第304話 ひとりぼっちの共犯者

 突発的な発熱は一日寝込んだら嘘のように引いた。

 ひとりでは広すぎるダブルベッドから跳ね上がるように起き上がり、ぼくはパジャマのままレティと共用である私室を出た。

 そのまま階段を降りて1階のリビングへ。


「おはよぉー」


 扉を開けて開口一番に朝の挨拶をしたらキッチンでお皿を洗うお父さんと、テーブルに座って新聞を眺めるお母さんがはっと驚いた顔を見せた。

 もう熱は平気なのか? と2人には随分と心配をかけてしまった。

 お父さんなんて手についた泡も気にせずぼくに触れようとしてきたくらいだ。

 お母さんが先に指摘したことで何とかなったけど、手を洗った後のお父さんは跳びつくみたいにぼくを強く抱き締めてきた。


「……え? 大丈夫だよ。もうぼくは平気。心配させてごめんね?」


 お父さんはぼくの寝癖を直そうとしているのか、体調を気遣いながら何度も髪を撫でてくる。

 なんて子煩悩なのだろう。

 もう家を出ないといけない時間なのに、お父さんはハグを外してくれない。

 お母さんがお父さんを窘めるように引き剥がしてくれたけど、何だかんだでもお母さんとも軽い抱擁を交わした。頬に軽いキスのおまけもついてだ。


「まったく、お父さんはいつまでもぼくを子ども扱いするんだから……うん。大丈夫だって、ほら仕事に遅れるよ!」


 最後まで娘の心配をするお父さんの背中を押し、パジャマ姿のままぼくは外に止まっていた白塗りの社用車が出発するその時まで見送った。

 もうおじさんおばさんと呼ばれて良い歳なのに、お父さんもお母さんも若々しい。40歳なのにお母さんなんてまだ20代だって言っても通じそうだ。

 もしや、この2人は生前の影響でも受けているのだろうか……なんて冗談を思う。


(昔のお父さんイルノートが今の自分の姿を見たらどう思うかな?)

 

 社用車の後部座席から何度も手を振り続けるお父さんを見つめながら、ぼくはくすりと笑った。







 ――この世界は君たち3人の為に新たに作られた世界である。


 この話を聞いたのはぼくがまだよちよち歩きも出来ない赤ん坊の頃だ。

 未発達な乳児ではうまく発声することも出来なかった為、当時は一方的に頭の中へと流し込まれたことを覚えている。


 ――新しく作られたと言っても基盤は君たちが出会い、懸命に生き続けたあの星だ。


 ぼくらが死に、その数年後に月が墜落し、全ての生命が息絶えた後、彼ら4人はこの世界を新たに創造したと言う。

 また創造した言っても、この星はシズクとレティ、彼ら2人がいた星をそっくりそのまま模倣したものだそうだ。


 ――当然、全てが全て同じと言う訳にはいかないさ。


 彼らの手が細細かに届くのも地球と言う枠の中だ。

 人類にとって最も関わりのある月は勿論こと、火星や水星、木星……それら有名どころの惑星はともかく、この星から遠く云万光年と離れた天体の位置まで再現することは不可能だという。

 人類の発展と天体は切っても切れない間柄である。


 ――でも、ボクらは当時の人類の行動と思想を操作した。あの地球と同じ歴史を辿るように、何万年の時間と共に1000億という人類にその道を歩くように仕向けた。


 こうして彼らは2人がいた地球をそのまま生み出した。

 この星の人類全ての歴史は彼らによって作られたと言っても過言ではないかもしれない。


 ――それもおおよそ100年前までさ。この100年の間に、ボクらはこの世界に1つの仕掛けをしたんだ。


 瓜二つのこの星と2人がいた地球の大きな差異。

 それが彼の言う100年前に施したと言う仕掛け……それがの存在だ。


 ――初期は錯覚程度の自覚症状の転生者を生み出したよ。そこから年々、転生者の数を増やしていった。


 転生者と彼は言うが記憶の保有率は人によって個人差がある。

 ぼくみたいに全てを覚えている転生者は極めて稀である。

 今ではおよそ1000人に1人くらいの割合で転生者が生まれていると彼から聞いている。


 ――これもキミが前回のゲームの勝利者であり、キミらが望んだご褒美を叶えた結果でもある。


(……そうだね)


 実は白い青年の駒に、そして王になる時、今回のゲームにぼくが勝利したら彼からひとつ願いを叶えてもらう約束を取り付けていた。

 けれどだからって今あるリコとの命とは天秤にはかけられず、最後の最後までぼくは決めかねていたんだけどね……。


 ――また3人で……皆と共にいられるように。


 けれど、こうしてリコを犠牲にしてまでぼくはその願いを叶えてもらった。


(……だからって全てがぼくの願い通りじゃない)


 彼らの話にはまだ裏がある。





 両親2人を見送った後、しっかりと着替えて散歩に出かけることにした。

 今ではすっかり慣れ親しんだ街並みをひとつひとつ噛みしめるように目に焼き付ける。

 空に上る太陽はまだ浅い。

 朝方の静かな賑わいはゆっくりと活気を見せ始めている。

 日本に向かったその先で、再びこの地に戻ってきた後では、今と同じ気持ちでこの街並みを見ることは無いだろう。


 ――ひゃはは、どう元気?


 突如声を掛けられ、思わずびくりと肩を震わせる。

 偶然すれ違った人に身震いを見られ怪訝そうな顔をされた。

 それを君が言うのか、と内心毒づきながら着信に驚いた風に装いながらぼくはポケットに入れていた携帯端末を取り出し、耳に当てた。


「……うん。まるで生まれ変わったみたいに快調だよ」


 と、ぼくは家の中で普段家族と使っている日本語で彼に話しかけた。

 そこには皮肉をふんだんにこめたつもりだが言った後に失敗したと思った。

 この反応では彼を楽しませるだけだ。

 一応、周囲を見回してみるが、往来する人の中に彼の姿は当然見えない。


「……ぼくが熱を出したのはキミたちのせいだろ?」

 ――え? それはキミがケーキを食べ過ぎたせいだろ? …………なんてね。概ねそうだと言っていい。

「まったく……そこまでしなくたっていいじゃないか。チケットは取ったけど、ぼくは行く気なんて全然――」

 ――無くはないだろ? キミは行ける可能性があるなら体調を崩していても空港へ向かったはずだ。違うかい?

「――……行かないったら」

 ――はは、そうだろそうだろ? まあ、もしも高熱でも構わず行こうとしたところで、今度は天候を操って全便欠航にしてでも邪魔したけどね。

「……くぅ、わかってるって!」


 ほんと、彼はいい性格をしている。

 

「ぼくは約束を守るよ。それが勝手に決められたものだとしても、またシズクのいるこの世界に生まれ――」

『……あ、ルイ? わたし――』

「――レティっ!?」


 着信を示すバイブを感じ取ったの同時に、今まで無音だったスピーカーから聞き慣れたような声で名前を呼ばれた。

 どうやら頬で着信ボタンを押してしまったらしい。


『ウリウリのところに……――へ? 何そんな慌てて、誰かそこにいるの――……え? ウリウリのところに到着したって連絡しただけだけど?』


 レティからそこに誰かいるのかと聞かれ、思わず誤魔化し話を逸らそうとしたが今度はくどくどとお説教をされてしまった……。

 もうまったく……。


「――レティ、愛してる」

『……んなっ!?』


 お説教の仕返しと、見えなくともレティが驚き戸惑う姿をありありと脳裏に浮かぶ。

 くすくすと笑ってぼくは「ばいばい」と通話を終えた。


 ――いいのかい?

「いいよ。また後で連絡するから」


 レティのことだからぼくが日本に着くまで毎日と連絡をしてくれるはずだ。

 もう周囲には誰もいない。

 今度は端末を仕舞って、ぼくは気兼ねすることなく独り言を呟ける。


「レティと同じく、シズクも記憶が無いんだよね?」

 ――そうだね。でも、こればかりは仕方ないじゃないか。

「うん……わかってはいるけど、やっぱり辛いね……」


 シズクとレティは元々転生者である。

 その2人が記憶を保持したまま新たに生まれ変わった時、記憶量が脳に負担をかけることで廃人……最悪、生まれる前から死んでいたかもしれない、という話は紆余曲折ありながらも彼から説明を受けたことがある。

 そのことも相まってか今の2人にあの世界での記憶はない。


「レティの記憶を持ち越しながら生まれ直したぼくはどうなんだって話だけどね」

 ――はは、そうだね。元々魔石として生まれたことが関係してるのかもしれないけど、ボクらにも不明だよ。こればかりは奇跡としか言いようがない。ま、キミはボクらだけじゃなく運命からも愛されているのかもね。

「奇跡ねぇ……」


 それなら魔石として生まれ直した2人の記憶だってその奇跡とやらでなんとかしてくれてもいいのね。

 ただ、シズクに記憶が無いことなんて今はこの際どうでもいい。

 今は何より、何よりだ!


「この16年、ぼくはシズクに会いたいと思わなかった日は無かったよ!」


 るいとして生まれ変わってこの16年、ぼくは一度だってシズクには会ってない。

 その理由は聞かされている為、今までずっと堪えてきたけどついついこの場で本音が漏れてしまう。


 ――そう言わないでよ。ボクらだってキミたちが生まれるまで46億年待ったよ。

「はっ……良い殺し文句だね。それ、シズクに告白する時にぼくも使っていい?」

 ――ああ、勿論さ。何言ってんだこいつって顔をされてもボクらは責任を取らないけどね。

「むぅぅ……もう、まったく……髪の色、青に染めたらシズクは思い出してくれないかな?」


 お父さん譲りの白色に近い金髪を触りながらぼそりと呟いたら、彼はまた気味の悪い笑い声を上げた。






 8月31日。


 仕方ないとはいえ飛行機の予約が取れたのは月末である今日の午後となった。

 世間的には夏休みと呼ばれる時期でもあることから日本からの旅行者の帰国ラッシュでどの便も満席……と理由が付く。

 しかし、ここまで満席である本当の理由は彼らが結果だろう。


「せっかく登校日の一週間前に合わせて予約をとったのに……到着は明日の朝方だって話よね」

「まあ仕方ないよ。ぼくが食べ過ぎたのが悪いんだから」


 見送りに来てくれた音無おとなしのおばさんが残念そうにぼやき、ぼくがそれに頷く。

 それからぼくは2人に顔を向けて言った。


「ねえ、おじさん、おばさん。今度こそ、ぼくはシズクと結婚するよ」


 おじさんとおばさんは「「え?」」と小さく驚きを見せた。

 けど、それ以上に驚きを見せたのはお父さんだった。


「……すまない。誰と誰が結婚だって? 一体何の話か詳しく……もしや、今回の留学の件に関係しているのか?」

「……お、おいおい。ロカ。僕だって初めて聞いて……いや、だから近っ、こわいって!」


 お父さんは鬼のような形相でおじさんに凄み、お母さんとおばさんは止めることなく笑って見届ける傍ら、お母さんが微笑みながらぼくに訊いてきた。


「ねえ、るいしずくくんと結婚ってどういうこと? いつの間に雫くんと知り合ったの?」

「それはね。前世で……って言ったら信じてくれる? ……なんてね!」


 と、ぼくは2人に笑って誤魔化した。

 でも。


「……信じるよ。私も同じみたいなものだから……だから、お母さんは泪の言うこと信じる」

「……おばさんも信じるわ。うちの息子で良かったら好きに持っていって、泪ちゃん」

「……っ……うん、ありがとう!」


 お母さんとおばさんは優しく微笑んでくれるから、ぼくは思わず目の奥が熱くなって思わず2人へと抱きついてしまった。


 お父さんとお母さん、音無のおじさんおばさんは勿論、そこにはぼくの見送りにネロネベラスくんとルースルフィスが同伴してくれた。

 2人はぼくと違って生前の記憶はない。

 けれどルースは5歳も離れているネロくんにべったりなほど熱を上げている。

 もしかしたら、彼らの言う通り何かしらの運命がぼくらに働いているのかもしれない。


「あーあ、残Ah, désialé念。これで泪もいなくなっちゃうMadessant Rui set pan'è audatoのねぇ。ウリアに続Selasuite Uria,いて、私のもとからde belle femme se綺麗どころが次々と旅立って allenano lea una l'apera le meしまう」


 寂しそうにルースはネロくんの頬を自分の頬で触れ合わせながら「ネロNeroはどこにも行かないtu non vai da nulle parteでねぇ」と訴えかけていた。

 それに対して、ネロくんは若干嫌そうな表情を浮かべたが、その顔を見えるのはぼくだけだった。


「……泪ちゃんRui次はいつ帰ってくるQuande reviend la prochene folta?」

「年末には戻ってくるかなToretour a fin l'annéeぁ? 留学先の予定ではどうなるかNon pos faire de promess perceわからないから約束はできないけどnon so j'e pas intezio studier al'etrangeね」

あぅAu……でも、その時は零ちMas aloi Reiゃ……ううんnon。気を付けS'er voreて、行ってらっしsrai adento et vartゃい」


 戻ってくる時は絶対にみんなで戻ってこようと思う。

 それはシズクだけじゃなく、1年半戻ってこなかったウリウリも含めてだ。


(おまけにとも戻ってきてもいいかもね)


 シズクを見たらきっとルースは驚くぞ。

 以前みたいにシズクの頭をがっしりとホールドして覗き込むような真似をするのかな。


「あっと……そろそろ時間だね」


 搭乗ゲート前で最後までお父さんに名残惜しそうに見送られた。

 荷造りに数日かけていたレティとは違い、ぼくの荷物なんて着替えや小物を除けばボールとグローブだけだ。

 機内持ち込みとしてそれらの入ったリュックを籠に入れ、荷物検査に出そうとして――。


「あ……これもね」


 お母さんのお腹から出た時、レティと共に握っていた大切な指輪――お財布と携帯端末と共に首から下げていた指輪を荷物検査に預け、受け取り次第直ぐにぎゅっと指輪を握り込む。

 これさえあればぼくはどこだって生きていける気がする。


「これから1年間、ぼくは今の記憶を失くしたシズクに振り向いてもらう……」


 その1年というもの、今回の願望についてきたなんだ。


 ――ルイ、ボクらと最後のゲームをしよう。


 そう言われて生まれて間もなく受けた説明と共に、ぼくは否応にもこのゲームに参加する羽目になった。

 ルールは簡単。

 決められた期間の間にぼくらとシズクが恋に落ちたらぼくの勝ち。

 もしも、駄目だったらぼくの負けだ。


 ――そのゲームが始まるまでキミとシズクは絶対に会わせない。ボクらはどんなことをしてでもキミらの再会を妨害する。


 こんな馬鹿げた話だけど彼らにしたら本気も本気。

 おかげでぼくの両親と音無家が知り合いだっていうのにぼくはこの16年、シズクの顔を写真ですら見ていないんだ。


「まったく……なんてことをしてくれたんだって毎回思うよ……」


 彼らにしてみたらこの最後のゲームとやらの延長線でぼくの願いを叶えただけなのかもしれない。


「この世界はぼくとレティとシズク、この3人が恋をするために作られた、かぁ……」


 作ったのは彼らだとしてもそれを願ったぼくも共犯者だ。

 ただ、世界中の人たちに迷惑をかけてもぼくはまたシズクと生きていきたかった。


「シズク。あの時3人で約束した通り、またぼくらを好きになってよ」


 そう呟きながらぼくは自分の左手の薬指に彼から渡された大切な指輪を通した。

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