第297話 本当は、夫婦喧嘩でないことをわかってた
「ルイ」
ぼくの名を呼んだその声に後ろ髪をひかれながら、墜落するように泉の中へと入水した。
溶けた右腕による激痛と、高速で水面にぶつかった衝撃にぼくの意識を思わず手放しそうになる。
おまけに多量の水を飲んでしまったことで瞬間的に動転してしまう。頭の中が真っ白だ。
呼吸が出来ず藻掻きかけるぼくに代わって、中にいるレティがこの緊急事態に対処してくれた。
ぼくらが人ならざる存在だからこそ可能とする、水中呼吸へと身体の感覚をレティは切り替えてくれる。
直ぐにぼくは落ち着きを取り戻し、胸の中に残っていた空気を最後まで吐き出す。
腕の痛みに水面衝突の痛みが合わさって、身体がバラバラになったみたいだ。
「まあ、あんな場面で名前を呼ばれたらわたしだって硬直してたと思う。失敗しても仕方ないわ。けれど、だからってこのわたしはまだ全然負けたなんて思ってない……もう1人のわたしも当然同じよね? まだまだ行けるわよね?」
ぼくの口を使い、直接言葉にしてもう1人のぼくが宥めてくれる。
水中であろうと今のぼくらであれば地上にいるように音にして発声することが出来る。
その為、空気を伝う振動ではなく、水中に存在する魔力を通してぼくもまたレティへと声を上げた。
「当然! 腕の一本、どうってことは、ないっ!」
ただの強がりでしかない。
今も涙をこぼしそうになるほど、身体中が、特に無くなった右腕の先が痛くて仕方ない。
今のぼくらは言葉にしなくなって感情も思考も共有している。
ぼくが撃ち落された時、反射的に敗北感を覚えたことがレティに伝わったのだろう。
流石に痛みだけは振り払うことはできないが、音となって送られたレティの思いやりによって、その気持ちだけでも綺麗に払拭してもらえた。
「行ける。まだ当然、ぼくらは行ける!」
再度、自身の気持ちを口にしてぼくは次へと切り替える。そして、次へと向かうためにも今の状況を確認する。
現在、ぼくらは先ほどまでシズクが浮かんでいた泉の中にいる……右腕を失った中での不幸中の幸いだ。
これで地表のどこかに墜落していたら黒い閃光により追撃を受けて終わっていただろう。激痛により愚鈍と化したこの身体であの攻撃を避けることは無理だった。
泉の底は浅い。大人であれば胸程の深度しかない。
水底で仰向けに寝転び、失った右腕を庇うように左手を重ね、ぼくらは次の行動の準備を始める――その時、白い青年が語り掛けてきた。
――奏と呼ばれる少女だけが今の攻撃を防げると聞いている。そして、シズクの遠距離攻撃を無効化したところで、京助と呼ばれる少年によってとどめを刺す。確かキミたちの作戦ではこんな感じだったよね?
「……ええ、そうよ」
黒い少女から与えられた奏の光魔法でシズクの発する魔法全般を無効化し、京助が黒い少女から与えられたノイターンの魔力で、同種であるシズクの力を対消滅させる。
これが、元々わたしたち7人が立てていた筋書きだった。
そのため、第一段階である【影】の状態に変貌したシズクは黒段位であるわたしたちを含めた冒険者5人が相手取り、その後はもうお払い箱みたいなものだった。
――それをキミたちは拒み、予定通り単独でのシズク撃破を決行。確実性の高い勝利を捨てたキミたちが立てた対抗策は安易に1つだった。けれど、それも先ほどの攻防を見る限り、失敗に終わった訳だ。
「……それも、そうね。わたしの作った剣はあの黒い閃光だけは消すことはできなかった……」
白い青年の言う通りこの2年でわたしたちが用意できた今のシズク対策の主は、わたしの魔道器である鉄扇で生み出した剣だ。
わたしの鉄扇で生み出した武器はあらゆる魔法を吸収する力が備わる。
このため、わたしが作り上げた剣へと放たれた魔法はまるで切ったかのようにその身を消す。それはノイターンの魔力で生み出した腕ですら同様に消すことだってできた。
けれど、先ほどの黒い閃光を受けた時、わたしの剣はあっさりとその身を崩した。
掻き消した感触はルイの中にいた生成者であるわたしには感じ取れていた。けれど、吸収する以上に、押し寄せる力の前には許容限界をあっさりと突破した。
あの黒い閃光だけはわたしの剣でも消すことはできない。
――やっぱり黒い少女の駒たちの力を借りて、最後の最後にシズクの命を掠め取る方法が良かったんじゃない?
「そんなやり方、ぼくたちが許せるわけがない!」
確かにここまで彼らの力を借りてきた。
教団の独断行動を各国との連携で政治的に抑え、所在のわからなかった彷徨うオアシスを見つけ出してもらい、万全の構えでシズクと対峙で来たのも全ては皆のおかげだ。
だからって、
「……ぼくらはリコを犠牲にして君の“王”様となった。それもリコじゃシズクに勝てないからだ」
――そうだね。例え魔力の身体を受肉し、他の亜人族よりも強靭で長寿になったからと言っても、魔法を扱えることで優越が決まるこの世界では、リコでは他の魔族には及ばない。
最初のうちはこの“王”になる提案をぼくらは拒み続けていた。
プレイヤーが自分の“お気に入り”を変更するってことは、その前任である駒の命を終わらせなければならない。
ここまでぼくらに付き合ってくれたリコを、ぼくらの大事な妹を殺すなんて、ぼくらが選べるはずもなかった。
「仲間たちとの共闘を選ぶのであれば、ぼくらはリコを……死なせなかった! 最後の最後まで、ぼくらはリコを犠牲にすることなく、シズクを殺す道を選んでいた!」
他にも黒い少女との決め事として、シズクを殺した駒を所持しているプレイヤーが勝利となるというものがある。
その為、白い青年の“王”にならなくても、天人族であるぼくらがシズクを殺すことで、自動的に天人族を駒として扱う白い少女が今回のゲームを勝利することになる。
そうなれば、白い青年の願いも叶うことには叶う。
尚更、リコを犠牲にしてぼくらが“王”になる必要はなかった。
「でも……でも……ぼくら、キミの“お気に入り”になることを選んだからこそ! 今、ぼくらはここに
何か手があるはず。
ぼくらが見落としているだけで、ぼくらだけでもシズクを殺す術はどこかにある。
そう信じてこの100年近い時間を生きてきた。
そして、ぼくらがようやくその術を見つけ、万全の準備の下、実行とした……けれど、それも2年前の、月が落とされると言われたあの日にすべてが終わった。
シズクを追い詰め、里の人たちで彷徨うオアシスを囲ったと言うのに、黒い少女の持ち駒たちの無用な横やりで全てが失敗したあの日に……。
『もう時間が無い。シグレ、私の代わりに王様になりなさい。そして……ううん、リコの分も、2人でシズクを止めて――』
残り2年と期限が設けられたあの日、リコの後押しにより、ぼくらは……。
ただ、今この場に限りそんな弱音みたいなことまで白い青年に伝える必要はない。
「前にも言ったけど……何よりぼくらが、君の“お気に入り”になることを選んだ理由は、ぼくらがシズクとはいつだって対等でなきゃいけないからだ!」
全ては自分たちの意地と我儘を通すため――なんてことは言わない。
シズクと対等であるためにも、ぼくらはシズクと同じ土俵に上がらなきゃいけなかった。
ぼくらは本音を胸の奥へと追いやって、そういう風に白い青年に駒になった理由を告げた。
「……今は君に言われた“あの話”は忘れることにする。君は、君が選んだぼくらをただ黙って見てろ」
――ああ、そうするよ。ご武運を。
白い青年との会話を終わらせ、ぼくらは泉の中で待ちを再開した。
待ちと言っても息を潜めているわけじゃない。
先ほどはシズクが目を覚ましたことで出来なかった準備の続きをこの場で行うためだった。
ぼくらが白い青年の“王”となったことで、このオアシス内に限ってだが、ぼくらはある特典を行使する権利を得ている。
今も泉の中で特典を使い、消失した腕の痛みを消す。
痛みを消している間に、周囲に放った魔力を使って、今のシズクの状況を逐一見張り続ける。
シズクは周囲をきょろきょろと見渡して、ぼくを探し続けていた。
周囲に漂う黒い球体もシズクの顔の動きに合わせて俊敏に動き回り、いつだって姿を見せれば魔法を発動させる準備が出来ているらしい。
今のシズクが使える魔法はノイターンの魔力だけである。
もしも、シズクにはっきりとした自我が備わっていて、侵入者を殺すためにあれやこれやと他の魔法を使うようであったら、今以上に厄介極まりない状況に陥っていただろう。
その対抗策としてこの周辺一帯の魔力をぼくが支配し続けていた。
また、魔力の支配はシズクの行動の制限を狙ったものだが、何もシズクに魔力を使わせないためだけじゃない。
今みたいにシズクを目視で対象を探している状態に持ち込むためだ。
眼の悪いシズクに周囲の魔力を通してこちらの居場所を感知させないために、ぼくらは周囲の魔力を支配した。
そして、その作戦は現に成功している――!
◎
大分時間は稼げた。
まだ十分とは言わないけど、シズクの索敵が泉の中へと向いたと察した時にはある程度の準備は整った。
決行開始!
「レティ! ――わかってる!」
シズクの注意がこちらに向いた瞬間、ばばばばっ! と、泉の中から自分の姿を模した水人形を5体、先行させる。
そこに反応してシズクが黒い殺意を躊躇もなく放ってきた。
あっさりと貫き蒸発する5体の水人形――を感じ取る間もなく、
「ふぬぎゃあああああああ!」
声を荒げてぼくも勢いよく泉から飛びだした。
失った腕は白い青年の特典によって、簡易的な腕を作り上げている。
痛みはすっかり消えたけど、流石に元の状態に戻すほどの時間はなかった。
この右腕はもうただただ形を成しているだけみたいなもので、以前とは同じようにな繊細な動きは出来ない。
それでも泉から抜け出して直ぐに出現させた氷絶のつるぎの柄を握り、支えくらいなら十分に効果的だ!
「こっち、こっちだ! シズク!」
呼びかけたことでシズクは泉から空を飛ぶぼくへと顔を向け、黒い閃光を何度と吐き続ける。
ぼくもがむしゃらに空を飛び回り、反射的に放たれた黒線をなんとか避け続けた。
今のシズクは目の前にいる対象を考え無しに攻撃するだけだ。
その為、シズクの攻撃が向かう先は現行ではなく過去。全ての攻撃はぼくの背後を通過していく。
シズクのその攻撃をぼくは何度も見た。
どのタイミングで攻撃が来るか、どの範囲で攻撃が及ぶか、全ては先ほど腕を失う間の攻防の間に覚えた。
もうこの近距離であっても逃げに徹するぼくに当たることは無い!
シズクの周囲をぐるぐると跳び回り、ぼくという存在にシズクの注意をただひたすら集め、シズクが泉に背を向けた――この時を待っていた!
「レティ、今だ!」
「行くわよっ、ルイ!」
黒い閃光が放たれた後のコンマ数秒の隙を縫って、ぼくら2人はシズクを挟んで声を上げた!
……このオアシスであれば、“王”であるぼくらはオアシス内の魔力を使用して、器となる肉体を生成することが出来る。
これが白い青年の“王”になったことで行使できる特典だ。
一度、クレストライオンであった頃の身体を失ったリコが新たに受肉したように――これによりこの世界で再び身体を得たレティが、今まで泉の中に待機していたレティが、今までぼくが左手で握っていた剣でシズクの背中を串刺しにする。
「……っ……シズクぅっ! 目を、覚ましなさいよぉ!」
魔力を吸収する剣であってもやはり今のシズクには逐一効果は無い。
シズクを自らの手で突き刺したことによる嫌悪感に顔を引きつらせてしまう。
が、わたしは背後からシズクを羽交い絞めにしながらその両目を片手で覆った。
シズクの視界を塞いだことで彼は暴れるように周囲の球体に攻撃を命令する。
「ルイっ! このまま、わたしごと貫け!」
「うん!」
分離したところでわたしたちは以前の、出会う前以上に繋がっている。
わたしの魔道器による羽による推力を最大限に得て、ルイのその身を一直線に加速させる。ルイも氷絶のつるぎを両手で構えて突進した。
わたしの身体ごと、その身を貫く――これもまた事前に話を通してある。
わたしたちはどちらかが犠牲になろうとも、シズクだけは殺してやらなきゃいけない。
だから、その役割がわたしかルイか、どちらであってもこの時が来ることも承知している――。
「うわぁっぁあああああああああああっ!」
リコに続き、最愛の2人をこの手にかける。
こんなこと本来であれば絶対に拒否する場面であっても、ぼくらにはもう道は残されていない。
目の前にいる最愛の2人に向かってぼくはひたすら飛ぶ。
両手で抱えた大剣を前へと突き出し、乱射する黒い閃光の中心地、愛するシズクとレティのいるその場へ――。
今はただ1秒では早くシズクを楽にしてあげることが先決だから――っ!?
「シズっ……な、なにっ!?」
「はぁっ!? いっ、いやっ!?」
ルイの大剣の先端が、わたしたちの身体を貫くその手前――事態は急変した。
それもシズクの身体から多量の黒い瘴気が発生したからだった。
「レ――」
「ル――」
発生した黒い瘴気は、いとも容易くわたしたち2人を飲み込んだ。
わたしたちはお互いの名前を呼びかけるも、その声は最後まで上げることは無かった。
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