012 算数のテスト
私が学校に入学してから一ヶ月が過ぎて、少しずつだが日が長くなってきた。ここは緯度が高いのだろうか。冬は日照時間が驚く程短いのだ。朝は七時でも夜のように真っ暗で、八時半から九時ぐらいにようやく空が明るくなり始める。夕方は四時ぐらいに日が暮れてしまう。だから少しずつ外が明るい時間が長くなってくると、季節が変わり始めているんだと自然に感じるのだ。母さんは「春ももうすぐね」と嬉しそうに話している。
私とナディームとルドミラは、大気計と魔力計を確認し、相変わらず分厚くて重い上着を羽織り、マスクを首に巻いて家を出た。まだ夜のように暗い通学路を三人で歩きながら、私は最近の最大の悩みの種をナディームにぶつけてみることにした。
「ナディーム。どうやったら授業を抜けて図書室に行けるかなぁ?」
私は一ヶ月よく頑張ったと思う。今、授業で算数は百までの数をしている。二つの数字を見て、どちらの数の方が大きいか、とか、複数の数字を数字の小さい順や大きい順に並べたりを延々と繰り返しているのだ。もうすぐ足し算が始められそうな感じだけど、私はもう我慢できない。いつまで、こんな馬鹿馬鹿しいことをしなければならないのか。私の中身は大学生なのだ。
「私、足し算も引き算もかけ算もわり算もできるの。少数や分数も知ってるし……授業は知ってることばかりで全然面白くないの。ナディームは毎日授業を受けずに図書室に行ってるんでしょ?私も図書室に行く方がいい。どうやったら行けるの?」
「かけ算もわり算もだって?!カティアなんでそんなことまでできるんだい?僕もルドミラも教えてないだろう?」
驚いた様子でナディームに逆に質問されてしまった。確かにかけ算や割り算も完璧にできる五歳児って、できすぎ君かも。
……やば。墓穴掘ってしまったよ……。
算数の授業から離れたくて離れたくて、思わず素が出てしまった。必死で言い訳を考える。
「ほ、本で読んだの。で、やってみたらスラスラできるようになったんだよ。」
「はぁ~……。カティアもナディーム似の秀才タイプなのね。私はまだわり算苦手なのに……。」
ルドミラがガッカリした声で呟いた。
……いや、秀才とかじゃない!私、大学生だから!!
「うーん……。もしそうなら、現状を話して、オクサーナ先生にテストをしてもらうといいよ。僕はいつもテストしてもらって合格だったら、図書室に行けることになってるんだ。」
……それ、もっと早くに知りたかったんだけど……。
私は学校に着くと、すぐにオクサーナ先生に物凄い勢いで直訴した。
「先生、算数の時間は私を図書室へ行かせて下さい!!」
オクサーナ先生は私の勢いに驚いたようで、目を丸くして私をしばらく見つめたが、事態を察したようで落ち着いた様子で向き直った。
「なるほど。カティアの言わんとすることは理解しました。確かにカティアはナディームに似て優秀ですもの。今の算数の授業が退屈に感じているのですね。」
「……はい。おっしゃる通りです。」
「けど、すぐに足し算というとても大切な課程に入ります。そうすれば退屈には感じなくなると思いますよ。」
「せ、先生……。私、足し算も引き算もかけ算もわり算もできるのです。」
「ま、まあ……!!」
先生は目を見開いた。驚きと嬉しさが入り交じったような表情で、続ける。
「やはり、優秀なお兄様を持つと違いますね。素晴らしいことですわ。」
……先生、ルドミラの存在を忘れてる……気がするのは私だけ?
オクサーナ先生と話して、私は算数の一年目の全課程のテストをしてもらえることになった。これに合格すれば、一年生の間は、算数の時間に図書館へ行ける。テストは今日の算数の時間に別室で行われることに決まった。自信しかない。余裕綽々だ。算数の授業が始まる少し前に、教師補佐のアーテムに連れられて、私は別室に向かった。
「カティアは本当に優秀ですからね。いずれこうなるだろうと思っていましたが、予想よりもまた随分と早かったですね。さすがナディームの妹だ。」
笑顔でそう言いながら、アーテムは廊下の一番端にある部屋のドアを開けた。まるで反省文を書くためだけに用意されたような殺風景な部屋には机が一つだけ置いてあった。
「時間は五十分です。はじめて下さい。」
そう言われてテスト用紙を渡された。私はそのテストを十分ほどで終わらせると満点で合格し、無事、公式に算数の授業から逃げ出すことに成功した。やっと「五十五と五十七の間にはどんな数字が入るでしょう?わかりますか?では、みんなで一緒にせーの」「ごじゅうろくー」の空間から解放されるのだ。
学校からの帰り道で、私はナディームに今日のことを話した。今日、ルドミラは友達と一緒に帰るらしく、ナディームと二人だけで通学路を歩く。
「算数のテストは満点で合格したよ。私も明日からは図書室に行けるんだ。ねえ、ナディーム。図書室にはどれぐらい本があるの?どんな本が置いてる?」
「蔵書数はかなり多いんじゃないかな。ノンフィクションが多くて勉強になる本がたくさんあるよ。今、僕は魔力持ちについての本を読んでるんだけど、魔力関係については資料が少なくて苦労してる。」
二人きりなので、当たり前のように魔力について話すナディームに、私はずっと言いそびれていたことを思い出した。
「そ、そういえば……ナ、ナディーム……。私言っておかなきゃいけない事があるの。ずっと言いそびれていて……。」
「……どうしたんだい?」
何か困ったことがあるのか、と優しく穏やかに訊いてくれる。私は入学する前に市に行った時のことを話した。アクセサリーや石を売ってる男性に黒い石を渡されたこと、魔力が溢れて、その石が透き通った石になったこと、その男が「浄化」という言葉を使っていたこと、その男は私の名前を知っていること、そして名前をジオヴァーニた名乗ったこと……。
私が話せば話すだけ、ナディームの表情は苦いものになった。眉間に皺ができている。
「……話はわかった。父さんと母さんはその男を見たかい?」
「見てない。私一人だったから……。」
「周りに人は?」
「ん~……。あんまりいなかったような……。」
ナディームは考え事をしている顔になっていた。その男に心当たりでもあるのだろうか。それとも私の身の安全を考えているのだろうか。それとも、この世界について無知な私の想像を越えるような重大なことを考えているのだろうか。ナディームに、あの男に心当たりがあるのか訊いてみたが、ナディームは考え事に忙しくて私の声は届いていないようだった。
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