第296話 この殺し合いを彼女らは夫婦喧嘩だと言い張った

 長く艶やかな黒髪をなびかせたシズクは、記憶の中にいるぼくらの愛して止まないシズクのままだった。


 ルイの言葉通り、もう100年も昔にプロポーズをされた時と同じ容姿を伴ったシズクが今、宙に浮くわたしたちの眼下で佇んでいる。


 思わず、ぼくらは手を伸ばしかけた。

 泉の中で眠り続けるシズクを目にしてから、何度だってぼくらはシズクに触れたくて仕方なかった。


 けれど、わたしたちは両手握った剣を今一度握り締めた。

 わたしたちが触れ合いたいのは、本来のシズクであって、今の抜け殻みたいな彼ではない――。


 ――さて、感動の再会のところ悪いけど、次の段階だ。纏っていた魔力を解き放ったことで彼の身体能力は劇的に下がっているよ。ただ、今度は遠距離からの攻撃を繰り出してくる。

「……で、さっき以上に近づくことは難しいんだよね」

 ――そう。先ほど以上に単調な攻撃を繰り出す癖して、これがなかなかどうして。でも、これでシズク本体に普通の魔法攻撃も入るよ。……ま、普通の攻撃が易々と入るものなら、こうも生き延びはしない訳だけどね。


 も、事前にリコを通して白い青年から聞かされていた。

 ただ、この状態になったのは白い青年が知る限り、今まででも2回だけという――そんな小話を交わしている間に、シズクの周囲に黒い球体が出現し、歪な振動を見せ始めた。


 ――さあ、攻撃が来るよ。なるべく遠くへ逃げるんだ。

「わかってるよ!」


 白い青年に言われなくたってぼくたちはこの場から緊急回避と空へ急浮上。

 レティの生み出した剣と共に大空へと舞い上がった。

 ただ、空へと逃げようにもこのオアシスには限界高度がある。

 ここら一帯を覆うようにシズクの魔力が壁を作っており、侵入者を逃がさない魔法がかかっているからだ。

 ただし、シズクを中心に円状に広がっている壁だからこそ、自由自在と空を泳ぐくらいには移動範囲に余裕はある。


「ラスボス戦は逃走禁止ってか! たくっ、あんたは前世で好きだったゲームのキャラじゃないってーの!」


 レティの喚き声を漏らしながら、ぼくらは上空から地上のシズクを見下ろした。

 石ころみたいに小さくなった癖して、先ほどよりも禍々しく感じられるのは、あの魔力の密集した場所から離れたからだろうか。

 先ほどまではわたしたちが周囲に放った魔力により、彼の力を中和していたからだろう。彼の魔力に飲まれることが無かったため、不快な気分にならなかった。

 今はこうして上空へと逃げたことで、改めてシズクの放つ魔力を肌に感じ取れているが、未だシズクの立つ周辺はわたしたちの魔力が支配している。

 それにより――。


「――来る!」


 支配下に置いた魔力が、遠く離れたぼくらへと即座に危険信号を送ってくる。


 



 我が盟友を討伐するために結成された連合軍と、我らユッグジールの里との衝突が始まるのは直ぐだった。


「うおりやああ! 死にたくてえやつはさっさと引っ込んでろ! ……なんて、この場にいる癖してっ、今さら死にたくねえなんて言うやつなんていねえよな!」


 こんな遠く離れていると言うのに、いやはや……鬼人の長は昔から変わらずその声量には驚かせられる。

 しびれを切らした連合軍のオアシス進行にどこもかしこも戦闘が勃発してた。

 その中でも、彼は里の者たちの制止も振り切って矢面に立ち、向かい合った連合軍の兵士を前に自前の馬鹿力を大いに奮って薙ぎ払っている。


「オジキィ! そんな前でるなってェ! そんなんで、オレの親父みたいに死んだから許さな……オレの話を聞けよ、馬鹿オジキィ!」

「がはははっ! 馬鹿で結構! いいじゃねえか! ブランザの馬鹿娘が、自分の恋路を成就せんと馬鹿を張る中、その企みに乗った俺らも馬鹿にならいでか!」

「なるか、ボケ! オレらの役割はルイの邪魔をさせないように足止めを――おい! だから、そんな前に出るな! ……お前ら、総長を援護しろ! 糞がッ!」

「キッカ! お前も、もっと馬鹿になれ! 無い頭であれこれ考えるな! それで、さっさとベレクトにぶつかって、100年越しの片思いを終わらせろ!」

「な、なななッ! オレは別にッ、それは今の話どころか、馬鹿になる関係ねェじゃねェかッ! だァァァ! この糞がッ! これも全部シズクのせいだ!」


 相変わらずだね。鬼人の長が率いるあの一帯は【影】との乱戦が無い分、大事には至らないだろう。

 そんな僕、アニス・リススは、亜人の長に跨り上空よりこの戦況を眺め続けていた。


(まさか、この僕は愛するリター・フィディ以外の女性に跨る日が来るとは――)


 ……なんて軽口を叩こうものなら、彼女に降り落されること必然だろう。

 ま、現在の亜人の長……の彼女は本来の人の形を崩し、その身を巨大な一本胴の蛇の様な龍とその姿を変えている。

 その背に身を任せているのが僕だ。


「おい、気を抜くな。あんたが気を抜いたことでオアシスの中に侵入者が入ったなんてことがあったら、たたじゃおかないぞ!」

「ははは、大丈夫さ。今のところ、誰一人として僕の張った結界に入った形跡はない――【影】が飛び出たことには多少動揺してしまったがね」


 現在、ルイたちの邪魔が入らない様、僕はオアシスの周囲を木魔法による障壁を展開している。

 植物の蔦で作った障壁であるが僕の魔力で常時強化を保っている為、生半可な刃物は通さないし、火にだって強い。

 早々突破されることはないが、気を抜くほど日和ってもいないさ。


「それにしても、ほんとアタシたち馬鹿だよなぁ。鬼の総長の言う馬鹿じゃないけど、こんな人類存亡の危機だっていうのに、あの小娘の我儘に里の者たち全員が乗ってるんだ。自分のことなのに今でも信じられないよ」


 やはりというか、先ほどの鬼人の長の怒鳴り声は彼女にも届いていたようだ。

 僕は苦笑し、同意見だと頷きながら答えた。


「いいじゃないか。今はただ酔いしれよう――これも、彼女が何十年と時間をかけて、里の人たちを口説き落とした結果。君もまた彼女に口説かれ、落ちた1人だろ?」

「アタシはまあ……手を貸してやれってオヤジに言われたからだけどね。でも、男ひとりのために無茶するあいつを見てたら、悪くないねって思ったから……まあ、これも一興だろ?」


 月が堕ちることを知ったのは2年前だったが、それ以前からルイとメレティミの2人は、今回シズクと出会うため……いや、、里にいる者全員へと協力を求めていた。

 彼女らの母親であるブランザによるもあるのだろう。

 ブランザのを知る里の者たちを中心に、この場にいる皆が彼女たちの今回の我儘に付き合ってくれている。

 いやはや、世界中を巻き込んだ夫婦喧嘩だなんて贅沢にもほどがあるよ。


「……も参戦したみたいだな。ベレクトのやつと戦闘を開始したみたいだ」

「ああ、そうか。神の寵児たちを止められるのはレクくらいだ。お祭り好きのレクが彼らの近くにいてくれてよかったよ」


 言われて眼下へと顔を向けると、そこには眩い閃光を伴った我が2人目の盟友であるレクが神の寵児である4人の勇者たちと対峙していた。


「何が、起こってるんだ? おい! シグレ……あの、ルイ・フルオリフィアはどこだ!?」

「目を覚ましたら戦闘が始まってて、一体どうなっているんだい。あたしが納得できるよう説明を求める!」

「お前ら、あの魔王の手下だったのか? それならば、良し! 押し通る!」

「ごめんな! おれがルイとメレティミの代わりに謝る! だから、お前らはその鬱憤をおれにぶつけてこい!」


 今、この場で一番の懸念があるとしたらレクと神の寵児たちくらいだろう。

 彼ら4人は地人でもなく、魔族でもなく、また新たな種族であるとは聞いているが、その能力は耳に届く程度で未知数である。


「死ぬなよ。レク……」


 届きはしない友へと言葉から漏らしつつ、僕はまた別へ顔を向ける。

 伝令もうまく働いていないのか、オアシスを囲うようにして里と、連合と、【影】との三竦みといった混戦が生まれている。

 数の上では連合側が絶対的に優位に立っていたのだが、【影】の介入により、不幸中の幸いというべきだろう。数による優劣は今のところ、起こってはいない。

 それどころか、場所によっては【影】との共闘を行っているところまである。


「流石だよ! ネベラスの教え子たちは、流石としか言いようがないね!」

「ああ、そうだな! 魔道具で底上げされてるからって言っても、レドに鍛えられた地人族の魔法は俺らと引けを取らないな! たくっ、レドのやつ! 今度会ったら、ぶん殴って褒め散らかしてやる!」

「そうだね! 褒めてあげないとね! ネベラスは私の義弟だもん! ギオと一緒に、たくさん褒めてあげないとね!」


 どうやら地人側についたネベラス・フォーレによって結成された魔術師一派と、四天の2人、チャカ・フラミネスとライズ・ドナが率いる一団が、共闘という形で【影】を抑えている。

 チャカ・フラミネスの夫であり、僕の3人目の盟友であるギオの弟君は今回の決戦には不参加で、王都でこの戦況を見守っていると聞いている。

 もしかしたら、事前に彼らもこちら側に力を貸してくれることになっていたのだろうか。


「それにしても、障壁を張れるのが僕だけだったとしても、僕だけが安全地帯でこの戦況を眺めているのもなんとも心苦しくも感じるね」

「それはアタシも同じだ。あんたの護衛だとしても、こんな戦火から遠のいた高いところで身内が戦っているところを見てるだけなんて、歯痒くて仕方ないよ」

「そうだね。君もキッカ嬢と同じく、戦いに身を置く人だろう。僕に付き合わせて申し訳なく――……これは」

「どうした?」

「いや……障壁の近くに地人の反応がある。これは、異世界人の2人っ!?」

「なんだとっ!? 一番通しちゃいけねえやつらじゃねえか! 侵入を許したのか!?」

「いや……違う」


 はっとしながら障壁の近くにいる人物の周辺へと気を集中させると、そこには察知した2人とは別に、またもう2人いることに気が付いた。


「ねえ、あなた……シグレの、お父さんなんでしょう? なんで、なんで彼女を1人で行かせたの……?」

「娘の願いを聞き遂げるのが父親の役割だ。それ以外に私たちが彼女にしてあげられることはない」

「だからって、ひとりでいかせることかよ! ……俺、あいつから何も聞かされてない! あいつの夫だというやつのこととか、ずっと俺たちのこと騙してたのかとか……何とも思ってなかったのかって! だから、だから、そこを退け! 俺らにはあいつに聞く権利がある! シグレに……ルイ・フルオリフィアってやつに! 今回のこと、全部!」

「聞いて何かわかるのか? 聞いて……貴様らが、あの子たちの思いをわかってやれるのか! この私だって、わからないというのに……!」


 ……あそこは、大丈夫だろう。

 話には聞いているが、異世界から召喚されたと言う2人は能力的に彼女らの親族である2人でも十分抑えることが可能だ。

 ただただ、シズクの天敵という言う以外に、彼ら異世界者の人間がこれといって能力があるわけじゃない。


「おい、魔人族の長! 見ろ!」

「……ルイ」


 4人に注意を向けている中、ルイとメレティミが僕ら2人と同じ高度へと上がってきた。

 彼女たちは同じ高さにいる僕らに気が付く素振りはない。


「それでいい。君たちはただただ、彼のことだけを見ていろ――」


 その後、ルイたちが駆け登ってきて程なく、オアシスの中心から空へと放たれた黒い閃光を目にしたことで、作戦は次の段階に入ったことを僕は知った。





 シズクの周囲に現れた無数の球体を起点として、黒い閃光がわたしたちへと放たれた。

 どんなに優れた動体視力を持ったルイだとしても、レーザー光線と言って良いこの攻撃を見てから避けることは無理だ。

 けれど、距離を取った分、黒い閃光がわたしたちに当たる可能性は限りなくゼロに近い。

 狙いをつけるシズクの弱視も相まって、地表から放射状に放たれた閃光は、空にいるわたしたちから大分離れた所を通過する。


「やっぱり、ぼくらのこと見えてないんだね」


 歯痒そうにルイが呟き、それに無言でわたしが首肯する。

 今の攻撃はわたしたちに向けたとしても狙いはお粗末すぎた。

 地表にいるシズクはこちらに顔を向けているが、わたしたちを探すように小さく首を振っている。

 ルイの言う通り、眼が見えていないのであれば予定通り先制攻撃で終わらせよう。


「行くよ、レティ!」


 その言葉に待ってましたと、わたしは鉄扇をばらして作った翼で空気の層を、地表へ向かって突撃を仕掛ける。

 当然、シズクは落ちてきたわたしたちを狙う。

 ハエを追い払うみたいにわたしたちに向けて黒い線は伸ばされた――が、全て回避!

 黒い閃光の次点発射までの時間は息を継ぐ程度の間はある。かと言って悠長に回避行動を行いながら飛び続ける方が危ないだろう。

 ただ、ひたすら直下。

 黒い閃光を掻い潜り、地表に近づいたところで、わたしたちの周囲に付随していた剣たちに命令をして分身を作成。

 続いてシズクの周囲で支配していた魔力に命令を下し、ルイも泉の水で分身を作り上げた。

 お互い分身というにはなんとも無様な出来だ。

 わたしなんてただただ、頭と手足を繕っただけの棒人形である。

 それでも視覚効果は抜群だ。

 シズクはそんな出来損ないの人形に向けて黒い閃光を放ち――その間、衝突するすれすれでルイを地表へと下ろし、ほぼ直角に曲がってシズクへとその身を走らせる。


「てやぁぁぁぁぁあああっ!」


 ルイは両手に持った剣を交差させる。

 そして、シズクとの距離をほぼゼロへと詰め切るのと同時に、先ほどの【影】と同じく、その首を狙って振り抜――。






















「ルイ」















「……っ!?」


 シズクが、、名前を呼んだ。

 ただそれだけのことでぼくの手は、足は、意志は途切れ――。


「――ルイ! (……っ!?)」


 レティの呼びかけにぼくははっと意識を取り戻す。

 が、その僅かな一瞬でぼくとシズクの間に黒い球体が現れる。すぐさま身体をよじって回避行動へ移る。

 同時に右手に持った剣で庇うように、放たれた黒い閃光を防――げない。


「……ぎぃっ!?」


 変な声が出た。

 眼前で放たれた黒い閃光は、今まで効果的だったレティの剣を砂の様に散らし、同時にその剣を握っていたぼくは右腕を通り過ぎる。

 まるで熱した鉄板の上で氷があっさりと解けるみたいにぼくの右腕が奪われた。


「……っ……ぎぃぃぃっ!」


 右腕を失った痛みに奥歯を噛みしめて、切り伏せるはずだったシズクの横を通過し、その背後に広がっていたオアシスへとぼくはその身を滑らせた。

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