第2話 〈アオリイカ〉協定 Ⅱ

「私もここまでか……」

 呂は半生を振り返った。

 マグロ星系に生まれた彼女は生来活発な人間だった。幼少の頃からとにかく常に何事かに取り組んだ。ある時は勉学に注力し、またある時は武芸を齧り、かと思えば寿司を握り——。というように、無計画で場当たり的に数々の経験を積んできた。

 かといって優等生というワケでもなく、成人を待たずして酒は飲むわ煙草は吸うわ。盗みは嗜む程度、喧嘩は滅法好むところであった。特筆すべきは彼女のこういった非行の類はただの一度も大人に露見することが無かった、という点である。

 とにかく何でもやるやつ。

 その活きの良さたるや余人の追随を許すものではなく、周囲の誰もが呂に一目おいた。

 地域のガキ大将を立派に務め上げたことで大将の素質を見初められて軍の大将学校に入学してからも、その勢いが衰えることはなかった。理論寿司学だの社会寿司学だのといった膨大な必修教科を一つ一つ確実に修め、好成績で卒業し、後方任務の大将として難なく生暖かい昇進のベルトコンベアにのったのである。

 しかし本人的には、ただ目の前のことをやっていたらこうなった、くらいにしか思っていない。実際、彼女はこれまでの人生のこと如くをその場その場で何とはなしに上手いことやってきたのであった。

 それ故に少々思慮に欠けるというか、短絡的なところはあるかもしれない。今回の失態については齢二十七にして彼女自身の短所が初めて災いしたと言えるが、今までは問題にならなかったことを思えば寧ろ幸運だったと言える。

 最初にして最後の下手を打った。

 そう考えると、案外悪くない人生だったかもしれない。

 呂の口元が静かに緩んだ。

「何を考えておられるのです」

 クラーが不審げに尋ねる。

「これから死に急ごうという者の内心を根掘り葉掘り聞くつもりか? 趣味が悪いぞ」

「そんなつもりでは……」

 クラーはきまりが悪そうにたじろいだ。

 こんな反応をされては「そんなつもりでは」も決まりが悪いのも呂とて同じである。

「なに、その——人間、最後は存外あっさりした心持ちなのだなと思ってな。短かい人生だったが不思議なほど未練が無くて、それがどうにも可笑しく思えただけだ」

 モニターの方を向いてそう言った。間もなく退却の準備が整うところだった。

「私が死んだら空いた席には貴様が座ることになるやもしれん。私より随分と指揮官向きの声だし、まあ上手くやれるだろう。ただし、副官には自分より背の低いやつを選ぶことだな」

 眼鏡も変えろよ、と呂は付け加えた。

「————大将のチビ」

「————なぁ~にぃ?」

 背丈は呂の数少ない逆鱗だった。

 触れてはいけないもの筆頭、逆鱗。

 呂は瞬時にクラーの眼鏡を指紋でベタベタにする算段をつけた。

 触れてはいけないもの次席、眼鏡のレンズ。

 しかし彼女が怒りに顔を歪めながらクラーの方を見やると一瞬で視界がぼやけた。

「うわ! 何をする!」

「餞別です。差し上げます」

 クラーの両手は上官の黒い長髪をかき分けてその耳もとに添えられていた。

 呂の目は軍服の赤色とクラーの不鮮明な輪郭だけを捉えている。

「おい、この眼鏡……度があってないぞ」

「知りません」

 クラーは両手に力を入れる。

「いだだだだ! 食い込む! 眼鏡が! ヤ、ヤメロッ!」

 呂が濁った悲鳴をひとしきり上げたのち、ようやく手が離された。

 痛みのあまり頭を抱えるようにしてゆっくり俯くと、眼鏡はぽとりと膝の上に落ちた。呂はむっとして顔を上げるが、そこにはもうクラーの姿は無かった。立ち上がり後ろを見るとクラーは円形のオペレーターデスクの内側から出るところだった。

 出入り口付近の人間をセンサーが感知すると寿司回路が作動し天板の一部がにゅっ、とスライドして格納され、道をあける。戦艦イクラならではの最新式設備。因みに船内には重力があるので、この格納される天板の部分に物を置いておくと出入りなんかの時に落ちる。新設備に慣れるまでは皆、とりわけ呂はよくやらかした。

 にゅっ、と出口が開く。クラーはそのままつかつかと歩みを進めた。

「何処へ行く! この眼鏡、サイズもあってないではないか!」

「知りません。予備の眼鏡をとって参ります」

 そう言ってクラーは拳の小指側を壁に軽く叩きつける。ブリッジ出入り口の扉がぬるっと開く。こちらはスイッチ式である。勿論寿司回路で動く。寿司回路は物質を構成する最小の粒子である素子すしの運動によって動力を生み出す。

 呂は眉をひそめた。クラーの歩調に合わせてブロンドのポニーテールが揺れるのを見ていたが、やがて扉が閉まり遮られた。クラーが叩いた壁からにゅん、と鉄火巻が生える。

 鉄火巻きはボタンに最も適した寿司の一つである。鮮やかな朱色は警戒色として活用され、主に大きな動作を制御するスイッチなどに使用される。逆に危険を伴わない動作の制御ならばそれはかっぱ巻で事足りるのだ。

「クッソメガネが……」

 虫の居所の悪さに任せて乱暴に腰を下ろす。モニターを見ると全MSのステータスが“離艦”から“整備”に変わっていた。

「いつでも撤退できます」とオペレーターの報告が入る。

 呂が号令を掛けようとしたその時、不意に通知音が鳴り、モニターに新たなアイコンがポップした。

「おいどうした。何だあれは」

「どうやら〈アオリイカ〉の陰から現れたようです。光学映像で確認しますのでしばしお待ちを」

 識別信号照会よりも直接目視の方が早い位置に未確認の艦影が出現。ブリッジに緊張が走る。

「映像、出ます」

 戦況を模式的に表示していた画面が切り替わる。映し出されたのは〈アオリイカ〉衛星軌道の拡大映像。その白銀のシャリと乳白色のネタの境目付近を背景に、急速でこちらへ接近する軍艦六隻。白身魚連合軍シラウオ級。ネタのシラウオは保護色だがその黒い海苔がはっきりと目視できた。

 奇襲。急襲。不意打ち。闇討ち。

 ダークホースでしょうか?

 いいえ、ホワイトフィッシュです。

 呂はとりあえず声だけでも出しておくことにした。

「なるほど」

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