004 市での出来事1
朝、ベッドの中でも目を覚ますと、やはり日本の私の家ではなかったので、私は日本に帰るという希望をアッサリとポイした。戻れた時はラッキー、ぐらいな心持ちでいた方が気持ちが楽だ。せっかく生きているんだから、日々の生活を楽しみたい。
今朝は少しだけ緊張している。父さんと初めて顔を合わすのだ。カティアの記憶には父さんの顔が残ってるから、顔は知っている。けれど、私がカティアになってから父さんは仕事場である野菜農場に泊まり込みで働きに出ていたし、その後しばらく大気が不安定になったので足止めを喰らって帰宅できなかったのだ。昨日の夜遅くに帰ってきているはずだ。
ベッドから降りて、鏡を覗きこむ。布団から出るとひんやり寒い。鏡の中に映った自分に笑いかけてみる。うん、大丈夫。可愛い子は得だ。
自室を出ると、暖炉の暖を求めて階段を下りる。キッチンからはお湯を沸かす音や、カチャカチャと食器やカトラリーの音がしている。キッチンのドアが少しだけ開いていたので、そっとキッチンの中を覗き込むと、母さんが忙しそうにしていた。けど、その表情はとても柔らかい。そう言えば、今日は中央広場で市が立つと言っていたっけ。静かにキッチンに入る私に気づいた母さんは、明るい声で私に言った。
「あら、おはよう、カティア。今日はちゃんと自分で起きれたわね。えらいわ。昨日の夜、お父さんが帰って来たわよ。ダイニングルームにいるからお顔を見せていらっしゃい。」
「うん。」
私はキッチンからダイニングルームに繋がるドアに目を向けた。少しだけ気合いがいる。
……なんてったって初対面だからね!!
戦に赴くような気合いを入れて「うしっ!」とダイニングルームに入ると、テーブルに座ってお茶を飲んでいた父さんの目線がこちらに向けられる。ナディームとルドミラも朝食をとっていた。
「おぉ!カティア!おはよう!しばらく留守にしてすまなかったな。元気にしていたか?」
父さんは満面の笑顔で話しかけてきた。私も笑顔で応える。長身で、声も低くて、男らしい雰囲気だけど、とても穏やかで優しそうで、全く怖くない。フッと緊張は溶けていった。
「今日はナディームとルドミラは学校だし、中央広場で市が立つし、忙しくなりそうよ。カティアもお手伝いしてね。」
母さんが優しく言う。
「うん。市って響きを聞くだけで楽しそう。」
「俺も一緒に行くよ。アイネとカティア二人だけだと大変だろう。」
「ネヴィンも来てくれるなんて百人力だわ。」
母さんは上機嫌だ。ナディームとルドミラは厚い上着を着て、マスクをネックウォーマーにして学校へ向かった。昨日からナディームと目線を合わせるのが気まずくなったので、学校に行ってくれるのは正直有り難い。当のナディームは何もなかったかのように、いつも通りだ。
市へ行く前に母さんの洗濯仕事を手伝う。この国では洗濯機は一家に一台なく、数軒で一台を共用する。小さい共同住宅なら全棟で共用、大きなところなら各階で共用、うちのように長屋なら一棟で共用する。六建が連なった長屋の、一番端にある我が家の横に小さな小屋がある。その小屋に洗濯機と乾燥機があるのだ。大気が不安定な時が多いので、あまり外干しはしない。
大きな籠二つ分もある洗濯物を運ぶ。洗濯機のある小屋に行くには一度、家の外に出ないといけないので、寒い。今日も気温は氷点下前後といったところだろう。わさわさと洗濯機に洗濯物を入れる。驚いたことに洗濯洗剤は使わず、その代わりに洗浄作用のある木の実を入れる。この木の実が汚れを落としてくれるらしい。
……こんな木の実で、ちゃんと洗えるのかな?匂いとかちゃんととれなさそう……。柔軟剤はなくてもいいの?
洗濯ひとつでも、私の知る洗濯と色々な違いがあって、いちいち驚いたり、疑ったり、疑問に思ったり、と心の中はなかなかに忙しい。
洗濯をしてる間に父さんが裏庭の納屋から大八車のような木製の荷車を出してきた。成人女性一人ででも扱えるぐらいの大きさだ。これを引いて市に行くらしい。
……市、ていうから青空市場で食材買うような気軽なお買い物を想像してたんだけど……ちょっと違うっぽい?
父さんは、その荷車に家の中の物を積み始めた。量はあまり多くない。大きな段ボール二個分ぐらいだ。
「今回はあまり売る物がないな。」
呟く父さんに首をかしげる。
「父さん。市に行く、て買い物をするんじゃなくて、売りに行くの?」
「両方だ。皆が家の要らないものや内職で作った物を持ってきて売り買いするんだ。店で買うよりも安いし、人脈ができることもある。たくさん人がいて賑やかで楽しいぞ。」
バザーなようなフリマのようなガレージセールのような催しらしい。超楽しそうだ!!日本に生きていた時も、フリマで変わった物や掘り出し物を見つけるのが好きだった。心が踊る。
……何か買えるかな?……あ、けど私お金持ってない!!おーまいがっ!!!
私は荷車に乗った箱の中を覗いてみる。着潰してしまった洋服の布を母さんが細く切って、毛糸のように編んで作った籠や買い物かご、床に敷くラグマットなどの内職仕事や、私の使っていた木製の積み木や玩具が入っていた。
ずっと思ってたけど、ここでの生活ってものすごくエコで省エネだ。家具も日用品も全てリサイクル可能な金属や硝子や木でできている。洗濯洗剤は堆肥化可能な木の実だし、エネルギー消費も最低限。交通手段も馬車が主流なのだ。人々はガレージセールで物を譲ったり、譲ってもらったりする。資源やエネルギーをすごく大切にしている感じだ。そのせいか贅沢感のある生活ではないけれど。
母さんが洗濯を終え、市で昼食に食べるための軽食を持って出てきた。
「用意はいいか?」
「カティア。トイレは大丈夫?市にトイレはないわよ。」
「大丈夫。」
「よし。じゃあ行くぞ。カティアは乗れ。」
父さんは、そう言うと私に荷車の上に乗るように手で促す。昔、乗ったことのある人力車に似ている。父さんが、あまり揺れないように、ゆっくり丁寧に引いてくれる感じだ。私は上着の上から『赤ずきんちゃん』がかぶるような温かい毛皮の頭巾をかぶって、八台車の上で冬の寒さに耐えていた。心の中で『ドナドナ』を口ずさんみながら。
広場は学校へ行く道と違う方へ行く。実はこっちからでも学校へは行けるけど、少し遠回りになる、と母さんが教えてくれた。広場までは歩いて十分ほど。だだっ広い広場は日光がよく当たるので、昼頃になると、少し温かくなりそうだ。もうたくさんの人がやって来ていて、かなり活気があった。空いているスペースを陣取り、バザーのように並べる。あとは誰かが買いたいと言ってくるまで、その場で待機だ。父さんが小さな火鉢に火をおこしてくれた。寒さ対策もしてくれてるなんて有難い。
……うひょーーーーーーー!!なんだか軽くお祭り気分!寒いけど!!
見に行きたい、歩き回りたい、とウズウズしている私のことなんてお構い無く、「じゃあ、しばらく宜しくね」と父さんと私に店番を押し付けて母さんが買い物に行ってしまった。
ごった返す市をぼーっと観察する。やっぱり、みんな着てる服はウチと同じ感じだ。時々、アクセサリーをつけている人を見かけた。ほとんどの人が装飾品なんてつけていないのだから、アクセサリーをしてる人はお金持ちなのだろうか。そういう目で見てみると、着てる服も少し高そうかな、なんて考えていたら、隣で父さんが接客していた。母さんの内職で作った籠が売れた。そこで私は初めてこの国の通貨が「ユイスト」と呼ぶことを知った。
「ねえ、父さん。私も少し歩いて色々と見てきてもいい?」
退屈してきたので、いい加減歩き回りたくなってきた。父さんの顔色を伺う。
「なんだ、何か欲しいものがあるのか?」
「いや、別に欲しいものはないんだけど、見て回るだけでも楽しそうだと思って……。」
「そういうことか。わかった。行っておいで。けど絶対に広場から出ないように。父さんはここにいるから、迷子にはならないな?」
私たちが陣取った場所は馬に乗った騎士の石像の横なので見つけやすい。これなら絶対迷子にはならない自信がある。私は市場の中を歩き始めた。
最初に目を留めたのは、本ばかり売ってる男性だった。黒に近い茶色のボサボサした髪が、何となく本好きなイメージにしっくりはまった。この世界では本は少し高い。ニンジン五本で一ユイストなのに新品の本一冊が三十ユイストもするのだ。けど、こうして市に出てる中古本は一冊十ユイスト前後。この世界では読書が市民の娯楽のひとつなのだろう。古本の売り場は、とても賑わっていた。
古本売り場を過ぎると、玩具がたくさん売っている人がいた。恰幅のいい主婦だった。玩具は木製の物がほとんど。積み木や、木製線路、木で作った小さな動物のフィギュアや木馬。布で作ったお人形もあった。この国の子はレゴとかで遊ばないんだな。プラスチックがダメなのか。
この玩具売り場を過ぎると、雰囲気が少し変わる。なんとなく裕福層エリアと市民層エリアが分けられているようだ。ここから先は売ってるものが少し贅沢品になった気がした。まず目に飛び込んできたのが、楽器を売ってる夫婦だ。バイオリンやフルート、クラリネット、タンバリン、トライアングル……私では名前がわからない管弦楽器が並んでいる。
……ふむふむ、楽器も馴染みある形ばかりなんだね……。
楽器を見ながら、元の世界とこちらの世界の差違を擦り合わせていこうとすると、楽器売りの夫婦に「お嬢ちゃんでは、まだどの楽器も無理でしょう」とやんわり追い払われた。
……買うつもりなんて、最初からなかったよ!!
心の中で少しだけ言い返す。楽器売り場の向いは、鼻眼鏡をした若い男性が天然石や金属製アクセサリーを売っていた。
……こういうの、フリマっぽい!
アクセサリーや天然石を覗き込む。指輪やブレスレット、ネックレス、イヤリングなんかが並んでいる。シンプルな物が多いけど、ヴィンテージ感あるお洒落な物もあった。
……いいじゃん!こういうヴィンテージ感あるアクセ大好き!!
天然石はガーネットやアメジスト、ターコイズ、ローズクォーツなどなど私の知ってる石ばかり。こちらも元の世界と同じで、変わった物はなかった。繊細な花の細工が施されたシルバーの指輪がとても気に入ってしまった。
……あ~……欲しくなってきたぁ……。
気分は完全に女子大生時代に戻っていた。フリマをエンジョイしまくっている。女の子はいつの時代だってアクセサリーが好きなのだ。天然石がついている物もすごく素敵だ。ガーネットやターコイズはヴィンテージ物とすごくよく合ってる。どれぐらい見ていたのだろうか。自分では少し足を止めただけの感覚だったが、随分と長い間そこにいたようだ。アクセサリーを売っている男の人がすごく不思議そうに、じっと私を見ていることに気付いた。
「……お嬢さん、お名前は?」
「……………………カ、カティアだけど……。」
「ふぅん…。」
私を舐め回すように見るその視線は、あまり心地良いものではない。悪い人ではなさそうだが、直ちにこの場から逃げ出したい気持ちに駆られる。
「カティア、と言ったか。君はこの石を浄化できるか?」
男はそう言うと、握り拳大の黒い石を差し出した。
「浄化って?」
差し出されたので、手を出して石を受け取りながら尋ねる。
……日本で石を浄化、て言ったら塩?パワーストーンは塩水に浸けて浄化する、とか言うよね。この石、なんの石なんだろう。何かの原石かな?
そんなことを考えながら、ずん、と重みのある冷たい石が私の手に落とされた。その瞬間、また私の手から虹色のオーロラもどきが溢れだした。
「……っっ!!ま、またっ……!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます