014 緊急下校

 「オクサーナ先生。この町の領主様やその御一族について教えて下さい。」


 社会の授業の一番始めに、私は手を上げた。今、授業ではちょうどこの町のことについて学んでいるので的外れな内容ではないはずだ。私のその質問にオクサーナ先生と教師補佐のアーテムは一瞬目配せをした。やはり領主様の病状は思わしくないのだろうか。今は扱うべきトピックではないのかもしれない。


 「質問の範囲が少し広すぎますわ、カティア。領主一族のどのようなことを知りたいのでしょう?」

 「現領主一族が長い間、この町を治めてきたと母から聞きました。領主一族の功績や、領主一族の仕事についてお聞きしたいのです。」


 オクサーナ先生は「なるほど」と話し始めた。


 「現領主様の名前は皆さんご存知でしょうか?」


 先生が教室の皆に問うと、反応は鈍い。五歳の子供だ。領主の名前を知らなくても不思議はない。


 「領主様はラステム様といいます。海の側にお住まいのお城があります。」


 お城は昨日ナディームの本で絵を見た気がする。お城というよりはお屋敷っぽい建物で、私が想像していたお城より随分と小さそうだった。


 「領主様の仕事は多岐に渡ります。水道水の水質管理や、農場の土壌管理、作物の栽培管理、町の商業管理、町の防衛管理、治安維持、徴税……。領主様一族は強大な魔力を持っています。その魔力を町のためにお使いくださるのですよ。これは領主一族にしかできない仕事です。」

 「この前、母ちゃんがラステム様は重い病気だって言ってました。オクサーナ先生、本当ですか。」


 急に他の子供たちも質問を始める。皆、口には出さなかったが、最初から興味津々の話題だったようだ。


 「先生、ラステム様の次は誰が領主になるんですか。」

 「違うよ。ラステム様は病気だけど死ぬわけじゃない。まだ若いって父ちゃんが言ってたぞ。」

 「領主様の魔力ってどれぐらい凄いんですか?」

 「おれ、この前ラステム様見たよ。馬に乗って巡回中だった。病気には見えなかったけど……。」


 矢継ぎ早に、みんなが次々と口を開く。私も、もっともっと質問したいことがあるのに、そこでチャイムが鳴ってしまった。社会の時間は終わりだ。次の時間は算数なので、私は図書室に行けることになっている。領主様に関する新しい知識は全く入ってこなかった。


 ……図書室に領主一族について書かれた本とかあるかな?


 算数の授業が始まったので、私は一人で図書室に向かった。図書室には既にナディームがいて閲覧机に数冊の本を広げていた。本を読みながら、色々メモを取っている。私に気付いたナディームは、ニコリと微笑んで「やあ、カティア」と言うと、すぐに目線を本に戻した。本の横には紙が何枚も重ねられている。全てナディームのメモ書きだ。いつも、こうして本を読んで勉強するのを私は知っている。ナディームの向かいに座ろうとテーブルに足を進めた時、突然大きな音がした。


 ……ビーッ、ビーッ、ビーッ


 大きな音に私の心臓が大きく跳ね上がった。ナディームの顔から柔らかな表情が消え、本を閉じてガタッと立ち上がる。メモした紙の束やノートと本をサッとまとめて片手に持ち、そのまま私の手をさっと引いて図書室の出口へ向かう。


 「魔力計が警戒値になりました。全校生徒は今すぐすみやかに帰宅して下さい。」


 校内アナウンスだ。大きめの魔虫か魔獣が町の近くに来ているのだろう。まだ危険値には達していないが値が上昇してるため子供は下校して自宅待機となる。


 「カティア、急ぐよ。危険値になる前に家に着かないと。」


 早足で私の手をグイグイ引っ張りながら、ナディームは歩く。私は小さいせいで早足というよりは小走り状態だ。校門のところでルドミラが待っていた。


 「さあ、ナディーム、カティア、急ごう。」

 「僕はカティアと行く。ルドミラは走って帰れ。」

 「わかった。」


 そう言うとルドミラはの後ろ姿はあっという間に見えなくなった。入学前は私がいなかったから、二人で走って帰れていたのだろう。自分がお荷物な存在であることに罪悪感を覚える。


 「カティア、心配いらないよ。まだ警戒値だから。この速さでウチまで歩けるね?」


 私は頷いた。十歳のナディームと比べると短い五歳の足を一生懸命動かしてウチを目指す。帰り道では、外に出ていた人が急いで帰宅しようと走っていたり、学校から猛ダッシュで帰宅する子供をチラホラ見かけた。学校から公園を抜けて、石橋を目指して住宅地を歩く。ハァ、ハァと息が上がっている。橋を渡れば、視界に小さく家が見える。家が見えたら精神的な安堵感が変わってくるはずだ。ナディームは私の手をかなり強く引いている。強く握られる手が痛くなってきたほどだ。


 やっと橋まで来た。ここを渡れば、ウチまであと少しだ。今日は川のせせらぎなんて耳に入らない。安全確保しか頭にない。私達が橋を渡りきろうとする時、急に突風が吹いた。私のクリクリした金色の髪が乱れる。突風はナディームの手に持っていた紙の束を勢いよく吹き飛ばした。


 ……ああ!


 私は反射的にその紙を追った。ナディームの大切な物だと思ったのだ。魔力を扱う練習をした川縁へ降りていく。


 「カティア!戻ってくるんだ!それはいいから!早く帰ろう!」


 何枚かは遠くへ飛ばされてしまったけれど、足元にあるメモ書きを拾える範囲で拾い集める。その時、橋の下に動く気配を感じた。


 ……何?


 暗い橋の下に目の焦点をあわすと、私は恐怖でガクリと完全に腰が抜けた。


 「……あ、あ、あ……」


 その場で座り込んで、口をパクパクしてる私の様子に異常を察してナディームが川縁に降りてくる。


 「……っ!!魔虫……!」


 ナディームが息を飲んだのがわかった。今、私達二人の目線の先には成人男性二人分ぐらいはある大きさの虫が黒光りしているのだから。ゲジのような長い足が無数にある虫で、蠍のような尾節もある。最強に気持ち悪い見た目だ。私達に気付いた魔虫は、蠍のように尾節をあげて威嚇してきた。あそこから毒でも出すのだろうか。


 「カティア、早くこっちへ!」


 ナディームが私の手を引っ張って、立ち上がるよう促す。けど私の足腰には全く力が入らない。逃げなければいけないのはわかっているのに、体が思う通りに動かない。私の気持ちばかりが焦ってきた。


 ピーーーーーッッッ!!


 ナディームは首からかけていた小さな笛を思いっきり三回吹いた。助けを求める救援笛だ。


 「カティア、立つんだ!早く!!」


 ナディームが半ば私を引きずるように引っ張る。私は引っ張るナディームに両手でしがみつく。


……立て。立て、立て。私!!

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