第302話 いまやそれから人に
昔から異常なほどに既視感を感じることがあった。
物心つく頃にはその感覚が傍らにいて、初めて行うことであっても「あ、これ以前やったことある」と脳裏にぴりっとした刺激を受ける。
当時は幼かったこともあり(――今の私だって12歳の子供だけど)、この異変をうまく言語に変換することが出来ず、とてももどかしい思いをした。
両親に連れられ病院にもかけつけてみたのだが、診断の結果は特に異常は無し。
医師からは年々発症者が増加している解離性なんたら症候群……“前世の記憶を持っているのでは?”との疑いもかけられたが、未だ理由は不明のままだ。
……幼い私が駄々をこね、通院を打ち切ったことも未だ不明である理由でもある。
ひとつ、ふたつ……歳を重ねることで既視感が発生する頻度は減り、そもそも生活を送る上で支障をきたすことは無かった。
ただ医師の言う通り、やはり私には前世の記憶というものがあるのだろう。
心身が成長していくにつれ、既視感の原因が生前の記憶から来るものだと私は無意識のうちに理解していった。
まあ、前世の記憶があると自覚したからと言って、以前の自分がどんな人物で、どんな生活を送っていったかまでは覚えていない。
けれど、これだけは確実に言えることがある。
父も母も、そして世界で一番に大好きな兄――大切な3人と、私は前世でも同じ家族であった。
◎
『ぬわーーっっ!!』
「ぬわー」
携帯ゲーム機の画面の中で主人公の父親が悲痛な断末魔を上げた。
ソファーの上に寝っ転がる私も気の抜けた炭酸みたいな声を上げる。
凄惨な父親の死亡シーンを見届けた後、操作ボタンを連打。
淡々とイベントが進んでいく間につけっぱなしにしていたテレビへと視線を移した。
テレビは夏の高校野球を中継していた。
「はぁ、涼しぃ……どっち勝ってる?」
「ん……大阪の方」
ぼーっとゲーム画面とテレビを交互に見ているところに、バスタオルを頭に被って風呂上がりの
一応大阪と答えたが、それは学校名に大阪と付いているからというだけだ。
もう試合も終盤。
このまま何事も無ければその高校が勝ちあがることだろう。
「そっかー……あれ、アイスがない!? おっかしいなあ。あと1個残しておいたと思ったのに?」
長い黒髪をタオルで拭きながら、雫は冷凍庫の扉を閉めながらがっくしと肩を落とす。
そういえば、と私は思い出す。
「あ……昨日の夜、雫が寝た後にアニスが食べてた」
「えー! 何してるのあの人!? 人の家もの勝手に食べるとか信じられない!」
「リコも駄目って言ったんだけどねぇ……『お前のものは俺のもの――この国にはそんな素晴らしい親友同士の気配りがあるから平気さぁ』って言ってたよ」
「そんなガキ大将の一方的な気配りがこの国にあってたまるか! まったく……」
ため息と共に雫が
私が開けたスペースへ沈んだ気持ちを表すように彼は深々と腰を下ろす。それから私はまた横になる。今度は雫の膝を枕にした。
チラリ――膝枕越しに雫を見上げる。
風呂上がりの紅潮した頬を見ていると、実の妹であり、毎日と顔を合わせている私でもドキっとする。
テレビに顔を向ける彼の呼吸に合わせ、胸元に鎖でぶら下がったペンダント代わりの指輪が揺れる。
それを見て私も革紐で首に吊るした楕円形のペンダントに触れた。
これは私たち兄妹が世界でも稀有で、特別であることの証だった。
ピン、とペンダントを指ではじいた後、私はまたゲーム画面へと視線を戻した。
「
「……うん。昨日の夜から。たびたびしたくなる」
「もう何回目? 好きだねぇ……」
今度はゲーム画面に顔を向けたまま頷く。
私が遊んでいるのは国民的有名なRPGゲームの5作目だ。
今は携帯ゲームとしてリメイクされたものだが、初期や別ハードを含め私がこの作品をクリア回数は10回を越える。
このゲームを知ったのが7歳ごろなので、年に2回はクリアしているだろうか。
「……」
「……」
ぶつくさ言っていた雫であったが、その後は私のゲーム画面を横から眺めていた。私も無言でゲームを進めていく。
――大樽に入って敵地から海へと逃げ出した主人公たちが教会へと流れついたところで、テレビは試合終了を迎えた。
「やっぱり大阪の高校が勝ったね。雫」
「だね。莉子」
その後、テレビは試合後の選手たちの様子を映していた。
身内でやる以外あまり野球に興味ない癖に、その場面だけ雫は寂しそうな顔をして眺め……こくんと首を倒した。
「――うん。ねえ、莉子。今からコンビニにアイス買いに行かない?」
多少日は傾いてきたとは言え、外は冷房の利いた室内とは違って熱気に溢れている。
暑いのは苦手ではない。が、好き好んで外に行く気力は中学生になった私にはない。
小学生だった去年までだったら出ていたかもしれない。
「……アイスっ! 行く!」
ま、あれこれ思ったがその提案は実に魅力的だ。
私はすぐさまゲーム機をスリープ状態へ落とした。
◎
「
「はいはい」
家を出て直ぐ私は雫にせがむように手を伸ばして繋ぐ。
頭ひとつ分背の高い彼とこうして手を繋いで出かけるのが私は昔から好きだった。
いつだって彼とは隣同士で並んで毎回手を握ってもらう。
それは今年の4月から中学生になった今だって変わらない。
年頃の男子というものは女子との触れ合いを嫌がる。
それは小学校から親しくしている男友達のキョウちゃんの反応から学んでいるが、我が兄である雫は昔から変わらずの態度で女子である私に接してくれた。
「夏休みもあと1週間で終わりだねぇ。
「……っ! ま、まあね! あと1週間もあればらくしょーだよ!」
「……へえ。それはよかった。なら、今年は手伝わなくても良さそうだね?」
「う、うん!」
雫が意地悪そうに笑いかけてきたので、私はさっと視線を逸らした。
実のところ、まだ半分も終わっていない。
昨晩だっていざやろうと思ってゲーム機に手を伸ばしてしまったわけだ。
恐る恐ると私は逸らした視線を雫へと向けた。
「……帰ったら手伝ってくれる?」
「ふふっ、いいよ。手伝ってあげる」
「ありがとっ、雫大好き!」
そう言って私は雫の腕へと強く抱き付いた。
キョウちゃんと同じく小学校からの親友であるカナちゃん曰く、私は極度のブラコンらしい。
侮蔑で言っているわけではないので(かと言って『そろそろ兄離れしたら?』と呆れられているが)、自分でもそうだと思うだけで留まっている――。
「……」
「……?」
ふと、友人からの忠告を頭の中で反芻しつつも雫の腕に抱き付いて歩いていると、小学校低学年の男の子がぼーっと私たちを見上げていることに気が付いた。
深々と帽子を被って影を落としているが、その少年の顔立ちはとても綺麗で――気のせいだろうか。
まるで、数年前の雫がそこにいるみたいにそっくりに見える。
「ちょっと、しずく! 何立ち止ってるのよ! ワタシはさっさと帰りたいって言ってるでしょ!?」
「あ、ごめん。今行くよ、ちやちゃん」
その子はやや離れたところにいた少女にしずくと呼ばれ、返事をした。
少年は兄と同じしずくと言うようだ。それを聞いた私も当人である雫も思わず2人へと顔を向けた。
私たちの視線に気が付いたのか、少年を呼びつけた少女はまず私を見て、雫を見る。一瞬むっと眉を吊り上げ、すぐさまにやぁと嫌な笑みを見せてきた。
……低学年の、可愛らしい女の子だと言うのに、その意地悪そうな顔に私はどうしてか無性に腹を立てた。
「何ひとのことじろじろ見てるの? 世界で一番かわいいちやちゃんに見蕩れちゃった? ふんっ!」
そう不機嫌そうに言うと、その子は鼻を鳴らしてそそくさと先に行ってしまった。
その態度にも私は憤慨しそうになった。
「あはは、すみません……道を尋ねたいんですが、近くの駅はどっちでしょうか?」
「え、うん。……あっち。今の子が向かった先で大丈夫」
「そうですか。ありがとうございます。お兄さん」
「え……今、お兄さんって……!?」
そう言って、少年はぺこりと頭を下げて雫へと手を出してきた。
差し出された手に最初は戸惑いを見せたが、雫は少年の背に合わせるように中腰になって掴――んだところで、少年はぎゅっと雫に抱き付いてきたのだ。
「あ!」と私は思わず声を上げてしまった。
「今度は、譲らないよ……シズク。今度こそ、あの子はボクのものだ」
「……え? は、どういう……ちょっと!?」
私には何を言ったか聞こえなかったが、その子は雫へと何か耳打ちをしていた。
少年は再度お辞儀をすると、先に行った女の子を追いかけていった。
「迷子、なのかな? 夏休みだから2人で電車にでも乗ってきたのかもね」
「……リコ、今の女の子なんか気に入らない!」
「まあまあ。莉子はもうお姉さんなんだからさ」
「でもでも、それ以上に……なんか嫌い!」
雫の言う通り、私はもう中学生のお姉さんである。
3つ4つ年下の子の言うことに腹を立てる年頃ではないが、何故か私は心の底から無性に腹が立って仕方なかった。
もしかしたら彼女は私たちの前世と何か関わりがあるのかもしれない――なんて思い立ったが、その後も雫とふたり手を繋いでいたら綺麗さっぱり消えていった。
もう、その2人と会うことはなかった。
◎
兄は絶世の美女である。
15歳と言うには整い過ぎた顔立ちは、良くも悪くも人の目を惹き付けた。
涼しげな切れ長の目元は一見して不機嫌そうに見えるが、その冷やかな眼差しがとても魅力的に思えてしまう……とどこの誰だったかそんな風に雫を褒め称えてた覚えがある。
同性と比べて華奢な身体つきに、肩下まで伸ばした長い髪も相まって、初めて
この反転した容姿のおかげで、雫は今まで数えきれないほど同性から告白を受けてきたそうだ。
逆に異性からの告白はまるっきし無いと本人から聞いている。
こちらは本人が恥ずかしがって隠しているだけかもしれない(どこの馬の骨ともわからない女との交際なんて私は許さないけど)。
ただ、四六時中一緒に居た私ですら知らない苦労を、その目立つ容姿のせいで受けてきたそうだ。
ひとりで道を歩けば必ずと声を掛けられ、男だと言っても中々信じてもらえず、執拗に迫られたことも度々あったらしい。
中には異性であるはずの女から僻まれ、集団で陰険なイジメを受けそうになったと聞く(これは私もよく知る雫の幼馴染のひとりから教えてもらった)。
そんな美しい兄と私は瓜二つだと評される。近所でも評判の美人姉妹だと噂されている。
一度、私たちのことをテレビで取り上げられそうになって、全力で取材を拒否したこともあったくらいだ。
本人はとても嫌がっていたが、私は自分のことの様に雫が褒め称えられてることが嬉しかった――。
「……リコも雫みたいになれるかなぁ?」
「なってもいいことないけど、
思わず口にしてしまったらしい。
雫は前を向いたまま、淡々とした口調で言ってきた。
独り言を拾われたことからか、かっと頬が熱くなった。
「あ……だよね! ぐふふ! そうなったら雫以上にリコ、男の人から付き合ってーって言われちゃうなぁ! 大変そうだなー!」
「そうなったら、今度は僕が追い払ってあげる……莉子を守ってあげるよ。変な男に莉子を任せるなんてことはできないからね」
照れ隠しのつもりでおどけて見せたのだが、これまた雫の返しにどぎまぎする。
夏のせいか、ぎゅっと雫と握っている手の平が気になった。
私の体温は他の人より高い。
暑いのは苦手じゃないのにこればかりは好ましくない。
私だって年頃の女の子である。
そう言って、雫の手を離し手の汗を服で拭っていると、
「年頃の女の子だって言うなら、莉子もそろそろ自分のことは私って言った方が良いんじゃない?」
「えー? リコはそのままで別にいいよ」
実際のところ、外では「私」と言っている。
自分を名前で呼ぶのはもっぱら家族の中だけだ。それくらいの使い分けくらいわかっているつもりだ。
別に自分を偽っているわけではないが、雫の前では私はありのままの自分でいたい。
確かに、まだ3か月程度ではあるが、自分が中学生になったことの自覚もある。
彼の前に出す今の自分の姿は中学生と言うには幼いものであることも自覚している。
……彼の言うことももっともかもしれない。
「雫、あのさ……」
「何、莉子?」
「……あ、ううん。なんでもない」
私は雫が大好きだった。
それこそ、カナちゃんから今後もブラコンだって言われて続けてもいいくらい、私は雫が大好きだ。
彼が大好きだからこそ、1年前に両親が今の仕事を辞めて、昔の友人の仕事を手伝うために海外へと赴任する時も、兄と共に日本に残ることに決めた(実際は私たちを置いて2人で行く気満々だったようだ)。
ただ、こうして中学生になったこともあるが、そろそろ親離れ、もとい兄離れの時を迎えるべきなのだろう。
(大切な雫のことを思えば、私も雫から距離を……)
いつだって雫は私を一番に見てくれた。
けれど、いつか雫にも私以外に、私以上に目を向ける人が現れるだろう。
その時が来たら私は潔く今いる場所を譲れるよう、中学生になったことを転機に今のうちから心構えをしておかなければならない……。
「……でも、それは今じゃない。だから、もう少しだけ私が雫の隣にいてもいいよね」
「え、莉子何言って? ……あれ!? 今、私って言った!?」
「……んーん。リコそんなこと言ってないよ!」
ただ、我が愛する兄にそんな想い人が現れるのもまだまだ先であろう。
――そんな風に私は楽観視していた。
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