第6話

俺は急いで一階から十数本の花瓶と、漂白剤、炭酸水などを持ってくる。

母は漂白剤の方に顔を向け、びくびくと震えている。

「今から、母さんに最適な水を作る。だから、『味見』してくれ」

『はあ?味見?』

そして、俺はいくつかの一本の花瓶を取り出し、炭酸水と少量の漂白剤・砂糖などを混ぜ合わせた。

今まで、怖くて試すことができなかったのだ。

万が一、失敗してアスターが枯れてしまったらと思い、手を出さなかった。

しかし、今は違うのだ。母の声が聞こえる。

だから感想をもらえばいいのだ。そうして修正していけば最終的には完璧な「水」を作れる。

我ながら、名案だった。


そして俺は母の喚き声をシャットアウトして、実験を繰り返したのだった。


――――――――


‥それから、どれくらいが経っただろうか。

気づくと、窓から差し込む夕陽で室内は橙色に染まっていた。

俺は目の前の光景を見つめながら、拳を握りしめた。


「なんで…」


机の上には幾本もの花瓶が無秩序に散らかっている。

そして、その中心に母が差さっている花瓶がぽつんと置かれている。

その周りには数えきれないほどの花弁が落ちている。


「止まれよ…止まってくれよ」


『優斗』


その時、母の優し気な声が俺を包む。

俺は母のほうに振り向いた。その瞬間、また一枚。花びらがひらひらと抜け落ちた。


『いいのよ、別に』


「いいわけ、あるかよ」


俺は歯を食いしばりながら、ギュッと握り拳を作る。

その時、病室での母の姿がフラッシュバックする。


俺は父からの電話を受けるとすぐさま病室に向かった。

そこでは母がまるで眠るかのように横たわっていた。


死んでる…?これが…?

俺はにわかには信じられなかった。

まるで生きているかのように張りのある皮膚も、生前と変わらぬ優し気な表情も死者のそれとは到底思えない。


俺はふらふらと母に近づいた。

母は生きている、そう確信しながら。


そして、僅か数歩で俺は母の横にたどり着く。

俺は母の腕に触れようとした。


まるで赤子がねだるように腕をゆすろうと思ったのだ。

起きてくれ、早く起きてくれ。言わなくちゃいけないことがあるんだ…。


ゆっくり、ゆっくりと手が腕に近づく。

そして、ついにその指先が母の腕に触れたとき、目まぐるしい速度でその感覚が俺の体内を駆け巡り、脳を震わす。


その瞬間、俺はボロボロと泣き出した。


「つめてえ、つめてえや」


俺は人目もはばからずわんわんと泣き続けた。

こんな別れ方あるかよ、こんな終わり方あるのかよ。


泣き疲れて眠るその時まで、俺は嗚咽を漏らし続けたのであった。




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