005 市での出来事2
「……わわっ……!!」
私の手から溢れた虹色のオーロラは霧のように消え、手にあった黒い石はあっという間に透明になったいた。角度を変えると虹色に輝いている。レインボートパーズみたいだ。
……これが浄化?
と思った瞬間だった。またもや私に異変が起きた。今回は吐き気ではない。今まで経験したことのないような激しい頭痛だ。私は思わず地面に伏せた。頬に当たっている地面が氷のように冷たい。
……うぅっ……頭が割れそう……
あまりの痛みのせいで吐き気もしてきたし、こんなに寒いというのに、額にはじっとりと脂汗が滲む。
アクセサリーを売っていた男の人は私に駆け寄ると額に手をあてた。
「やはり浄化できるのか、カティア。」
この緊急事態にあり得ないほど冷たく優しい声だ。男が私の額から手を離すと頭痛はスッキリとなくなった。
……頭痛が治まったのと、額に触れられたのって関係ある?!ない?どっちだ??
私は立ち上がり、石を渡して急いでその場を離れようとした。なんとなく、逃げなくては、と思ったのだ。もう心も体もぐちゃぐちゃだった。一人になりたい。もう嫌だ!日本に帰りたい!!わからないことだらけのこんな世界いやだ!その時、男がぐいっと私の手を引いた。鼻眼鏡の奥に、深いターコイズブルー色の真剣な目が見える。
「は、離して……!」
「カティア。私の名前はジオヴァーニだ。またいつか会うことになるだろう。君のことは覚えておく。私のことも覚えておいて欲しい。」
「もう会いません!もう嫌なんです、何もかも!私は……日本に帰りたいのに!ただそれだけなのに!」
私は手を振り払って駆け出した。自分の本当の望みを初めて口にして、堪えていたものが我慢できず溢れてきた。こんな所にいたいんじゃない!私は日本に帰りたいんだ!カティアでいたいんじゃない……!戻りたいの!私は戻るべきはずの所に戻って、私が送るべき生活をしたいの!
私は賑わいを見せる市の中を乱暴に袖で涙を拭いながら、父さんのいる場所へと歩いた。いつの間にか昼になっていて、太陽の位置が高い。広場は太陽に数時間温められて、朝ほど寒くはない。
父さんのいる場所へ戻ると、母さんが戻ってきていた。本をたくさん買ったようだ。
「ナディームが喜ぶわ。あの子は本当にお勉強が好きだから。」
母さんが買ってきた戦利品の古本に目を遣ると、歴史の本や自然科学の本、科学技術の本、人間科学の本……と小難しそうな本がたくさんあった。中には物語のような読み物も混ざっている。あと母さんが買ってきた物は石鹸や固形シャンプー、蝋燭とそれを入れるためのガラス製のランプ。普段お店で買うよりもかなり安く買えた、と喜んでいる。
私はまだ動揺が収まらず、一人ですぐ傍にある石像の前にある段を数段登って、そこに座り込んだ。少し目線が高くなっただけで、景色が変わった。海が見えた。
……わあ……ここって、海の近くだったんだ……。
この町は港町なのだろうか。家から十分歩くだけで海だなんて。動揺した心が海の景色に癒されていく。
「母さん、海が見えるよ!」
「あら、前にも見たじゃない。海を見てはしゃぐなんて可笑しな子ね。」
母さんがクスクス笑う。
「けど海の水は飲んでも触ってもダメよ。汚染されてるからね。見るだけにしておいて頂戴。」
この世界では、大気汚染だけでなく水質汚染も深刻なようだ。母さんは、水道の蛇口から出る水以外は飲むどころか触っても駄目だと言う。飲んでしまえば病院送り。下手したらあの世行きだそうだ。大気計も警戒値ではマスクをしてても三十分、危険値では十分外にいるだけでアウトだと言っていた。
……環境汚染が深刻すぎるよ……
私はぼーっと海を眺めながら、母さんが用意してくれたサンドイッチを食べる。中には潰した豆とレーズンをカレー風味のマヨネーズで和えたものが挟まっている。なかなか美味しいけど、ハムサンドや玉子サンドが恋しい。そう言えば、こっちに来てからお肉も食べていない。野菜と豆ばかりだ。
……あれ……お肉ないし、牛乳も飲んでない……牛いない??豚も?鶏は?あ、卵は何回か食べたっけ。けど鶏肉は食べてないな……。魚はどうなんだろう?
本当にこの世界は一体何なんだろう。近いようで遠い。馴染みのある物も多いのに、全然違うことも沢山ある。五歳しか生きてないカティアには知らないことがまだまだ沢山あるはずだ。頭の中に一杯の疑問は、生活していく中でひとつひとつ答えを見つけていくしかない。
父さんが戻ってきた。
「何か買ったの?」
「ん……?いや、特に目ぼしいものはなかった。」
父さんは何も買わなかったらしい。少しソワソワしてるように見えるのは私だけだろうか。別に父さんが内緒で買った物に興味なんてないけど。私はサンドイッチを食べ終えた後は、火鉢の横でずっと暖をとって過ごした。
初めての市は、その後は何事もなく終え、また荷車に乗って家へ帰ることになった。広場を去る時に、あのジオヴァーニというクセサリー売りがいた方をチラッと見てみたけど、そこにはもう誰もいなかった。
……猫の目が治ったり、ナディームが怖い顔したり、黒い石が透明に『浄化』されたり……。一体、何なの。
家に戻ると、ナディームとルドミラも学校から帰っていて、ナディームは新しい古本に大喜びしていた。ルドミラは石鹸や固形シャンプーの匂いをひとつひとつ嗅いで、良い匂いだの、この匂いが好きだの、母さんと盛り上がっていた。
私は一人、階段をゆっくり上り、自室へ入る。ベッドへ倒れるように横になり、仰向けで天井を見つめながら自分の手を見つめる。
……あの虹色のオーロラみたいな光って何なんだろう……
超能力なのか、魔法なのか、それとも全く別の物なのか。とりあえず普通じゃない。
……魔法が使えるんだったら、その魔法使って今すぐ日本に帰るんだけどね。
それから今日のアクセサリー売りのことを、ふと思い出す。
……確かジオヴァーニ……て言ったっけ?
鼻眼鏡をかけた二十歳ぐらいの栗色の髪に深いターコイズブルーの大きな目。少しミステリアスな雰囲気の漂う美男子。もう会いたくない、と思う反面、彼なら私の聞きたいことを少しは教えてくれるのではないか、という気持ちもあった。何か色々知ってそうだし…。
……またいつか会うことになる……て、どういうこと?
彼なら教えてくれくれるのだろうか。私は日本に戻れるのか。ここはどこなのか。なぜこんなに空気や水が汚れているのか。どうしてプラスチックはないのか。なんで肉は食べないのか。私の手から出る虹色の光は何なのか。
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