第3話

「どうなってんだよ…」

俺はリビングでご飯を頬張りながら呟いた。


これは何かの間違いだろうか、俺はついに精神がおかしくなってしまったのだろうか。

自嘲するかのように、一人鼻を鳴らす。


あの日から俺の中に重く沈みこんで消えない思い。

それがこんな幻覚を見せつけているのであろうか。


俺は箸を置き、瞳を閉じて深呼吸をした。


―――――

母は生まれた時から心臓が弱かった。

医師から渡される薬を毎日飲まなければ、発作が起きてしまうほどであった。


だから、父も俺も母の体調には誰よりも敏感で誰よりも気遣うようになった。


父は家に5台もの空気清浄機を備え付けた。

その言い分は『俺はホコリアレルギーなんだ』だった。シンプルに初耳だった。


かくいう俺も人のことは言えない。

心臓にいいとされるワカメを大量に購入し、みそ汁を作るようになった。

母に「あんたもワカメ好きねえ」と言われるたび、

「ワカメって女子受けいいんだぜ?」と訳の分からんことを言って誤魔化した。


母もそんな馬鹿な男二人の気遣いを敏感に察していたのだろう。

母はどんな時も、そして誰よりも俺と父に優しかった。


そう、俺はそんなことは分かっていた。

分かっていたはずなのに。

あの日の俺はどうかしていたのだった。


その日、俺は嫌に虫の居所が悪かった。


うだるような暑さに息苦しさを覚えたからだろうか。

別れた彼女への未練が残っていたからだろうか。

勉強も部活も、なにもかもに集中できないでいたからだろうか。


俺は夕食の場でも胸に宿る灰色の思いを滲ませていたのだった。

だからなんだ。

だから、母はあんなことを言ったのだ。

なのに俺は…


「うるせえよ!!」

にやにやとしながら頬に触れようとする母に、俺は自分でも驚くほどに声を荒げた。

『ほっぺにご飯ついてるよ』

ただ、それだけの言葉だったのに。


母も俺の変わりように大きく目を丸くしていた。

しかし、ぶくぶくと大きく膨れ上がり始めた俺の思いは母に向けて爆発した。


「母さんはいっつもいっつもくだらないことばっかり気にかかって…!

楽しいかよ?人をおちょくるのは」


それからのことはあまり記憶にない。

ただ、俺のでたらめな暴言を母が何も言わずに受けて止めてくれたいたことだけは覚えていた。


だから、そこで止めておけばよかったのだ。

なのに俺は、その言葉を吐き出してしまった。


「なあ、母さんがそんな体でさ。

 俺たちが…父さんと俺がどれだけ気にかけているのか知ってんのかよ」


「…えっ?」


その時の母の、僅かに歪んだ表情が頭にこべりついて離れない。


――もう、うんざりなんだよ!早く…


そこで俺の記憶は止まっている。


気づくと俺は近くの河川敷に座り込んで川を眺めていた。

しばらくして、ポケットに入れていた俺の携帯が小刻みに震えた。


俺はその電話を終えると、頬を何かが伝ったのを感じた。


母との別れはあまりにも突然だった。


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