第303話 母の故郷と、お揃いの指輪

 端末画面に表示されている時刻は8:41。

 日本ととの時差はおおよそで7時間である。

 到着してから時刻の変更を行っていなかったため、携帯端末は母国の時間のままだ。


「……この時間なら起きてるでしょ」


 端末を操作し最愛の妹の番号を表示させ、微笑を漏らしながら発信ボタンに触れた。


「……あ、ルイ? わたし。ウリウリのところに――へ? 何そんな慌てて? 誰かそこにいるの――……え? ウリウリのところに到着したって連絡しただけだけど?」


 発信途端に電話に出たと思えば、ルイは何やら慌てた様子をスピーカー越しで見せた。


「……う、うん。平気。思ったより快適だった……ちょっと暇すぎたくらい――うん。おじさんやおばさんに聞かされていたけど、予想以上に日本って暑くて最悪……って、そうじゃないでしょ!」


 続けて、まくし立てるように人生初の飛行機の乗り心地について聞き返され、その後もルイの調子に乗せられかけたが、わたしははっと気を取り戻して話を遮った。


「心配してるのはわたしの方なんだけど? ルイこそ体調はどうなの? 熱は下がった? ……なら良かったけど……まったくっ、ママが作ったケーキが美味しいのはわかるけど、わたしは何度も止めたよね?」


 ルイの言い分いいわけは理解できる。

 他の料理はめっきりなのに、何故かケーキ作りだけは上手なママのお手製の巨大ショートケーキはルイに漏れずわたしも大好物である。

 誕生日以外では作ってくれないあのタイヤみたいな大きなケーキを前にしたら、わたしだって食べ過ぎて次の日はグロッキーだ。


「……もうわかったってば。看病してくれたおばさんたちに後でちゃんと感謝言いなさいよね。それと、パパたちが仕事から帰ってきたら無事にウリウリのところに到着したって伝えてくれる? ――お願いね。じゃ、今は切るわ。まだ荷解きが終わってなくてね。また落ち着いたら連絡――ん? 何?」


 ウリウリを待たせている手前、長々と話をしているわけにもいかない。

 名残惜しいがここは心を鬼にして通話を終えようとしたが、そこを待ってとルイに引き留められた。


『――レティ、愛してる』

「……んなっ!?」


 つい変な声が出た。

 ルイはくすくすと笑い、そっちが引き留めた癖して『バイバイ』なんて先に通話を切ってしまう。


「まったく……最後にしてやられた気分だわ」

「……ふふっ、食べ過ぎでルイが熱を出したと聞いて心配していましたが、今の様子なら大丈夫そうですね」

「ま、そうね。無理にでも飛行機に乗せればよかったわ」


 そう今のやり取りを見届てくれていたウリウリへと冗談を口にした。 






 ことの発端は我が愛しの妹ルイのである。

 ルイは日本に留学をしたいと言い始めたのだ。


 わたしと違ってわたしのルイは

 この彼女の我儘ねがいに両親は寂しそうな顔をしながらも、快く彼女を送りだすことになった。

 もちろん、ルイが行くのであればわたしも行くのは必然である。

 母である藍子らんこ・リウリーの母国であることから、わたしも一度は訪れてみたいと思っていた。


 しかし、出発の前日に行ったお見送りパーティーに出されたママ特製ケーキの食べ過ぎによるものか、ルイは急な発熱を発症。わたしだけが一足お先に日本に来ることになった。

 飛行機の予約が取れ次第、ルイは日本に渡航する予定だ。


 当日ベッドに横たわるルイと長々と別れを忍んだあと、おおよそ半日ほどを飛行機内で過ごし羽田空港に到着。

 着いて一息入れる間もなく電車で2時間かけて母の故郷であり、わたしたちよりも先、1年半前に日本に留学していたウリウリが暮らしているマンションへと到着し今に至る。


 若干の小休憩をはさみつつ、わたしは事前に送っていた荷物の荷解きに勤しんでいた。

 荷解きを手伝ってもらいながら如何にあの日のルイが暴食していたかと愚痴っていると、ウリウリは微笑を漏らした。


「ランコお母様のケーキ、私も久しぶりに食べたくなりましたね」

「そう思うなら帰って来なさいよ。この1年、わたしもルイもずっとウリウリに会いたくて仕方なかったわ」

「……それは……申し訳ございません」


 謝るウリウリの声は歯切れの悪い……どうやら、地雷を踏んでしまったようだ。

 1年半前、ウリウリは家を飛び出るように日本へと留学を決めた。

 今回、ルイの我儘で決まったわたしたちの留学とは違い、ウリウリは突発的に留学を決めて旅立ってしまった。

 ママやパパからは詳しい経緯は聞かされなかったけど、ウリウリが日本に留学すると告げる2人は今まで見たことが無い悲しい顔をしていた。


「あ……あー、この辺で一度休憩しない? なんだか冷たいものが飲みたくなったわ」

「え、ええ……そうですね。では、今から買い物へ行きましょうか?」

「ありがとう、ウリウリ!」


 そう言って荷解きは一時中断。

 休憩と外出の準備を始め……ウリウリよりも先に部屋の外に出た。

 そんな時だ。


「――毎回思うけど、あのレジの人って雫のこと絶対女だって思ってるよね」

「あはは……ま、そう思われても仕方ないよ。自分の容姿のことは嫌ってこと理解してるから……あれ? 新しい人かな?」


 うーん、と部屋の外で蹴伸びをしていると、偶然2人の日本人と出会わせた。

 その2人は信じられないくらい綺麗な人だった。


 ひとりはわたしと同じかやや上くらいの背丈のだった。

 黒く艶やかな長髪を後ろで一纏めにし、思わず見蕩れてしまいそうなほど美しく整った顔立ちをしている。

 吊り目にも見える鋭くも大きな眼がなんともミスマッチに思えたが、それはそれで妙な色気を主張をしていた。

 多分、2つか3つ……わたしよりも年上。ウリウリと同年代だろう。


 もうひとりの子もそっくりな顔立ちをしているが、彼とは違い愛らしいという言葉が先に出てくるような女の子だ。

 それも彼の涼し気なそれと違い、イタズラ好きっぽいが優しそうな目元をしているからだろう。

 束ねた彼人とは違い、黒く艶やかな髪を肩下まで垂らしている。

 背は頭1つ分ほど低くわたしよりも1つ2つ年下と言うところだろうか。


 見た目からして兄妹だろうか?

 この際自分のことを棚に上げるが、思わず2度見してしまうほどの美人さんだ(あの父と母から生まれたわたしたちが美人ではないという自負からだ)。


 彼はわたしに顔を向けてきた後、視線をちらっとに向けてから、再度わたしの顔を見つめて――いや、わたしの背後にいるウリウリへと向けた。

 反射的なことだろうし、を見ていたのかは指摘しなかった。


「……あ、ウリアさん。こんにちは」

「ウリウリ、こんにちは」

「し、しずくっ! と、莉子りこさん……あ、ああ、こんにちはです」


 遅れて部屋の外に出たウリウリも彼らに気が付き、びくりと肩を震わせるように驚いた。ぽっと耳を真っ赤にし顔面を硬直させる。

 とても綺麗な2人を前にどうしてかウリウリは緊張を見せていた。

 ……今まで見たことのない姉の反応だった。


(ウリウリ何その顔? まるで鉄仮面じゃない)


 我が姉の機微に気に掛けることなく、男の方がウリウリへと話しかけた。


「あ、もしかして、以前話していたご家族の方が越してくるのって今日でしたっけ?」

「は、はい。そうです。今日から私の妹たちも日本で生活をするようになりまして……あ、ああっ、すみません。雫。こちらが私の――……」


 と、ウリウリは雫と呼んだ彼からわたしへと視線を向けて、言葉を詰まらせた。

 どうして言葉を詰まらせたのか。それはウリウリが家を出る原因から来るものであったが、何も知らないその時のわたしにはわかり様は無い。

 ただ、間を開けたがウリウリは優しく笑って続けてくれた。


「……彼女は私の妹のレイです。……こちら、隣に住んでいる音無おとなし雫くんと妹の莉子さんです」

「あ、うん。よろしくね。音無しず……あれ?」


 音無という名前にわたしは聞き覚えがあった。

 普段はおじさんとおばさんと、それが名前とばかりに2人のことを呼んでいたが、確か彼ら夫婦の苗字が音無だったことを思い出した。


(そっか……おじさんとおばさん、日本に2人の子供がいるって言ってたっけ……)


 ただ、見知った2人と目の前にいる兄妹はあまりにも

 アジア人の顔の見分けが付かないだけかもしれない。が、わたしはその場で聞くことはやめた。

 何か深い事情があるのだろうか。

 訝しがる2人へと誤魔化すように笑ってわたしは再度挨拶を返した。


「はじめまして。零・リウリーです。よろしくね。シズクくん。リコちゃん」

「……あ、うん。よろしくお願いします」

「よ、よろしく……ね?」


 人見知りなのか莉子ちゃんは兄である雫の背にそっと隠れて身震いの様な会釈を返してくれた。

 そんな可愛らしい反応を見せる莉子ちゃんの肩を抱きながら、シズクは……わたしのことをまじまじと見つめてきた。

 注目されることは慣れている。良い意味でも悪い意味でも。

 それに見ているのはわたしの顔だけだった。先ほどと違って視線は一度も下には向かない。

 ただ、彼から受ける視線は嫌ではなかった為、咎めることなく何か? と言う意味合いを持って首を傾げて見せた。


「耳……」

「耳? 何かついてる?」


 わたしの耳がどうかしたのだろうか。

 パパよりのハーフだとは言えだ。


「……いえ、ごめんなさい。なんでもありません。それよりも日本語上手ですねって……あ、そういえば、ウリアさんのお母さんは日本人でしたっけ」

「ええ。実家にいた時、家の中ではこちらの言葉を交わしていました。日常的な会話であれば、妹たちも現地の方と同じくらい話せると思いますよ」


 そう言ってウリウリは先ほど見せた鉄仮面にヒビを入れて、ぎこちなく笑いかける。

 先ほどから何なのだろう。

 あのウリウリが雫という青年を前に、たじろってばかり……いや、この反応にピンと来るものはわたしの中で生まれる。


(あ、もしかして……ウリウリったら! へえへえ!)


 思わぬ発見だ。

 昔からわたしやルイ以上に異性から言い寄られ、その全てを断ってきた堅物な姉の新たな一面にわたしは出くわしてしまったようだ。


(ふふっ……そうとわかれば、ウリウリの妹であるわたしが何もしないでいられるかってね!)


 失礼な振る舞いだと思いながらも、わたしは心から敬愛する姉の恋人に相応しい相手かどうか、にんまりと頬を緩めながら長髪の彼を値踏みをするように眺める。

 ウリウリと同年代くらいだとしたら、身長はもう少し欲しいところである……ん?


「……え?」


 ふと、わたしは彼の首から下げられたペンダントに目を向けた。

 ペンダント……いや、指輪だ。

 造りはとてもシンプルで、手入れなんてものはしていないのか白くくすんでいる。

 

「……その、指輪」

「あ、これ?」


 無意識に口した言葉に反応してか、雫はおもむろに胸の指輪ペンダントを大事そうに握った。

 今一度思う……その指輪はシンプルな造りだった。

 凝った飾りも無く、幅の違う線を二重に重ねただけの素朴な指輪だ。

 だからこそそんなデザインの指輪なんてこの世界には数多く存在して当然だ。

 でも、わたしは「その指輪。どこで手に入れたの?」と聞かずにはいられなかった。


「えっと……。その、両親からは僕が出産した時に握っていたものだって……言っても、信じられない話でしょ?」

「生まれた時に!?」


 またもわたしは驚愕して声を荒げた。

 聞けば彼の妹である莉子ちゃんも同じく生まれた時にペンダントを握って生まれてきたらしい。

 らしいと言うのも背に隠れたまま莉子ちゃんも同じ様に「……これは、リコとシズクが特別な兄弟の証なの!」とそのペンダントをわたしへと見せてくれたこともある。


「嘘みたい話だよね。僕だって両親に担がれているんじゃないかって――」

「……いいえ、信じるわ。だって、わたしも同じだから」

「え? ……それは!」


 そう言ってわたしも同じく、自分のにはめていた同じデザインの指輪を彼へと見せたところ、反射的に雫はわたしの右手を掴んだ。


 ――その時だ。


「あ、あれ?」

「な、なんで……」


 何故かわたしの目から涙が流れた。

 どうしてか雫の目から涙をこぼした。


「れ、レティ!?」

「雫どこか痛いのか!?」


 胸が締め付けられるみたいに痛い。

 わたしも雫も、隣にいたウリウリ、莉子ちゃんに心配される中、どうしてもお互いに視線を重ね続けるしかなかった。


(どうして、何で涙が……訳わかんない……)


 意味不明な感傷はそれ限りだった。

 今ではどうして涙を流したのかも定かではない……わたしたち2人の様子に、莉子ちゃんもウリウリもたじろぐばかりだ。





「……そ、そうだ。ママから聞いたんだけど、引っ越したら近所の人にお蕎麦を振る舞うのが日本の習慣なんでしょう?」

「……え、えっと?」


 涙が止まるのは直ぐだった。

 けれどそこから先、わたしの身を案じてウリウリが執拗に気に掛けてきたので、誤魔化すために提案したのがそれだった。

 ……何か間違ったことを言っただろうか。


「振る舞う? しずくそうなのか?」

「……ええっと、引っ越しの挨拶としてお蕎麦を配るって風習はあったけど、今では廃れたらしいです」

「そうなの? でも、この際どうだっていいわ。ねえ、今夜は一緒に夕食なんてどうかしら? 日本の蕎麦って食べてみたかったの。あ、ウリウリが良かったらだけど」

「わ、私ですか? も、もちろん、構いませんが……」

「なら決まり! 引っ越し祝いを兼ねて、一緒にお蕎麦を食べましょうよ!」


 ということで、自分でも原因不明な感涙を蹴り上げ、わたしは颯爽とこの場を切り上げることにした。

 生憎、両家とも蕎麦を切らしているらしく、わたしたちが買い出しに行くこともその場で決めた。

 雫には工場で大量生産された蕎麦しかお店にはないって言われたけど、それだっていいわ。

 元々買い物に行く予定だったし丁度いい。


「じゃ、じゃあ……またね、レティ」

「……ええ、またね。シズク」


 先ほどまでの醜態を無かったことにして、わたしたちは自然に挨拶をして別れた。

 人前で泣き出すなんて……今思い出すだけでも顔が真っ赤になる。

 頬を擦りながら身悶えていると、そこに「本当に大丈夫ですか?」とまたもウリウリが案じてきた。


「平気ならいいんですけど……ただ、それとは別に気になる点がひとつ」

「気になる? 何?」

「あなたが家族以外の方にレティと呼ばれたら間髪入れずに訂正させるのに、先ほど雫に言われた時はまったくと自然な感じで受け流していましたよ?」

「あ、そういえば……後でレティって呼ばないでって言っておこうかしら?」


 なんて軽口を叩く。

 確かにウリウリの言う通りだ。いつも家族以外にレティと呼ばれたら脊髄反射みたいに呼ぶなって言っていたのに、ウリウリに指摘されるまで彼に呼ばれたことすら気が付かなかった。


「本当に不思議なひと。……でも」


 ……雫にならレティと呼ばれてもいい。

 今はまだ自分でも気が付かなかったけど、わたしにとって雫は気になる男の子になっていた。

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