教えてくれるかもしれない。
疲労感からか、突然どっと睡魔に襲われて、僕は目を閉じた。そのまま夢を見た。昔の夢だ。魔虫に遭遇した後、僕は父さんに手を引かれながら歩いていた。僕の頬には涙が伝う。父さんのもう片方の手にはルドミラが抱かれている。見上げた父さんの横顔は不安と動揺で満ちていた。
ハッと目を覚ますと、部屋の中は真っ暗だ。どうやら学校から帰ってきて、随分長い間、眠ってしまっていたらしい。もうすぐ夜が明ける時間だ。今日もまた学校へ行く時に、あの橋を渡らなければならないと思うと少し憂鬱な気持ちになった。
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