001 転生

 「………ィア!起きなさい!!」


 そうだ。起きなきゃ。確か今日は新学期初日。ゼミの教授と次の研究課題について面談することになってるんだっけ。


 ……にしても、あー眠い。


 「来月から学校が始まるのに、本当に大丈夫なの?」


 ……お願い、もう少しだけ寝かせて………!


 「こら!何回言わせるの!いい加減に起きなさい!!」


 無理矢理に掛け布団を剥がされて、目を開けた。


 ……えぇーーーー……っと…………。……ど、どちら様?


 目覚めと同時に頭はフル回転で考え始める。目の前には見覚えのない西洋人女性が立っているのだから。


 「カティア!来月には入学でしょ。朝早くに起きる習慣をつけておかないと、入学してから辛いわよ。朝ごはん出来てるから、早く下に降りていらっしゃい。」


 そう言うと、その見知らぬ女性は部屋を出ていった。それと同時に混乱した頭がパンクする。考えようとするものの、どこから考え始めたらいいのかわからない。


 ……な、何?何?何??一体、何が起こってるの?


 目が覚めたら、見覚えのない部屋にいて、知らない女性が私に何やら話しかけていたのだ。日本語じゃないのに、なぜか理解できる。私は2019年の日本を生きる普通の大学生で、今日は夏休みも終わって新学期初日。大学へ行って、その後はファミレスでのバイトが入ってる。


 混乱したままの頭で、ベッドから飛び降り、壁にかかっている鏡を覗き込んだ。


 「……え。えええぇぇえ!」


 鏡の中には、西洋人の幼女が映っていた。五歳くらいだろうか。ペタペタと自分の頬を触ってみる。クリックリの金色の髪にエメラルドグリーンの瞳。自分で言うのも変だけど、むちゃくちゃ可愛い。


 ゆ、夢を見ているのだろうか。夢にしては、リアルすぎるような気がする。五感だったり自分の気持ちだったりが、妙に冴えていて、夢だとは信じがたかった。これが漫画や小説で出てくる「転生」とかいうものなのだろうか。


 「転生」だとしたら……私、死んだの?けど私の最後の記憶って……確か、家で妹に髪を切ってもらって、そのあとはいつも通り、お風呂に入って、ベッドに入って寝たよね?車にはねられそうになったり、滑って転んだりしてない。寝てるうちに死んだってこと?心臓発作とか?


 もう大パニックである。


 「転生」なんて胡散臭い現象、信じられない。何か一つでも「これだ!」と確信の持てることが欲しくて、部屋を出た。家の中は底冷えする程ひんやりしていた。雪国なのだろうか。周りを見渡しても、やっぱり見たこともない家だった。今いるのは家の二階らしい。部屋を出ると四方にドアが四つあって、一番奥には階下へ行く階段もある。階段を下り始めたところで、水が湧くように、この小さな女の子の記憶が流れてきた。


 名前はカティア。五歳になったばかり。この家には両親とお姉ちゃんとお兄ちゃんと五人で住んでいる。


 小さなカティアの今までの記憶は手に入れた。五歳なのであまり情報は多くない。けど、カティアの意識は一体どこへ行ってしまったんだろう。カティアは死んでしまったのだろうか。怖くなって、背中がゾクッとした。


 私は一階へ下りると、カティアの記憶を頼りにダイニングルームへと向かった。底冷えしそうなぐらい寒い家の中でも、ダイニングルームに近付くにつれて、ほんのり温かくなってくる。ダイニングルームにはお母さんとお姉ちゃんのルドミラ、お兄ちゃんのナディームがいた。暖炉のようなオレンジ色の温かい電気が灯っていて、この光の色だけで体感温度が少しだけ上がったのがわかる。


 「おはよう、カティア。」


 ナディームが優しく声をかける。


 「おはよう、ナディーム。」


 混乱と戸惑いでいまだにパニック状態の私は、それだけ言うと、カティアがいつも座っていた席に座った。何を話していいのかもわからないし、少し落ち着くための時間が必要な気がした。


 朝食はパンと、数種類の豆が入ったスープなようなシチューのようなものだった。寒い朝にぴったりのメニューに思えた。お豆のシチューは素朴な味ですごく美味しい。おかわりしたい。他所のお宅でおかわりなんて図々しすぎるだろうか。


 ……そんな事考えてる場合じゃないけど。


 食べながら、ゆっくりと家の中を見渡すと、小さな違和感を覚える。言葉にするには難しいぐらいの小さな違和感だ。物が少ない。少なすぎる。ちゃんと家具が揃った、ごく普通の家に見えるのだが、物が少なすぎて質素な感じがする。部屋の装飾品は全然ないし、必要最低限な物しかない。ミニマリストとかシンプリスト一家なのだろうか。とりあえず、ダイニングテーブルも椅子もカトラリーもお皿もある。家の中にはドアもあるし、窓にはカーテンもある。


 夢であれ、転生であれ、大昔に来た、ってわけではなさそうなんだけど……。


 そんなことを考えながらも、小さな違和感は消えなかった。なんだか質素な感じがするのだ。古臭いと言ってもいいかもしれない。


 ……日本と何かが違う……。何が違うんだろう……?


 必要な物は揃っているはずなのに、どうしても同じ時代のような気がしない。ここが日本とは違う国だからといっても、やっぱり何か違和感が残るのだ。この違和感は朝食後、トイレに行った時に仮説へと変わった。


 ユニットバスルームには、お風呂とトイレと洗面台がある。バスルームの中を見渡して、シャンプーやボディーソープ、歯ブラシなどが私の知っている形ではなかったのだ。全て石鹸のように固形だった。石鹸皿に『シャンプー』とか『コンディショナー』と書いてある。


 この世界………もしかしてプラスチックがない……とか??


 他の部屋を見渡すと確かにプラスチック製らしき物は一つも見当たらない。全部、木製だったり金属製だったり硝子製なのだ。床も家具もドアも全て木製。ドアノブは金属製。天井の電気は金属と硝子でできているようだった。私は「牛乳が飲みたい」と言って、冷蔵庫を覗くことにした。


 「牛乳?いつからそんな贅沢になったの。そんな贅沢な物が欲しいんなら、早く学校出て、しっかり稼いできて頂戴。」


 お母さんには牛乳がないと言われ、代わりに豆乳をもらった。冷蔵庫から出てきた豆乳はガラス瓶に入っていたし、冷蔵庫を開けた時にチラリと見えた冷蔵庫の中に、ビニール袋やプラスチックのタッパーなどは見当たらなかった。


 気がつけばテレビもないし、私の生活必需品であるスマホやタブレットも見当たらない。電気がないのかと思ったが、天井に電気はついているし、冷蔵庫もある。壁にはところどころコンセントもあるので電気はあるようだ。


 なんとも変な世界。昔なの?現代なの?


 私が豆乳を飲み干すと同時にルドミラとナディームが口を開く。


 「カティア。もし今日、外へ出ても大丈夫そうだったら、学校まで歩いてみようか。あっちの方面は、あまり行ったことがないだろう?」

 「いつも私たちと一緒に登校することにはなると思うけどね。道は覚えておいた方がいいもの。」


 私は無言で頷いた。この世界では五歳から学校に行くらしい。私は来月に晴れて入学するようだ。新しい環境に戸惑わないようにルドミラとナディームが色々と世話を焼いてくれる。


 「お母さん。カティアに学校までの道を見せてあげようと思うんだけど、いい?」

 「ええ、今のところ大丈夫そうね。さっと行って、寄り道しないで真っ直ぐ帰っていらっしゃい。」


 兄姉とお母さんの会話が引っ掛かる。私は普段、外に連れ出してはいけないような言い方だ。ナディームは「外へ出ても大丈夫そうだったら…」て条件がついてるし、ルドミラもお母さんに外出許可をとっている。お母さんの回答からも、大丈夫なのは「今のところ」なようだし、あまりふらふら歩き回らないようにと注意付きだ。


 「じゃあ身支度を整えて、早速行きましょう。」


 ルドミラとナディームは二階へ上がった。私もバスルームで顔を洗って、歯磨きをする。歯ブラシは見た目こそ、私の知っている歯ブラシなのたが、柄の部分は木製で、ブラシの部分も少しだけ感触が違う。歯みがき粉はガラス瓶に入った白い粉を使う。その後、自室へ戻った。


 改めて一人になって考えてみる。まだ何が起こったのか何一つ理解できていない状況なのに、この家族の一員として、既にこの生活に足を踏み入れてしまっていることに不安を感じる。当たり障りなくやり過ごしてみるしかないな、と思いながら着替えをする。服を出そうと、衣装箪笥の引き出しを開けるとデザイン性もないシンプル且つ機能的な服ばかり入っていた。可愛さもお洒落さもない。もっと言えば、洗濯で色も褪せてるし、少しばかり伸びている。明らかに着潰した感たっぷりだ。古びたターコイズブルーのトップスに黒いズボンを履いた。


 着替え終わって階下へと下りると、ルドミラは私にグレーの布を手渡した。


 「これからは必要だものね。自分でつけれる?」


 あぁ…。これ、知ってる。ルドミラとナディームが学校に行くときに、いつも首に巻いてるやつだ。


 カティアの記憶の中にハッキリとあったのは、目出し帽のようなもので、家族はみんな「マスク」と呼んでいた。頭から被って、普段はネックウォーマーのように首元を覆っておく。必要な時に目以外を覆うのだ。ルドミラとナディームが目出し帽スタイルになっていたのは見たことがあるが、小さいカティアには、それがどのような目的で使われているのかは知らなかったようだ。なので今の私にも、この目出し帽をいつ被ればいいのか、なぜ被るのかは知らない。とりあえずネックウォーマーのように首にかけた。


 「必要な時は、自分でマスクできる?」


 自分一人で目出し帽スタイルにできるか聞かれ、フードを被るように目出し帽スタイルになった。大丈夫そうね、とルドミラとお母さんは安堵のため息をついた。そして母さんはものすごく分厚いニット製のジャケットを私に着せた。ウール製なのだろうか。温いんだけど重くて分厚くて、すごくコワゴワする。着膨れして動きにくい。


 「じゃあ行こう!」


 外に出ると、この世界のことが少しでもわかるかもしれない。何か発見があるかもしれない。何より少し気分転換になる気がした。こんな動揺したまま、見知らぬ人達と、見知らぬ家にいると息が詰まりそうだ。少しでも外気に当たるのは、いいことのように思えた。ところが靴を履き、玄関のドアを開けるとルドミラとナディームは目を見合わせて、バツが悪そうに溜め息をついた。二人は外に出ようとせずに、そのまま靴を脱いで家の中に戻る。


 ……え?行かないの?行くって言ったよね???


 そのままルドミラもナディームも上着やマスクを脱いで、自室へ戻っていってしまった。


 ……一体、何……?


 いまだに私の側に立つお母さんの服をギュッと掴み、見上げて尋ねる。


 「ねえ、どうしてルドミラとナディームは戻っちゃったの?学校まで行くんじゃなかったの?行かないの?」

 「今は行けなさそうね。カティアにも教えておかないと。もう学校に行く歳になったんだもの。」


 お母さんはそう言うと玄関のドアのすぐ外にある温度計なようなものを指差した。温度計なような物が二つ、その上に金属のボタンがついていた。


 「左のは大気計、右のは魔力計。上にあるボタンは非常ベルね。大気計も魔力計も数値がゼロ以上だったら、市民は外出禁止よ。学校もお休み。危ないからね。外に行く時は必ず見るのよ。今までは、いつもお母さんが外に出てもいい、とか駄目、とか言ってあげてたけど、もう五歳だものね。」


 どうやら、この世界はかなり大気汚染がひどくて、大気計の数値が高いと死の危険があることから外出は禁止されるのだそうだ。そして町の近くに魔獣や魔虫が現れると、魔力計が魔力を感じ取るらしい。魔力計は中型~大型の魔物に反応するため小型の魔物の接近はわからない。魔物が接近している時は、市民は自宅待機だ。


 魔獣やら魔虫やら…ここは随分とファンタジーな世界らしい。……てか、大丈夫なの?怖いのも危険なのも御免だ。私は平穏を愛する女なのだ。とにかく魔獣や魔虫に遭遇する前に日本に帰らなければ。

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