第1話 〈アオリイカ〉協定 Ⅰ

「どうしてこうなった……」

 赤身魚帝国軍大将の呂四喜は戦艦イクラのブリッジで覇気のない声を漏らした。

 戦艦イクラ。黒々とした海苔の上に粒ぞろいの紅玉と青々とした紫蘇を頂く帝国きっての新鋭艦は、イカ星系五番惑星〈アオリイカ〉の衛星軌道から少し離れた宙域で交戦状態にあった。

「それは大将の自業自得でありましょう」

 脇に控えていた副官がウェリントンの眼鏡を押し上げて言った。

「……クラー大将、人を階級で呼ぶな。分かりづらい」

「これは失礼しました。

 呂は眉一つ動かさず言うクラーを一瞥して鼻を鳴らした。

 帝国寿司軍の将校は全員が大将であった。

「相変わらずふてぶてしいやつだ貴様は。上官に対する敬意というものを知らんらしい。知的とは程遠いそのオシャレ眼鏡がぴったりだな」

 クラーは上官より遥かに身なりに気を遣う方の女性であった。

「お褒めにあずかり光栄です。実はこれ特注でして相手の人となりまでよく見えるのですよ。閣下もお一ついかがです? そうすればきっと、啖呵を切ったら相手の信条に唾をかけていた、なんてことにも気付きましょう」

 呂の眉がピクリと跳ねる。

「遠慮しよう。特注なのだろう? 面倒くさいわ」

「そう言わず。私の予備がございますからそれを」

「予備なら尚更、貴様が大事にとっておけ」

「大丈夫です。千個あるので」

「捨ててしまえ」

 呂はメインモニターを眺めたまま大きく一つ息を吐き、腕を組んで言った。

「それに、今更もう遅いわ」

「それもそうですね」

「……鰯か」

「……鰯ですね」

 モニターには彼我の残存戦力、戦闘の継続時間、おすすめの寿司ネタなどが表示されている。

 弱い魚と書いてイワシである。

 乳白色の惑星の傍、戦闘宙域には勇壮な軍艦巻たちが二陣営に分かれてそれぞれ隊列を成し、両陣営の間を寿司光線や寿司弾頭が飛び交っていた。

 白身魚連合陣営はシラウオ級が三隻とタラ白子級が十隻。対する帝国軍は旗艦のイクラに加えツナマヨ級護衛艦三隻のみ。白一色の軍艦隊と象牙色と鮮やかなオレンジのコントラストが効いたオシャレな艦隊が対面している。

 呂喜四大将麾下のいずれの艦も撃沈こそされていないものの、海苔装甲への被害は多数報告されている。機動部隊であるMS(Malacostraca Suit)隊も敵部隊との戦闘で損耗していることがモニターから見て取れる。

 こういう場合、引き際は早ければ早いほどいい、というのが呂のスタンスであった。

「退くぞ。全艦に通達。MSどもを呼び戻せ」

 呂が指示を出すと、彼女を囲むように配置されているオペレーターたちが一斉に短く返事をした。

「よろしいので?」

「敵が多すぎる。いくらイカ星系が中立とは言え、こんな少数編成の艦隊を停戦協定に差し向けた上のミスだ」

「それで血の気の多い参謀の連中が納得するとは思えませんが」

「本来なら一発だって撃たずに逃げるべきところだぞ。むしろここまで連中を立てて戦ってやったんだから誉めてほしいくらいだ」

 呂は肩をすくめてため息を漏らした。

「いえ、そうではなく」

 クラーは眼鏡を押し上げて続ける。

「停戦協定をお釈迦にして想定外の戦闘を勃発させた挙句その本人がおめおめと負け帰ってきた、では呂大将の立つ瀬がないのでは、と申し上げているのですが」

 クラーの低い声が響く。その余韻を最後にブリッジが静寂に包まれた。オペレーターたちも作業の手を止める。やや怪訝そうな視線が呂に投げられた。

「——果たして、本当にそうだろうか?」

「率直に言って、銃殺かと」

「しかし戦力差がだな」

「そもそも交戦を想定していませんので。停戦協議に大艦隊を引き連れたのでは威圧と捉えられかねませんし」

「それは……むぅ……」

 協議が決裂するや否や牙をむいてきた粗暴で好戦的な白身魚連合、という呂の認識が自身の反論を封殺した。

 クラーは呂の背後に歩み寄る。

「銃殺かと」

「……」

 クラーは更に歩み寄り、すこし腰を屈めて呂の耳元で囁く。

「——銃殺」

「分かったから!」

 呂は近過ぎる副官の顔面を突き飛ばすとメインモニターを見直した。戦力差は圧倒的。味方各艦は一応健在。おすすめのネタは鰯。

 周囲を見回すとオペレーターたちが彼女をじっと見ていた。

「ええい、分かった分かった! そんな眼で見るな! 心配せずとも貴様らと心中などこちらから願い下げだ! 帰るったら帰るぞ。そのあと一人で銃殺でも何でもされてくれるわ!」

 そう言い放つと呂は指揮官用の席にドカッと腰を下ろした。

 ややあって、オペレーターたちは少し戸惑いながらも各々の作業に戻った。ある者は胸を撫で下ろし、ある者は唇を噛みしめて。

「責任を一身に引き受けるご決断、ご立派でございます、呂四喜大将閣下。刑執行の折は閣下のミソで軍艦巻を握らせていただきましょう……」

「やめろ気色悪い」

 わざとらしく目元を押さえる副官を、呂は片手を振ってあしらった。そのまま、ふうと息をついてぼんやりとモニターを眺める。

「私もここまでか……」

 呂は半生を振り返った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る