第9話

『だから、感謝しないとね。あんたには』

「えっ?」

『あんた、このアスターどれくらい生きてるのよ?』

「…一か月くらい」

あははは、という母の笑い声が脳内に響きわたる。


『あのずぼらなあんたが、そんなことできるなんてねえ。

このアスターもよほど嬉しかったんだろうね』


「どういうことだよ」


『だからこうして、あんたともう一度話せるチャンスをくれたんじゃないかって』


俺はハッとして母を見つめる。アスターの花弁はもうすでに8割ほど枯れ落ちている。

母との時間の終わりも近づいているのが分かった。


『だから、ありがとう。そしてごめんね。

急にいなくなったりして。そのことだけが気がかりだったんだ。』

ふふっと母が笑う。


違う。

その時俺は強く思った。


違う。

違うんだ、母さん。

もし、このアスターがチャンスをくれたのだとしたら、

それは…俺なんだ、きっと。

だから…


「母さん、俺、母さんに言わないといけないことがある」

『うん?』


「母さん、ごめん。本当にごめん。

俺、あの日。母さんと別れた日。

ひどいこと言った。俺、あの日どうかしててそれで心にも思ってないのに

あんなことっ、言っちゃった。 

違うんだ、本当は。

俺、母さんのこと、ちゃんと…好きだったんだ」


俺はしゃくりあげながらも言い切った。

両目から涙がにじむ。肩がひくひくと小刻みに震えている。

でも、花瓶だけは落とすまいとぎゅっと力を入れていた。 


『馬鹿ねえ』

「うっ…うっ」

『そんなこと、言わなくてもわかってるわよ。

私はあんたの…お母さんなんだから』


俺は鼻水をすすりあげながら、母を見る。

もうその花びらのほとんどは抜け落ちていた。

 

最後だ、これが最後だ。

母さんに想いを伝える最後のチャンスだ。

 

「母さん!」

『うん?』

「おれ、大丈夫だから。父さんと二人で…いや、一人でだってちゃんと生きていけるから。

だから、心配すんなよ!

あっちで俺らのことなんて忘れて、のんびり過ごしてくれよ。

病気のことなんて忘れて楽しく過ごしてくれよ」


『ふふ』

母が笑った。俺は驚いてアスターを見つめる。

『言われなくてもわかってるわよ。でもね

一つだけ、約束できないかな』

「えっ?」


『あなたたちのこと、忘れるわけないじゃない』

 

その時、最後の花びらがゆっくりと舞い落ちた。

俺はさっと手のひらでそれを掴んだ。

 

目の前には来た時と変わらず、さらさらとアスターが揺れている。

  

俺は夜が満ちてアスターが見えなくなるまで、その景色を眺め続けたのであった。


 

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